ジョージのインドネシア体験記

パダン(Padang)という、インドネシア、西スマトラの地方都市での生活体験記。

No.79 長い長い回り道(2)(2016.1.6)

2016-01-06 23:46:31 | No.71~No.80
 というわけで、丸1年間無駄にして、もう目の前真っ暗というほどに落ち込んだんですけれど、友人の励ましもあって、何とか別の道を探し始めたのです。

 まず、日本語教師の資格を取ることにしました。
 インドネシアでは日本語教師の需要は大きいのです。けれど、仕事としてするには、2年間の経験者ということよりも、どこでも通じるような資格があった方がいいと考えたのです。JICAや国際交流基金などから行ける可能性も生じるからです。
 2012年の4月から半年間で講座を修了しました。

 その後、また到着ビザ(いわゆる観光ビザ、30日間まで滞在できる)でインドネシアへ行き、日本語教師として、あるいはそれ以外の方法で、長期滞在できる可能性を探したのです。

 渡航費や生活費も当然必要ですから、合間にはアルバイトなどをして、13年に1回、14年には3回パダンへ行き、結局は巡り巡って、UBHと再契約となったのです。それが14年の8月。

 この数年の間にも通信事情はだいぶ良くなったし、2011年の時から学科長も学長も替わったし、さすがに今度こそ逃がしやしないぞと期していました。けれども、ビザの許可証を取るまでは大学がしなければならないので、私ができることってないんですよね。基本的には待つだけ。
 すでに書きましたが、普通は就労ビザを取れるまで6か月程度かかると言われています。2009年に就労ビザを取った時には、確かにそのぐらいだったのです。
 同じパダンで、国立ですがアンダラス大学では、3か月程度で就労ビザが取れている例もあるのです。
 ですから、半年のつもりで、早くなったらラッキーかなぐらいに思っていたのです。

 ところが、です。
 こちらが様子を聞くと「もうちょっと、あと少し…」みたいな調子で返事が返って来るし、なんで今頃?というタイミングで「○○が必要になった。送ってきてくれ」みたいなことを言ってくるんですね。
 それで、「○○を用意するためには、△△が必要ですよね?それをまずこちらにください」と要請しても、反応が鈍い。
 そういうことを延々繰り返して、結局、16か月も費やしたのです。

 同じ16か月掛かったにしろ、初めからそれだけ待たなきゃいけないつもりだったら、まだよかったんですよ。その期間中は計画的に動けるわけですから。
 それが、もしかしたら今月中にも、あるいは来月にも、という感じで、手探り状態で延々引っ張られたものだから堪らない。本当に、この1年間はツラかったですね。

 私は、小中学生のころから寄り道が大好きでした。通勤・通学で通る道なんかも、時々変えるんですね。
 寄り道して、ちょっとした発見でもあれば嬉しくなるし、何もなくたって、気分転換になったりしますし。何事につけ、ルーチン化して、頭も体も自動運転みたいになるのが好きではないのです。
 2011年に帰国してから、当初は半年間程度しか日本にいないつもりでした。それが5年間にもなってしまいました。
 総じて言えば、この5年間はツラい期間でした。自分のことなのに、自分ではどうしようもないという時間は本当にツラいものです。しかもその時間がかなり長かったわけです。
 でも、予定よりも長く日本に居たおかげで、出会えた人もいるし、できた事もあるし、そういう意味で、寄り道して得たものもあったのです。

 文章にして改めて振り返ってみると、よくまあUBHで仕事していく気になったなぁと自分でも思うんですけれど、ここに書かなかった色々なファクターもあるんですよ。
 兎にも角にも、長い長い回り道を経て、ようやく5年前の道に戻ってきました。
 あ~、本当に長かったぁ。これでやっとスタートラインです。

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