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聖なる遺体処理布3点セット:カオールの聖顎布+オピエドのスダリオ+トリノの聖外布 

2019-09-10 | 聖遺物
今回、このルートを選んだ最大の理由がカオールだった。カオールのサン・エティエンヌのカテドラルの献堂900年記念に、あのイエスの頭巾の聖遺物が公開されているからだ。
 
十字架で息絶えたイエスを埋葬するために、まず顔を覆って、その後、口が開かないように、顎から頭にかけて固定する布が使われた。その上から、有名な「聖骸布」で全身を覆った。死後硬直が始まったので、顎を固定していた布は外された。
 
で、現在、このイエスの血の付いた布は、全身の姿がネガ像で映っているトリノの聖骸布、顔を覆ったオビエドのスダリオ、そしてこのカオールの顎布コワフと3ヶ所に分かれている。イタリア、スペイン、フランスだ
(トリノの聖骸布についてはこの本に私も記事を書いている)
 
トリノの聖骸布は有名なので、いろいろな人が模写したり、模写したものを「本物」にくっつけて祈ることで仏舎利のように複写品ができたりで、いろいろなところにある。聖骸布とスダリオは福音書の中で空になった墓に残っていたと出てくるので有名なのだけれど、顎を支えていたコワフの方は、このカオールにしか記録がない。(カオールの人は、福音書に出てくるのがこのコワフだと言っている)
8枚の細い亜麻布をツギハギしたもので、60センチくらいで、1844年にシャンポリオンが、一世紀初めの布だと鑑定したそうだ。
血痕が内と外に染みついているのは1939年に確認され、顎髭が剝れた跡があるともいう。
そして、今では研究者にとっては有名な話だけれど、この聖骸布とスダリオとコワフの血液型も一致するし、血の流れた場所の位置関係も綺麗に一致するという。つまり、イバラの冠や鞭打ちや十字架を背負った肩の傷など、血まみれだった部分が一致するので、それがイエスかどうかは別として、血だらけの同一人物を覆っていた布であることはほぼ確かだという。
 
その一つであるカオールのコワフは、何百年も、別にトリノやオビエドと競合したわけでもなく付き合わせて確認したわけでもなく、エルサレムに保存されていたものが、ただ、ひっそりと、カオールにまでもたらされた。9世紀初めにエルサレムの主教から、またはコンスタンティノープルの皇妃からシャルルマーニュに寄贈され、シャルルマーニュがカオール司教に寄贈したという説があったが、実は、12世紀にカオールの司教が十字軍の遠征から持ち帰ったというのが真実らしい。
 
トリノの聖骸布がトリノに落ち着いた経緯にもよく分からない部分があるのだけれど、カオールのコワフについては、いったんカオールに納められてからは動かなかった。
 
カオールの近くのモントバンなど宗教戦争でプロテスタントの牙城となり、カオールのカテドラルも大きな打撃を受けたのだけれど、そしてフランス革命でも同様だったのだけれど、このコワフだけは、住民によって守られてきた。
 

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