パダンでは日本人は珍しいせいか、ぶらぶらしてたりすると、声をかけられることがよくあります。
知らない人を呼ぶ時、インドネシア語では、お兄さん、お父さん、おじさん、おとうと、とかって意味の単語を使います。だいたい、相手の見た目の年齢で使い分けます。日本語でも「兄ちゃん」とか「おじさん」て使うのと同じですね。
そういう呼ばれ方をすれば、ふつうは知らない人ですから、適当に挨拶を返して終わり。何かつづけて話してくることもあるけど、インドネシア語だってあんまりわからないのに、そういう時に限って、ミナン語(パダンを含む西スマトラのミナンカバウ族の言葉)のことが多くて、全然わからない。
名前で呼ばれたり、先生って呼ばれれば、知っている人のはずなんですけど、「え?誰だっけ?」みたいなことも、しょっちゅう。自慢にならないけど、私は人の顔と名前を覚えるのが苦手。先生って呼び方をするのは、私が教えている生徒でなくても、日本語をどこかで勉強している子がよく使います。
ここからは、ちょっと言い訳。
パダンで日本人は珍しいから、私のことはすぐに覚えてもらえるようですが、私からすれば、みんな同じインドネシア人ですからね。これが、人の名前を覚えられない最たる理由。しかも、この前の文化祭の時みたいに、いっぺんにたくさんの人と会うことも多いのです。こうなると、もう、よっぽど印象に残った人でないと覚えられない。
インドネシア人は一般に名字を持ってない、というのもあります。普段は、たいてい2音節の愛称で呼びます。たとえば、アミ、アデ、トゥティ、ディアン、ララ、リカ、といった感じ。フルネームは、よっぽど公式の場でないと出てきません。しかも、愛称がフルネームの一部とは限らないのです。それで、同名となる人が多い。上に挙げた名前は、すべて私の友人の名前ですが、それぞれ2人以上います。
今のところ、私の知り合いで同名の人が同じ場にそろって、ということはありませんが、以前、藤井さんのおつれ合いのアユさんの教室で、3人が同名ということがあったそう。そういう時は、背の高い○○とか、ジルバブ(イスラムの女性がかぶる頭巾)を使っている○○、などと区別するようです。
インドネシア人のフルネーム、たとえば、ユドヨノ大統領のフルネームはスシロ・バンバン・ユドヨノだそうですが、姓・名ではないのに名前が並んでいるように見えるので、親の名前を使うのかとも思って、何人かに聞いてみたことがあります。ミナンカバウ族は母系の民族なので、母親の名前を付けているのか、イスラムだから父親の名前をとってくるのか、と聞いたんですが、どうもはっきりしない。どっちもあり得るし、あんまり名前にこだわりがない、という感じで、まだよくわかりません。普段使っている愛称も、日本人が使うあだ名と同じで、学校と職場で違うなんてことがあるそう。
名前で呼んでくれば、誰かは思い出せなくても、ほぼ知り合いだと判断できます。こっちに来たばかりのころは、新しく知り合った人には名字で名乗っていました。これだと、私の場合2文字ですから、こっちの人も呼びやすいよう。でも、私自身が名字で呼び捨てにされることに、なんとなく違和感がある。
それで、最近は「ジョージ」と下の名前で名乗るようにしたんですが、こっちの人にとってはうまく聞き取れないし、発音も難しいようです。何度か「ジョージだ」と言ってもダメなときは、書くか、名刺をわたします。Georgeとなれば、相手も納得した顔をする。
でも、発音はrが巻き舌になるので、「ジョルゲ」みたいに、フランス語とドイツ語を混ぜたみたいな感じ。「ホルゲ」とスペイン語みたいに発音する人もいました。でも、英語的にジョージとなる人は、なぜか皆無。まあ、いろんな呼ばれ方することを楽しむことにしましょう。ただ、パスポートと同じくJojiと書けば、だいたい「ジョージ」に近くなるようですが、この書き方はダサいから、極力使いたくない。
引っ越してきたとき、近所の、町会長のようなおじさんには名刺をわたして、フルネームで名乗りました。後日会った時に、こっちを向いて大声で「ヨルギ!」。名字と名前がごっちゃになったのでしょうか。誰だ、それ?
知らない人を呼ぶ時、インドネシア語では、お兄さん、お父さん、おじさん、おとうと、とかって意味の単語を使います。だいたい、相手の見た目の年齢で使い分けます。日本語でも「兄ちゃん」とか「おじさん」て使うのと同じですね。
そういう呼ばれ方をすれば、ふつうは知らない人ですから、適当に挨拶を返して終わり。何かつづけて話してくることもあるけど、インドネシア語だってあんまりわからないのに、そういう時に限って、ミナン語(パダンを含む西スマトラのミナンカバウ族の言葉)のことが多くて、全然わからない。
名前で呼ばれたり、先生って呼ばれれば、知っている人のはずなんですけど、「え?誰だっけ?」みたいなことも、しょっちゅう。自慢にならないけど、私は人の顔と名前を覚えるのが苦手。先生って呼び方をするのは、私が教えている生徒でなくても、日本語をどこかで勉強している子がよく使います。
ここからは、ちょっと言い訳。
パダンで日本人は珍しいから、私のことはすぐに覚えてもらえるようですが、私からすれば、みんな同じインドネシア人ですからね。これが、人の名前を覚えられない最たる理由。しかも、この前の文化祭の時みたいに、いっぺんにたくさんの人と会うことも多いのです。こうなると、もう、よっぽど印象に残った人でないと覚えられない。
インドネシア人は一般に名字を持ってない、というのもあります。普段は、たいてい2音節の愛称で呼びます。たとえば、アミ、アデ、トゥティ、ディアン、ララ、リカ、といった感じ。フルネームは、よっぽど公式の場でないと出てきません。しかも、愛称がフルネームの一部とは限らないのです。それで、同名となる人が多い。上に挙げた名前は、すべて私の友人の名前ですが、それぞれ2人以上います。
今のところ、私の知り合いで同名の人が同じ場にそろって、ということはありませんが、以前、藤井さんのおつれ合いのアユさんの教室で、3人が同名ということがあったそう。そういう時は、背の高い○○とか、ジルバブ(イスラムの女性がかぶる頭巾)を使っている○○、などと区別するようです。
インドネシア人のフルネーム、たとえば、ユドヨノ大統領のフルネームはスシロ・バンバン・ユドヨノだそうですが、姓・名ではないのに名前が並んでいるように見えるので、親の名前を使うのかとも思って、何人かに聞いてみたことがあります。ミナンカバウ族は母系の民族なので、母親の名前を付けているのか、イスラムだから父親の名前をとってくるのか、と聞いたんですが、どうもはっきりしない。どっちもあり得るし、あんまり名前にこだわりがない、という感じで、まだよくわかりません。普段使っている愛称も、日本人が使うあだ名と同じで、学校と職場で違うなんてことがあるそう。
名前で呼んでくれば、誰かは思い出せなくても、ほぼ知り合いだと判断できます。こっちに来たばかりのころは、新しく知り合った人には名字で名乗っていました。これだと、私の場合2文字ですから、こっちの人も呼びやすいよう。でも、私自身が名字で呼び捨てにされることに、なんとなく違和感がある。
それで、最近は「ジョージ」と下の名前で名乗るようにしたんですが、こっちの人にとってはうまく聞き取れないし、発音も難しいようです。何度か「ジョージだ」と言ってもダメなときは、書くか、名刺をわたします。Georgeとなれば、相手も納得した顔をする。
でも、発音はrが巻き舌になるので、「ジョルゲ」みたいに、フランス語とドイツ語を混ぜたみたいな感じ。「ホルゲ」とスペイン語みたいに発音する人もいました。でも、英語的にジョージとなる人は、なぜか皆無。まあ、いろんな呼ばれ方することを楽しむことにしましょう。ただ、パスポートと同じくJojiと書けば、だいたい「ジョージ」に近くなるようですが、この書き方はダサいから、極力使いたくない。
引っ越してきたとき、近所の、町会長のようなおじさんには名刺をわたして、フルネームで名乗りました。後日会った時に、こっちを向いて大声で「ヨルギ!」。名字と名前がごっちゃになったのでしょうか。誰だ、それ?