ジョージのインドネシア体験記

パダン(Padang)という、インドネシア、西スマトラの地方都市での生活体験記。

No.9 パダンでの娯楽(09.06.30)

2009-06-30 11:43:32 | No.0~No.10
 6月27、28日の土日を利用して、ブン・ハッタの学生たちとパダン・パンジャン(Padang Panjang)という所へ、一泊して遊びに行ってきました。ホームステイするから一緒に、と誘われたんですけど、実際はホームステイではなく、泊まったところはコテージのようなの。16人も一緒ですから、ほんとにホームステイなら、よっぽどの豪邸でしょう。
 パダン・パンジャンというのは地名で、滝があるので有名なところ。パダンからは車で2時間ほどの、シンガラン山とムラピ山に挟まれた峠の町です。高原の観光スポットとなっているブキティンギという町へ、パダンから行く途中にあります。
 遊びに行った場所は、MIFAN(Minangkabau Fantasy)という、プールがメインの娯楽施設。プールの他に、いくつかの遊戯施設や、前述の宿泊施設などがあります。まだ新しく、できてから1、2年だそう。

 付属の遊戯施設というのは、ごく小さなジェットコースターや観覧車、ゴーカートなど。日本で言えば子供向けのもので、大学生ならネタにはなっても、ちょっと楽しめないでしょう。でも、一緒に行ったみんなは、十分に楽しんでいる様子。たとえ子供向けのものでも、それしか知らなければ、それで満足することができるということでしょうか。

 日本だったら、せいぜい子供を遊ばせるためのような場所に、学生が泊まりで遊びに行くってのは、それだけパダンでは娯楽が少ないということです。一般的なパダンの人の娯楽はと言うと、筆頭はカラオケ。結婚式や何かのイベントの時には、必ずステージが設けられ、シンセサイザーの伴奏で大音量でやります。結婚式やイベントは土日に集中するので、土日はあちこちでカラオケが響いています。お高いレストランなんかにはカラオケセットがあったりします。
 カラオケでなくても、パダンの人たちは音楽は大音量が基本。日本では時々、大音量の音楽をガンガン鳴らしながら走ってる車が、周りから白い目で見られたりしてますが、パダンでは、公共交通を担うアンコットがあんな感じで音楽をガンガンやりながら走ってます。ふつうの家でも、テレビやラジカセの音はかなり大きい。場合によっては音が割れて、かえって聞きづらいだろうに、とも思うんですけどね。

 デパートの最上階には日本と同じようにゲームセンターがあります。はじめにコインを買って、それで遊びます。ちなみに、インドネシアでは硬貨が少なく、日本の感覚でいえば、50円か10円以下のような少額しか硬貨は使われていません。ゲームによっては、小さなカードが点数に応じて出てきて、それは後で景品に交換できます。ゲームセンターの他にはビリヤード場があります。
 ほかに娯楽施設と言えば、映画館がありますが、私は言葉の問題もあるし、映画自体あまり興味がないので行ったことはありません。

 遊ぶための場所って、だいたいこんなものでしょうか。あとは遊びに行くというと、海辺や公園などお金のかからない場所か、食べに行くというぐらいのようです。サッカーやバドミントンなどスポーツのコートがあったりもしますが、スポーツについては別の機会にしましょう。

 私は日本でも遊園地とかには、ほとんど行ったことがありません。カラオケやビリヤード、ボウリングとかも、友人から誘われれば行くし、そこで楽しめるんですけど、自分からはそういうお金を使って遊ぶようなところへは行くことがありません。貧乏に育ってますからね。お金を使う遊びやスポーツはできないし、興味を持つこともないまま大人になったのです。
 盲目の人は聴覚が鋭くなるって言われますけど、同じように、人の感受性って、どこかが閉じられれば別の部分が開かれるようになってるように思います。私の場合も、一般的な娯楽には興味が薄い分、普通の人にはあまり見向きされないような事に熱中する。それで「変わり者」なんて言われでもすれば、褒められたと思って、ますます深みにはまっていくわけです。

 パダンの娯楽の少なさは、普通なら長期滞在すれば退屈するかもしれませんが、私にとってはむしろ魅力的だったのです。遊びだったら、日本でできることをわざわざ海外に出てすることもないでしょ。ここではお仕着せのものが無い分、何でも、自分で探し出したり、作り上げたりするという楽しみがあるのです。

No.8 大学で囲碁部をつくる(09.06.22)

2009-06-22 12:15:45 | No.0~No.10
 歌や踊りはまるでだめだし、楽器は弾けない、絵心もない。学生のときにはマラソンを走ったりしてましたが、最近はスポーツもあまりしない。と、文章にすると、何にもできないダメ人間みたいですが、まあ、事実そうだから仕方ない。
 こんな私ですが、最近の趣味は囲碁。また、じじ臭いことを、と言われそうですね。でも、琴棋書画の一つですから、立派な芸でしょう。始めたのは2006年の正月ごろから。すでに28歳でした。去年は初段のお免状を取ったと言えば、ある程度はモノになってると言えるでしょうか。今は2段近い力になってると思います。そういえば、書道も初段を取ったような記憶がありますが、小学2年か3年の時の話で、今はロクに字なんて書けません。

 少年ジャンプで『ヒカルの碁』が連載されてたのは、もう10年ほど前でしょうか。日本でも碁を打つ子供が急激に増えて、囲碁ブームが起きましたけど、残念ながら今はまた下火になってしまいました。日本ではやはり、「じじ臭い」ってイメージが根強いからでしょうか。むしろ、そういうイメージのない海外の方が囲碁が盛んになっているそうです。欧米では頭のスポーツとして広く受け入れられているようですし、タイでは『ヒカルの碁』効果で、ほとんど皆無だった囲碁人口が一気に100万人以上になったそう。日本が250万人程度だそうですから、かなりなものですね。最も盛んなのは、お隣の韓国です。900万人以上も碁打ちがいるそう。絶対数は中国の方が多いけど、母数が全然違いますからね。

 私は世間の流行り廃りとは縁遠い人間です。日本にいた時でも、テレビもほとんど見ません。人は人、自分は自分で、自分の思う通りにしていたいと思うタイプです。なので、『ヒカルの碁』がきっかけで碁を始めたのではありません。

 大学卒業直後から緑の地球ネットワーク(GEN)に参加するようになって、ずっと海外に目は向いていたんですが、自分に芸がないってのがコンプレックスでした。そのことを特に意識しだしたのは、青年海外協力隊の活動を終え、チリから帰国したIさんと知り合ってから。2003年から共にGENの世話人をさせていただいたんですけど、自分の能のなさ、芸のなさを痛感することになりました。GENでの活動もそうですけど、協力隊での体験談を聞いて、自分に同じレベルのことができるか?と考えると、できる自信はまるで持てませんでした。

 楽器など、芸の一つもできれば、海外に出て現地の人たちと親睦を深めるのに大きな力になります。そのことは、ワーキングツアーなどで実際に体験しました。で、何かしなきゃな、と思ったんですが、私は凝り性で、何かやるんだったら、中途半端にはしたくない。何かやるなら、しっかり習いたいと思ったんです。でも、楽器か何か習うには、時間もお金もない。私の場合、特に後者ですね。
 そんなある時、家族が点けっぱなしにしていたテレビで、偶然、囲碁の入門講座を見かけました。これなら、と思ったんです。最低限の礼儀はありますが、あくまで遊び。海外の人とするのに、堅苦しさもありません。お金が掛るようにも見えません。碁を打つ子供は算数や数学の成績が上がるってことも言ってました。逆も真とは言えませんが、数学の成績の良かった私なら、上達も早かろうと、妙な自信も持ったのです。蛇足ですが、この時の講師は梅沢由香里さんでした。

 インドネシアにも碁石と碁盤を持ってきました。一先ずは自分が楽しむためです。まだ自宅でネットができないので、対局はできませんが、碁の勉強には使います。
 パダンで、チェスをしてたり、マージャン牌で遊んでいる人はあちこちでよく見かけます。そういうゲームの類を売っている店を見ても、碁は置いてません。タイのような例があるので、ここでは『ヒカルの碁』も知られていないのだと思っていました。
 ところが、日本のアニメの話を生徒としてる時に訊いてみると、『ヒカルの碁』を見たことがあるって子が何人もいる。文化祭以来メールのやり取りをするようになった、ブンハッタの学生に訊いても、前にテレビでやってたことがあるって答えが返ってきた。もしかしてと思って、早速、碁盤と碁石を持って大学に行くと、みんな興味を持ってくれたよう。今は私の持っている物しかないのがネックですが、碁盤はともかく、碁石の調達ができるようになれば、広まる可能性はありそうです。

No.7 パダンの地理(09.06.15)

2009-06-15 11:28:48 | No.0~No.10
 スマトラ島のパダンと言って、すぐに場所を思い浮かべることのできる人は、おそらくごく少数でしょう。日本人になじみのあるバリ島でも、世界地図を広げて「ここ」ってすぐに答えられる人って、意外と少ないのではないでしょうか。
 インドネシアは大小多数の島から成る、世界最大の島嶼国ですが、5つの代表的な島があります。東から順に、ニューギニア島、スラウェシ島、カリマンタン(ボルネオ)島、ジャワ島、そしてスマトラ島です。

 スマトラ島は、マレー半島とマラッカ海峡をはさんで北西から南東にのびる島で、島のほぼ中央を赤道が横切っています。日本でよく使われるメルカトル図法の世界地図では、高緯度ほど面積が拡大されるので、赤道をまたぐインドネシアって小さく見えるんですけど、スマトラ島の面積は約52万平方キロ。本州が約23万平方キロ、日本全土で約38万平方キロですから、スマトラ島だけで日本の約1.4倍の広さがあります。
 スマトラ島は南西のインド洋側に、3千メートル級の山々が連なるバリサン山脈があり、マラッカ海峡側に向かってなだらかになっています。2004年12月のスマトラ島沖地震の際に、大きな被害を出したアチェ州の州都バンダアチェはスマトラ島の北西の端に位置しています。ちなみに、パダンでは幸い、津波の被害は軽微だったそうです。

 パダンはスマトラ島のほぼ中央で、インド洋に面しています。西スマトラ州の州都で、人口は80万余。スマトラ島ではメダン、パレンバンに次ぐ第3の都市です。
 Google Earthで見てみると、南緯0度57分、東経100度21分です。私は、赤道直下の国というと、シンガポールが真っ先に思い浮かぶんですけど、シンガポールより低緯度、つまり赤道に近いんですね。

 赤道直下となれば当然ですが、パダンは熱帯性の気候です。ケッペンの気候区分ではAf。日本で言うと、7、8月が1年中続くようなもの。年間雨量は約4000ミリにもなります。こっちの人たちは、雨季と乾季があるって言うんですけど、乾季と言われる月でも200ミリ以上の雨があります。ジャワ島にある首都ジャカルタだったら、気候区分はAmで、降水量も多い月で400ミリ、少ない月で50ミリのようですから、雨季と乾季と言うのもうなずけるんですけど、どうもパダンではしっくりしません。
 熱帯と言うと、私は、毎日夕方にスコールがあるものと思ってたんですけど、そうでもないんですね。気温が下がる夕方から夜に雨が多いのは確かですが、毎日規則的にってことはありませんし、夕方にも限りません。何日も雨の降らない日が続くこともあるし、数日間降り続けることもあります。ただ、日本では多いシトシト…という降り方は珍しくて、ONとOFFがはっきりしてるのはイメージ通りでしょうか。

 平均気温は、本に載っているのでは、年間を通して27~28度。大阪の7月が27.2度、8月が28.4度と載っているので、やはり感覚的には日本の7、8月がずっと続くようなもの。
 私の部屋に置いている温度計では、最低は27度、最高は32度ほど。毎日が25度以上の熱帯夜ですね。ですが、35度以上になる猛暑日というのは、ほとんどなさそうです。年中暑いけど、極端に暑くなることは無いようなのです。最近はここの気候に体も慣れてきて、家では扇風機を使うことも少なくなりました。もちろん、エアコンなんてありませんよ。

 日本の夏ぐらいのつもりでいて、勘が狂ってしまったこともあります。
 まず、日が短い。赤道に近いので、年中ほとんど変化がありません。だいたい18時半ごろには暗くなります。日の出も6時ごろ。ふだん仕事を終えて帰宅するのは19時ごろですが、もし家の周辺が停電していると、アンコットを降りてから帰り道は真っ暗。なので、LED付きのライターを常にカバンに入れてあります。
 日本の夏季、今の季節ですが、昼間は太陽が北からさします。頭では理解してるんですが、どうも慣れないんですよ。町並みも、日本では南向きが基本ですが、ここでは方角は関係なさそうです。日本では、私は道に迷ったことがないって自慢にしてたんですが、ここでは道がなかなか覚えられない。
 ということで、私の日常の行動範囲はかなり狭いものになってしまっています。もっと色々行きたいところはあるけど、暑いし、アシも無いしって、サボっています。いけませんね。

No.6 研修生制度(09.06.08)

2009-06-08 11:27:34 | No.0~No.10
 日本ではあまり知られていないパダンに、私が来ることになったきっかけは、研修制度を使って日本に来ていた連中との出会いでした。研修制度とは、日本から外国への技術移転を目的として、国際研修協力機構が主導する制度で、「外国人研修制度」、「外国人技能実習制度」の二つから成り、一般には「外国人研修・技能実習制度」と言われることが多いようです。

 2005年の夏、延べ2か月ほど農家にアルバイトに行ったとき、ちょうどそこに、パダンからの研修生が何人か来ていました。一緒に働いたのは、6人ですけど、当地の農協が1次受入れ機関となっているので、その地域全体では数十人ほどにもなります。
 研修生制度では、研修期間は最初の1年で、その後2年間は実習生として、労働者の扱いとなります。つまり、最長3年間日本に滞在して、その間に研修・実習を通して身につけた技術を母国に持ち帰り、その技術を活かすことで技術移転になるというわけです。
 ヤニ、イェニ、デキの姉のリカの3人が3年の期間を終えて帰国する時に便乗して、私が初めてパダンに来たのが2006年の11月でした。その後、2007年6月、2008年の10月と、合計3回観光でパダンを訪れ、今回は就労ビザを取って長期滞在することになったのです。

 この研修制度とは別物ですけれど、去年からインドネシア人介護士・看護師の受入れが始まったことで、研修制度についてのニュースも増えているように思います。一例ですが、2007年5月13日の毎日新聞には「<外国人研修>8割の企業で、長時間労働や基準外賃金未払い」なんていう記事があります。
 私が直接見聞きしたことに限っても、技術移転という本来の目的からは、はるかにかけ離れている制度の実情がうかがえます。
 例えば、私の友人たちは、ほとんどが農業の研修で来日していたわけですが、パダンで農業に関わっているのは1人もいません。ヤニは帰国後少しの間だけ形式的に農業に関わることになりましたが、まったくやり方がわからないので、ずいぶん悩んでいました。私も相談を受けたんですけど、私だって、実際に自分で作物を育てたことなんてほとんどないので、答えられない。
 知らない人なら、「日本で3年間農業の研修受けてたんじゃないの?」と思うかもしれませんね。でも、やっていたことって、野菜の収穫と選別、苗の植え付けといった、いわば単純作業。それで何か農業の技術が身に付くなんてことはありません。

 研修生にとっても、帰国後農業をしようなんて初めから思ってないんですね。完全に出稼ぎのつもり。私から見れば、かなりひどい条件で働いているように思うんですけれど、それでもパダンで仕事するよりは実入りがいいというので、日本へ行きたいという人は多いのです。
 日本の受入れ側にとっては、安い労働力。おそらく、日本で勉強してもらって、それを将来活かしてもらうなんてことは思ってないでしょう。行く側にも受け入れ側にもニーズがあるので、橋渡しさえされれば、成り立ってしまうんですね。それで不正が多いのでしょう。

 農業分野に限れば、外国から日本に学びに来るなんて、ちょっと有り得ないだろうなと、私なんかは思うのです。今の日本の農業技術って、おそらく先進国の中で最低でしょう。自国民が食べる分も満足に作れない。そういう意味では、戦時下よりも農業生産の能力は低くなっているのです。他にも、米として収穫できるエネルギーよりもはるかに多量のエネルギーを投入しなければならない米作りなど、「気持ち悪さ」を感じます。
 93年の「コメ騒動」の時、私は高校1年でしたけど、緊急に海外から米を分けてもらった挙句、「外米は不味い」なんて言ってるのを聞くと、なんて恥ずかしい国に住んでいるのだろうと思ったものです。もし農業を学ぶなら、キューバに、というのが私の頭には浮かびます。

 いまのところ、プロクラマトールからは研修生の派遣は行っていません。パダンから日本に来ていたのは、よその日本語学校から。けれども、パダンで日本語教師を続けていけば、この先、研修生の派遣に何かしら関わることになる可能性は高いだろうと思っています。そうなれば、自分の中に矛盾を抱え込むことになるだろうな、と今から憂鬱なのです。

 どうもこの問題を書くには、まだまだ勉強不足の上、頭の整理もできてなかったようです。機会を改めて、またいつか書きたいと思います。

No.5 停電で怖いもの(09.06.01)

2009-06-01 11:44:19 | No.0~No.10
 先日、デキと彼の兄弟たちとしゃべっていた時のこと。「インドネシアは停電が多いだろ。怖くないか?」なんて聞かれました。もともと私は、起きてる時間で家で過ごす時間は短いし、停電したってそんなに不便なこともありません。あんまり長いようだと、冷蔵庫の中身がちょっと心配になりますけど、そんなにいろいろ入れているわけでもない。まだ自宅ではインターネットができないので、パソコンを使うことも少ない。
 パダンで停電が多いのは確かです。週に2,3回も停電があることも珍しくありません。デキたちに、「日本では停電は2,3年に1回ぐらいだ。毎年1回停電するようなら、多いと感じるだろう」って言うと、かなり驚いた様子。こっちでは停電はあって当たり前なのです。

 パダンで停電が多い理由は、高まる電力需要にインフラ整備が追いつかないためでしょう。私が初めてパダンに来たのは2006年ですが、この3年間でも、友人宅には確実に家電製品が増えていっています。
 落雷の多さも理由の一つかもしれません。日本でも夏場には積乱雲が発達して、雷を伴った夕立があったりしますが、ここでは1年中いつでも、そういう条件があります。
 工事か何かのため、ある程度計画的に停電させることもあるようで、私がパダンに来てすぐの3月、プロクラマトール(私が勤める日本語学校の名前です)のある区域では毎日昼から夕方にかけて停電していました。プロクラマトールではコンピューターの授業もあるのですが、停電すると授業ができず、ずいぶんと困っていました。ネットカフェのようなのも、ここ数年で急速に増えていますが、そういうところもお手上げでしょうね。
 そういえば、ワーキングツアーで大同に行ったとき、やっぱり大同も停電が多くて、ある時、昼食時に10回ぐらい電気が消えたり点いたりと、停電を繰り返したことがあったけど、今はどうなってるんでしょうね?

 停電となれば、当該の区域は例外なく全部停電します。病院や信号なども別系統にはなってないんですね。病院や、電気がないと営業に障る店舗なんかは、自前の発電機を持っています。でも信号は電気が復旧するまで消えたまま。プロクラマトールのすぐ前の交差点では、ただでさえ危なっかしいのに、さらに無秩序になってしまいます。
 
 冒頭の質問の答えに、「停電したときに一番怖いのは、蚊だね」って付け加えたんですよ。冗談半分だけど、半分は本気なのです。赤道直下のパダンでは、それほど多くないとはいえ、マラリアやデング熱があるのは確かです。まあ、明るければ刺されない、なんてことはないんですけど、日本にいたときより蚊に注意するようにはなっています。
 今の家に引っ越してきてすぐのころ、やっぱり蚊が多いなと感じていました。蚊取り線香と殺虫剤で対応してたんですけど、あんまり殺虫剤は多用したくない。それで、最近、蚊取りラケットを買ってきたんですけど、これが大活躍!
 蚊取りラケットというのは、テニスのラケットのような形で、ガットの部分が3重の電線になっています。それで、蚊が当たると、電気が流れて焼け死ぬという寸法。バチっとけっこう盛大な音と火花が出るのが、妙に快感。初めて見たとき面白がって振り回していたら、そんなに気に入ったならとお土産に1本もらったんですが、日本ではあまり使う機会がなく、そのまま放置してしまってます。それで、ここで生活するようになってからも、しばらくはラケットのことを忘れていたのです。

 ここしばらくは雨が少ないせいか、蚊を見つけ次第追いまわしているせいか、我が家の蚊はずいぶん減ったように感じます。実際にはそんなに変ってないとしても、ただ嫌なだけの存在から、遊びの要素が加わったことで、私の感じ方はまるで違ったものになっているんですね。
 同じように、どんな事にでも遊び心が持てればいいんですけど、私にはまだまだ出来そうもありません。