ジョージのインドネシア体験記

パダン(Padang)という、インドネシア、西スマトラの地方都市での生活体験記。

No.68 子孫の未来(11.04.11)

2011-04-11 23:50:47 | No.61~No.70
 久しぶりの更新です。書きかけのネタもあったし、日本に帰国している間に書こうと思っていた事もあるのですが、東日本が未曾有の災害に見舞われているこの時に、いつもの調子で愚にもつかないことを書き連ねるなんてのは、いかに私が世間離れしているにしても、あまりにもという気がするし、かと言って、時事評みたいなことになるなら、書かない方がマシ。で、ブログを続けるか迷っていたのです。

 阪神淡路大震災があったのは私が高校2年の時でした。おととしの9月にはパダンで震災がありました。今回の東日本の大震災は、今まで私が目にしてきた2つの震災とはまるで様相が違うように感じます。規模だって桁違いに大きい。

 普段はテレビなんてあんまり見ることもないのですけれど、地震から2週間ぐらいはずっとテレビにくぎ付けでした。いや、テレビよりはむしろネットでしょうか。とにかく現状でなにが起こっているのか、どうなっているのか知りたかった。
 今思えば、過去の震災の時もそうだったなと思うのですが、こういう時って、被災地から離れた方が冷静でいられるからか、交わされる情報が正確で信憑性があるという傾向があるようです。
 被災して停電していたりすれば、テレビなどは見れませんし、通信手段も限られますから、自分の目で見える範囲以上のことが分からなくなってしまいます。
 マスコミで流れる情報も、日本のメディアよりも海外のメディアのものの方が質が高いようでした。けれど、現場から遠くなれば、それだけ情報の絶対量は減ってしまいます。
 動画サイトなんかには一般の人からの投稿も数多くあります。こういうのを見ていると、大手メディアの情報がいかにスポンサーに左右されているのかってのも見えてくるようです。

 雑多に色々見ていく中で、引っかかった言葉がありました。と言いつつも正確な表現は忘れてしまいましたが、「団塊の世代というのは、祖先を冒涜し、子孫の未来を収奪する世代だ」というもの。
 ネット上のことですから、推察でしかありませんが、20代かそれ以下の人の発言でしょうか。「ゆとり」なんて言われる世代の人かもしれません。
 私は第二次ベビーブームよりは少し下の生まれですが、両親が団塊ということでは団塊ジュニアです。ジュニアとしておこぼれに与ってきたという面もあるし、個々では尊敬できる人もたくさんいるし、簡単に一言では言えない思いもありますが、やっぱりそうだよなぁと、頷いてしまいます。私は団塊世代を「みんなで赤信号を渡る世代」なんて言ったことはありました。

 どうやら以前からネットではそういう言い方がなされていたようではあるけれど、原発の事故に際して、東京電力の幹部の中にも、首相はじめ政府の要人にも団塊の世代の人が多いことから言われたことのよう。
 上に書いた「ゆとり世代」って、学識が無いとかってバカにされることも多いようですが、それは彼女ら/彼らの責任ではなく、子どもの間に教育を受ける権利を奪われてきたってことでしょ?
 その上社会に出ても、小さなパイを奪い合わざるを得ないし、「ゆとり」なんてバカにされるし、踏んだり蹴ったり。年配の連中は終身雇用と年功序列が堅守され、それに退職後の年金までしっかり確保されているというのに!

 事故から1か月が過ぎても、原発の状況は予断を許しませんが、もし仮に事故が無かったとしても、原発は稼働すれば死の灰を作り続けます。低レベル放射性廃物で300年、高レベル放射性廃物は何万年もの間、ずっと管理し続けなければなりません。
 300年前と言えば江戸時代。江戸は世界一クリーンな都市と言われていました。ユゴーがレ・ミゼラブルの中で、パリは莫大な金を下水道に流していると嘆いた頃、私たちの祖先は循環型の社会を試みていたわけです。
 2千年ほど前の邪馬台国なんかの時代の貝塚でも発見されれば、学術的な価値はもちろん、一般人でもロマンを駆り立てられるなんてなるでしょうが、我々が出した核のゴミは2千年後に生きる人も否応なく管理し続けねばなりません。もちろん、負担こそあれ、それで電力が得られるわけもない。
 そして、そこからさらに2千年を遥かに超えた先の未来まで、そのゴミを引き継がねばならない。

 日本が民主的な国だというならば、国の責任はすなわち国民一人ひとりの責任でもあるはずです。団塊が、ジュニアが、と言っても、後世からすれば目くそ鼻くそかもしれません。
 今を生きる者として、遠い過去と遠い未来を繋ぐことができるのか。自信のないことです。

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