ジョージのインドネシア体験記

パダン(Padang)という、インドネシア、西スマトラの地方都市での生活体験記。

No.89 ラマダンとタバコ(2016.07.05)

2016-07-05 22:04:33 | No.81~No.90
 6月6日から、パダンというかイスラム圏では、ラマダン(断食月)でした。
 もう明日はラマダン明けのお祭り、レバランですから、ラマダンはもう終わりです。こんなタイミングでブログを書いているのは、最近忙しくて、のんびりブログを書いている暇がないからと言い訳しておきます。

 ラマダンは1か月間続くわけですが、断食というのは、夜明け前から日没までで、日の沈んでいる間は飲食をします。
 断食中、食べ物・飲み物以外にも、ガムやタバコなど、口に含むものも禁止とされています。人によっては、唾を飲み込むのもダメだという人もあるようです。

 私にとっては、タバコの煙に悩まされることが減るのが、ラマダン中のいいところ。昭和時代の日本かそれ以上に、パダンは喫煙者が多いし、マナーなんてあったものじゃないぐらい喫煙場所を選ばない上にポイ捨てばかり。
 それが、断食中だったらタバコを吸わなくなるのだから、子供の傍や不特定多数のいる場所での喫煙が我慢できないはずがないんですよ。
 また、私の宗教に対する態度はこちら(http://blog.goo.ne.jp/georgology))に書きましたので、以上を今回の話題の前提とします。

 これから引用するのは、6月6日に私がFACEBOOKに投稿したものと、それに対するコメントです。インドネシア語で投稿したので、(カッコ)で日本語訳を付けます。

(私の投稿)
saya bingung sekali...
kenapa perokok tak bisa berhenti merokok untuk keluarganya, anak kecilnya, atau badannya sendiri, walaupun bisa berhenti merokok untuk agama(puasa)???
MISTERY (-"-;)
(私はとても不思議に思っています。なぜ、喫煙者は宗教(イスラムの断食)のために喫煙をやめることができるのに、彼らの家族、小さい子供や自身の体のためにはタバコを止められないのだろうか?謎だ。)

(以下はコメント)
○Maybe its because their habbits, so difficult for them to stop
(たぶん、彼らの習慣だからだよ。彼らには禁煙は難しすぎるんです。)

○Bagaimana mereka mau mencintai kluarganya sedangkan badannya sendiri tak mereka cintaiii...
Tu lah seorang perokok...
(どんなに家族を愛したくても、一方では自身の体のことは気にしてないんだよ。それが喫煙者。)
 ちょっと意味がわからないですね。間接喫煙を理解してないのかな?このコメントに対するコメントが次。
→Bagaimana bisa kita mencintai keluarga jika kita mencintai badan sendiri?
Duit yg ada buat beli produk perawatan badan, bukan d beri utk menafkahi keluarga?
Itulah seorang yg mencintai badan
(もし私たちが自身の体を気遣ったら、どんなに家族を愛せる?
体に良いものを買うお金があったら、家族を養うためにもあるんじゃないの?
 それが、体を気遣う人よ。)
やっぱり意味不明ですね。私のインドネシア語力では訳がおかしいかもしれません。

○Karena puasa adalah bagian dari ke imanan
(断食は信仰の一部だから)

○Sebuah kesalah pahaman tentang agama penyebab nya. Di Islam, rokok dilarang. Tapi kenyataan nya, hal itu dibiarkan berlalu begitu saja.
(宗教の教えについての誤解です。イスラムではタバコが禁じられているけれど、実際は放置されてるだけです。)

○Sebenarnya dalam agama juga dilarang untuk merokok, karena merokok termasuk perbuatan yg merugi dan menzholimi orang di sekitarnya.... Jadi, yg salah itu orangnya....
(本当は、宗教的にはタバコは禁止されてる。タバコは周囲の人を害する製品だから。だから、間違ってるのはその人です。)

○Benar, yang salah itu orangnya, bukan agamanya.
(その通り、間違ってるのは人で、宗教じゃない)

 なんだか、答えになってないコメントばかりですね。私の投稿は、宗教を批判したものではありません。でも、なんだか前のめりになって、宗教を擁護するようなコメントがいくつかあります。
 私の投稿の直接的な意味は、〔宗教〕と〔家族や健康〕のどっちが大切なんだ?ということです。
 私の宗教観を知ったうえで、一歩進めて深読みすれば、「おいおい、宗教ってそこまで大事なことかい?その前に健康や周りの人を気遣えよ。何より、先ずはタバコの害を知りやがれ」という意味に解釈できるでしょう。

 別に、宗教に傾倒することを批判する気はありません。
 でも、物事には優先順位、順番ってものがあるでしょ?とは言いたくなるのです。日本でももちろんですが、特にパダンでは、毎日いろんな場面でそう思うことに出くわします。
 例えば、日本語の指導をしてほしいって学生がいて、彼女の都合に合わせて時間を取っておいたのに、約束の時間が過ぎてから「別の用事があって行けませんでした」と連絡してきたり。
 とりとめのない話をダラダラ書いてきて、こういうのも何ですが、筋が通らないことが多すぎて、ストレスが溜まっているようです。やれやれ。

No.88 日本文化祭(2016.05.30)

2016-05-30 11:10:46 | No.81~No.90
 今月の2~4日、ブンハッタ大学の日本語学科で、第16回目の日本文化祭が行なわれました。
 月初のことを今頃になって書くのは、けっこう忙しくしていたからと言い訳しておきます。あと、後日談みたいなのもあったので。

 さて、日本文化祭ですが、今年は第16回目ということで、今までも毎年行われてきたものです。以前にも、この文化祭のことは書いたことがあります。
 ですので、私にとっては、もう何回も見てきているわけですが、今までは客としての関わりでした。審査員を頼まれたりはありましたけど、基本的には外部の人間としてです。
 それが、今年からは教員という立場で関わるようになったわけです。

 まあ、文化祭なんていうものは、本来は学生たちの自主的な活動ですから、教員だと言っても、あれこれ指導するような口出しはしない方がいいと、私は考えています。
 ですから、準備段階から関わりはしていましたけれど、なんとなく傍で見守っているという感じで、あまり手出し口出しはしないようにしていました。
 私自身、文化祭の運営についてはまだ要領を心得てませんし、新キャンパスに移転してからは今年が2回目で、去年は見ていませんから、私にとっては新キャンパスでの文化祭は初めてだったのです。だから、ヘタな口出しはしようにもできなかった、ということでもあります。

 日本文化祭を行なっている大学は、パダンに3つあります。ブン・ハッタ大学、アンダラス大学、パダン大学です。
 今年は、パダン大学が3月5~6日、アンダラス大学が4月18~20日、ブンハッタが5月2~4日でした。
 今年でパダン大学は3回目、アンダラスは12回目、ブンハッタは16回目の開催で、仕方ないことではありますが、どこもやる事は似たり寄ったりになるんですね。
 それが2か月程の間に3回続きますから、正直言って飽きてきちゃうんですよ。せめて1校ぐらい10か11月辺りに開催するとか時期をずらしてくれればいいんですけど、ブンハッタはスピーチ・コンテストの開催地になるために日程の変更が利きませんから、他校に期待するしかありません。

 今回、私がちょっと学生に入れ知恵したのは、会場内でごみを散らかさないようにしましょうということでした。
 3月のパダン大学の文化祭で、ごみが散乱しているのを写真に撮って、学生たちに見せたのです。
 パダンでは、どこでもごみをポイ捨てするんですよ。例えば、校舎とか建物の中でも、走ってる車からでも。その割には、日本で私が撮った写真なんかを見せると、「日本はゴミが落ちてなくてきれいだ」なんて言ったりするのです。
 そんな風ですから、会場にごみが散乱しないだけでも、他校と差別化が図れるでしょう。

 それに、日本の文化を学ぶのであれば、踊りだとか生け花だとか茶道だとか、そういうものよりも、日常生活と日常でのモノの考え方を学ぶべきだというのが、私の考えです。
 全ての文化って、その根源は日常生活から生まれ出てくるものでしょ?だから、学生たちが日本の文化を学ぶんだったら、日本の日常生活と、そこにあるモノの考え方を学べば、そこから派生する色んな文化を、よりよく理解できると思うのです。

 今回の文化祭は、準備段階では基本的に見てるだけだったのですが、見ていて思ったことがあります。
 学生たちに限らず、一般的にパダンの人たちは、戦略的に考えて物事を進めるということが苦手なようです。つまり、原理原則みたいなところから、演繹的に個別具体的なことへと順に段取りしていくという発想があまり見受けられないのです。何でも行き当たりばったりな感じ。
 でも、やる事が決まってはっきりしてさえいれば、なかなかいい仕事をしたりもするのです。

 会場の一角に池を掘って、鹿威しを拵え、その一角を公園にしちゃったことには、ちょっと感心しました。他にも、ちょっと手間がかかり過ぎるんじゃないかと見ていた飾り作りも、人海戦術でやってしまったり。
 どうも私が思っていた以上に、学生たちは文化祭のために努力しているようでした。確認しなかったけど、開催日直前には学校に泊まり込んだ子もいたようです。
 そういうのを見ると、そこまでしてるんならと、もっと効率のいい力の使い方をさせてあげたくなります。
 来年は口出しが多くなってしまうかな。

No.87 早起きは三文の得(2016.05.01)

2016-05-01 10:16:05 | No.81~No.90
 日本での直接の友人たちはたいてい知ってるでしょうけれど、私はかなり夜型。日付が変わる前に寝てるなんてのは珍しいぐらいです。
 そんな私ですが、パダンに来てからはあまり夜更かししていません。なぜかって、時差があるおかげ。日本より2時間遅いですから、日本で夜中0時でもこちらはまだ10時なのです。

 時差の話は冗談ですが、パダンの生活は朝が早いのです。
 例えば、小学校は7時ごろから授業が始まります。私の知る限り、インドネシアの公立学校は全て国立ですが、各学校にかなりの程度裁量権があるようです。ですから、学校によって異なるでしょうが、私が知っているいくつかの小学校は7時からです。
 私の大学でも、1コマ目は7時30分から始まります。日本の大学はたいてい9時からですから、1コマ分早いわけです。

 こんな風に朝が早い理由の一つに、イスラムの影響がありそうです。イスラムでは1日5回の礼拝がありますが、その1回目は夜明け前。
 こちらでは5時ごろにアザーン(礼拝の呼びかけ)がモスクのスピーカーで行われます。まだパダンの生活に慣れない頃は、その声で起きていました。
 夜明けの時刻は6時過ぎですが、礼拝はそれまでに済ませなければなりませんから、アザーンが5時ごろになるのです。断食月だと、朝食(?)の呼びかけが4時台にあります。
 最近はもう慣れてしまって、アザーンで起きることはほとんどなくなりました。もちろん、聞こえてはいますけどね。

 先日、ユリとその連れ合いのアンディに誘われて、あるイベントを見に行ってきました。
 はじめに誘われたとき、「6時からだよ」と言うから、夜にかかるような妙な時間にイベントをするんだなと思ったら、朝の6時からでした。それはそれで、早すぎる気がしたんですが…。

 当日、6時過ぎに会場に着いた時には、すでに大勢の人が集まっていました。
 このイベントは、ある通信会社のプロモーションのイベントのようでしたが、”Fun Walk”と横断幕にあって、みんなでウォーキングをしようということのようでした。
 まずは準備運動(?)。ラジオ体操みたいに、音楽に合わせて、軽い体操が始まりました。
 単に、これまで私が知らなかっただけで、ラジオ体操みたいに「定番」として普及しているのでしょうか?
 動きを見ていると、舞台のインストラクターらしい人が見えないor見てない人でも同じ動きをしているので、定番の体操のようでもあります。でも、動きの怪しい人も多いので、ラジオ体操ほど普及しているようでもありません。
 ラジオ体操は3分程度ですけど、なんか妙に長いんですね。合計で15分ぐらいしてたんじゃないでしょうか。
 そしていつものことですが、こういう段階で集まって来てるのは、女性の方が多い。そして、男性はとにかく喫煙率が高い。体操やウォーキングをするんだったら、まずは会場からタバコを排除すべきだと思うんですがねぇ。

 長~い準備運動が終わって、広場の周辺の道路へと流れていきます。ウォーキングと言うよりは、練り歩くという感じ。
 歩道が整備されているわけではありませんから、デモのように車道を歩いていきます。会社の宣伝だから、一種のデモと言えなくもないかな。道を塞ぐので、まだ交通量の少ない時間にしなきゃいけないってことでしょうか。
 始めの広場からはまとまって出ていったのに、やがて三々五々に分かれていって、スタートの広場へ戻っていきました。


 朝食をとって、ぶらぶら散歩して、いくらか時間を潰してると、メイン・イベントらしい抽選会が始まったのが8時半ごろ。
 新サービスの宣伝ですし、こうしたイベントの成否はまず動員数で測られるようですから、モノで人を釣るのですね。事前にイベント用のTシャツも配られていたようです。
 この頃になると、いつの間にか男性も増えてて、会場内の男女比は同じぐらいになっていました。
 めでたくユリが当選して、ミキサーをもらっていました。
 9時過ぎにはもう飽きちゃったし、元来が人の集まって騒がしい所が好きではないので、先に帰ってしまって、イベントのその後はわかりません。
 その時間には、もうかなり暑くもなってきていました。朝のまだ涼しいうちに動いておくというのは、パダンや、日本でも夏場なら、合理的なことですね。

No.86 パリアマン(2016.03.30)

2016-03-30 23:29:23 | No.81~No.90
 先月から今月にかけて、なぜか続けて3度もパリアマン(Pariaman)へ行くお誘いを受け、行ってきました。パリアマンは、パダンから直線で45kmほど北に位置する海岸の町です。
 パリアマンは、きれいな海岸と、tabuikというお祭りが見所ですが、tabuikの開催時期ではなかったので、今回は3度とも海岸が目当てということでした。
 どんな海岸かは、私の駄文よりも写真を見ていただいた方が、はるかにいいでしょう。

 パリアマンへは、パダンから汽車で約1時間半です。上下線(と言っていいのかな?)とも1日4本。
 パダン発は5時45分、9時00分、14時00分、17時10分。パリアマン発は6時05分、9時20分、14時20分、16時20分です。1日に4本しかありませんから、単線です。
 パダンとパリアマンの中間に空港があって、空港行きの路線がもうすぐ開通になるだろうことは、No.83で書きました。
 列車は機関車が1両、客車が5両の編成で、全席指定のようです。切符には座席番号が印字してあるし、便によってはすぐに売り切れるので、切符売り場がものすごく混雑したりするんですよ。1人で4枚までしか買えないという制限もあります。それなのに、なぜか車内で立ってる人も少なからずいるのです。
 料金はどこから乗って、どこで降りても5000ルピア(約43円)です。

 1回目、2回目は、切符が売り切れていて汽車に乗れず、バスでパリアマンへ行きました。バスでも時間はあまり変わりません。料金は15000ルピアと汽車の3倍です。
 地図上の直線では45km程度で、パダンからパリアマンまで海岸がつながってるんですが、パダンから北への幹線道路は峠を通って高原の町ブキッティンギへと行くので、海岸沿いには行けないのです。実際の道のりは60~70kmぐらいでしょうか。
 海岸沿いの道も建設計画はあるようですが…。

 パリアマンの海岸は、観光地になっているだけあって、パダンよりもごみが少ないようです。2013年に清潔な町として表彰を受けた記念碑が建っていました。
 遊泳禁止というわけではないはずですが、海で泳いでいる人はほとんどいません。
 西スマトラの人たちは、イスラムの影響で、水着を着るということがほとんどないようです。平装で構わず海へ入っていく人もいますが、普通は裾をまくって膝まで海に入る程度です。

 沖合には島が点在していて、渡し船が往来しています。2回目に行った時には、私も島まで行ってきました。
 砂浜から船に乗るので、足元が濡れてしまいます。私なんかは平気ですけど、女性客だって多いし、観光地として恒常的に渡し船を営業するんだから、桟橋を作ればいいのに、と思っていたのです。
 島に着いてみると、立派な桟橋があったのです。う~ん、なんで両側共に作らないんでしょうねぇ。しかも、帰りはなぜか砂浜からの乗船。せっかくの立派な桟橋がもったいないような…。

 パリアマンの名物は、海岸だけあって魚介類。カニやエビ、タチウオなどを丸ごと天ぷらのように衣を付けて揚げたものが屋台などで売られています。
 レストランではnasi sekという、バナナの葉っぱでご飯を包んだものが供されていますが、よくあるパダン料理と大した違いがあるようには思えません。

 3回とも学生たちと一緒に行きましたから、私1人だけ冷たいビールを、ということはしませんでしたが、飲み物は南国のビーチらしくヤシの実ジュース。
 おそらく、ヤシの実ジュースをストレートで飲むと、たいていの日本人の口には「不味い」と感じられるでしょう。スポーツドリンクのVAAMを薄めて少し酸味を加えたような味でしょうか。赤道直下の炎天下で、常温のジュースならなおさら美味しくない。
 まあ、実際は砂糖で甘みを付けて、氷も入れてもらいますから、とっても美味しいです。こっちの人だと、練乳を入れる人も多いようです。
 実の内側はゼリー状の果肉があって、それはスプーンで掬って食べます。
 水分だからごく一時的ですが、ヤシの実1個でお腹いっぱいになりますね。

 すでに書いたように、海まで行っても泳いだりはしませんでした。じゃあ何をしてたかって、一言で言うとのんびりしてました。
 一緒に食事して、写真撮って、おしゃべりして。ギターを持参してきた学生もいて、みんなで歌ったり。スイカ割りもしました。
 きれいな景色を見て、のんびりして。なかなか贅沢な休日ですね。

No.85 スマトラ島沖で起こった地震(2016.03.13)

2016-03-13 21:55:42 | No.81~No.90
 すこし日が経ってしまいましたが、3月2日のことです。日本でもニュースになりましたから、ご存知の方も多いでしょう。
 こちらの現地時間で2日の19時49分ごろ、パダンの約800km沖のインド洋を震源とする、マグニチュード7.8の地震が発生しました。

 地震発生時、すでに夜になっていましたし、私は自宅に居りました。私の自宅というのは、大学の宿舎で、海岸からすぐ近くにあります。
 揺れ方から、かなり遠くのやや大きい地震かな?と思いました。揺れの大きさとしては、せいぜい震度2程度でしょうが、揺れの波長がずいぶん長い感じだったのです。

 およそパダン周辺では被害は出そうもない感じでしたが、一応情報だけは見ておこうと、USGSのサイトにアクセスしました。
 私が初めに見た時には、まだ情報が更新されていませんでした。マグニチュード4.5未満の地震はそもそも情報が掲載されませんし、こちらの回線は貧弱で、サイトの読み込みが重いのです。
 それで、しばらくしてからもう一度見ることにして、のん気に構えていました。そうしてると、facebookのタイムラインに、何人か地震のことを投稿したのが流れてきたのです。
 それによると、マグニチュード8を超えるような地震で、津波の恐れがあるということでした。本当か?と思って、もう一度USGSを見てみると、ちょっと顔が青ざめるような思いでした。
 震源までおよそ800kmで、2時間程度の猶予はありそうだけど、津波が発生していればモロに被ることになりそうです。

 ちょうど宿舎の管理人のおばさん(ご夫婦で隣に住んでます。以下、寮母さんとします)が、「さっき地震があったろ?津波警報が出てるぞ。どうするんだ?」と言いに来たので、「ネットで見て知ってます。山側に住んでる友人のとこに避難して、安全が確認できたら帰ってきますよ。」と答えました。
 寮母さんは、私の部屋にテレビが無いことを知っているので、心配してくれたんですね。寮母さんもお連れ合いと、知り合いのところへ避難するつもりだということでした。

 津波の高さを10~15mと想定すると、最低でも標高20mぐらいのところまでは行かなきゃいけないでしょう。となると、バイパスと呼ばれている道路辺りになります。
 バイクで行けば、どうということはないと思ったのですが…。

 途中まではスムーズに行けたのですが、まだバイパスまで距離があるという所で、大渋滞につかまってしまいました。
 こういう時に限らず普段からよくある事なんですけど、交差点などで込み合ってると、車もバイクも、周りの流れや進行方向なんてお構いなしに、ちょっとでも隙間があればそこに入ろうとするんですね。それで、角付き合わせて進むも退くもできなくなっちゃうのです。
 おそらく、行く先の交差点でそういうことになったのでしょう。全く動かなくなってしまったのです。時間の制約がなければ、歩いても行けるけど、道の真ん中にバイクを置いていくわけにもいかないし。

 そういう状況で、周りの様子はというと、案外落ち着いた感じでした。怒号が飛び交うでもなく、切迫感みたいなのはあまりなくて、談笑してる人もありました。
 通話やメールは試しませんでしたが、スマホでネットは繋がっていて、facebookなどのSNSは使えました。
 津波の情報があるとすれば、パダンの150kmほど沖に点在する島々での観測情報が第一でしょう。そこまでの到達時間の3分の1から4分の1程度の時間で、パダンまで津波が来ることになります。

 そうこうしているうちに、広報車が回ってきました。初めは遠いし何を言っているのか全然わかりませんでしたが、周りの反応から、津波の危機が迫っているということではない、とだけはわかりました。
 ようやく聞き取れたのは、「津波警報が解除になったから、みんな落ち着いて家に帰りましょう」ということでした。

 今回は幸運なことに、地震でも津波でも全く被害は出ませんでした。その結果から言えば、いい避難訓練になったと言えるでしょう。私としても、反省することがいくつもありました。
 一番は、避難経路の見直しですね。私個人のこととしてもそうですし、標高40~50mぐらいの所に住んでる人たちも、ほぼ避難の必要はないのに、さらに高所へと動いたみたいなんですね。渋滞が酷くなった一因でしょう。
 地震の発生が夜中の寝ている時だったら、揺れにも警報にも気づかなかったかもしれません。
 津波到達までの時間的猶予がもっと短かったら?雨天だったら?と、あり得る条件を色々考えておかなきゃならないでしょう。

 何人もの方から、メールなどをいただきましたが、この通り無事でした。私なんかのことを気にかけていただいて、ありがとうございました。