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聖母小聖務日課 1965光明社日本語対訳はベア枢機卿に改悪されている 1915+1961のAngelusPress版はセーフ

2020-05-17 | 祈り

…聖務日課書は,かつて聖書,賛歌,交誦,集禱文など数冊に分かれていたが,種々の便宜と目的のため12世紀にモンテ・カッシノ修道院などで1冊の抄本にまとめられ,以後急激にヨーロッパ各地に普及したものである。この二説のほかに,すでに8世紀の修道士アニヤンのベネディクトが,とくに聖母賛美のための《聖母マリアの小聖務日課書》という《詩篇》や聖務日課書の一種の補遺を聖職者用に編纂しており,それが11世紀にフランスやイギリスの修道院で愛好され,やがて13世紀末以降,とくに北ヨーロッパで平信徒の間で個人用祈禱書,すなわち時禱書として普及しはじめたとする説もある。 

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聖母に対する尊敬と熱愛を正式にしめすという目的で、聖職者が日々となえる公式の大聖務日課に、その形をまねて簡単にしたものが、この聖母の小聖務日課である。

その起源は、教会歴史家助祭ペトロによると、教皇グレゴリオ2世(714-731)にさかのぼるもので、のちに聖ペトロ・ダミアーニが完成し、教皇ウルバノ2世によってクレルモンの会議(1095)において正式に認可され、大聖務日課とともに教会の公式祈りに加えられた。
それからしばらくの間、司祭は大聖務日課のつぎに、この小聖務日課をもとなえる義務があった。のちに教皇ピオ5世によってこの義務が廃されたが、おおくの修道会会憲にはそのまま保留されて、その所属する修道会会員はこれを日々団体でとなえる義務がある。一般信者にはこの義務はないが、聖母に対する熱愛をしめすために、毎日、あるいは用務にさまたげられないとき、これをとなえるものも少なくない。
じつに、この小聖務日課は、聖母に対する最大の信心行であり、歴代の教皇もせつにすすめ、これをとなえる信者には多くのつぐのいのなだめが与えられている。
 
 
 
 16世紀当時は地域や修道会ごとに異なる「聖母マリアの小聖務日課」が行われていましたが、教皇ピウス5世 (1504 - 1566 - 1572) は1571年にこれらをすべて廃止して、新しい「聖母マリアの小聖務日課」に置き換えました。これに伴って聖母に捧げる数々の連祷も廃止されましたが、ロレトの連祷に累が及ぶことはなく、1587年、教皇シクストゥス5世 (Sixtus V, 1520 - 1585 - 1590) はこの連祷を正式に認可しました。16世紀末になると、ロレトの連祷はローマの四大バシリカのひとつであるサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂に導入され、ローマの他の聖堂もこの例に倣うようになりました。

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