以前にも少し書いたと思いますが、今の私の趣味は囲碁。2006年、28歳の時に始めたので、今年で6年目になります。
日本では、地味で年寄りの趣味みたいなイメージのある囲碁ですが、スポーツのアジア競技大会で正式種目になるなど、海外では「(頭脳)スポーツ」というイメージで捉えられているようです。
実際やってみれば、スポーツと同じで、子どもの時からやってればよかったなぁというのが私の実感。歳をとってからでも、できなくはないんだろうけど、かなりシンドイだろうな。
近年、ヨーロッパでは囲碁が広まってきていると聞いたことがありますが、真相は知りません。インドネシアでは、残念ながら囲碁を知る人は少なくて、ボードゲームと言えば、チェスが最もポピュラーなようです。
日本では囲碁がスポーツだというイメージはあまりありませんけど、故藤沢秀行名誉棋聖が「碁は芸である」と言っていますし、古来から琴棋書画といって、君子の嗜むべき芸事の一つでした。競技性ということよりも、芸術性がより重視されていたのかもしれません。
とは言っても、江戸時代には家元制度が作られました。今でいえばプロ組織ですね。囲碁の発祥は中国ですが、20世紀以前にこのような制度があったのは日本だけです。
まあ、勝ち負けに生活がかかっているプロは別として、アマの大半の人は大会に出ることもほとんどないだろうし、競技だとか芸だとか気にせず「趣味として楽しく打てればそれでいい」ってような人が多いんじゃないかなと思います。
囲碁に限らず、「趣味でやってる程度だから、下手くそで人には見せられない」なんて言う人って多いですよね。本人が楽しんでいればそれでいいとも言えるけれど、芸って人に見てもらってこそのものだと思うのです。
音楽にしても書道や絵画にしても、人に鑑賞されてこそのものでしょ。せっかくやってるのに、人に見せられないんでは、はたして本当に本人も楽しめてるのかどうか。
何か芸を習うときに、人に鑑賞してもらうというのは一つの目標になるものだと思うのですけれど、逆に、上手な人のを鑑賞するということは、練習の王道ですよね。上手い人のを見て、それを真似ることは、上達には欠かせないでしょう。
音楽や絵画のことはよくわかりませんが、囲碁に関して言えば、人のを鑑賞して上手い人のを真似るという、この練習の基本が難しいのです。
今の私の棋力はアマ2段から3段ぐらい。ですが、私程度ではプロの作品の鑑賞、つまり棋譜並べをしても、解説なしではさっぱりわからない。自分よりちょっと強いぐらいの人のだったら、着手の意図が読めたりしますが、プロレベルのは何が何だか。
音楽や絵画だったら、シロウトはシロウトなりに鑑賞して楽しむこともできますが、碁ではそれは難しい。碁は入門に大きな壁があると言われる原因の一つかもしれません。
もちろん、何にしろ、クロウトでなければ見えない、わからないというのも大いにあるはずですけれど。
1局通しては無理でも、部分的にはプロの打ち方を真似ることはできます。「定石」ですね。
でも私を含め、多くのアマは「定石を覚えて二目弱くなり」なんてことになりがち。部分的には手筋でも、全局との関係の中で打てなければ、「定石打って碁に負ける」。
あ、これって、「理に適えども悟りに非ず」ですね。
囲碁界ではプロとアマの隔たりってものすごく大きくて、プロの人達はもちろん対局もするし、碁の研究もするんですけれど、一方で普及活動とかアマの指導もしています。
級位者の指導とか、普及活動とかまでするのは、ちょっとプロの負担が大きすぎるという気がするのです。
そういうのをしたいっていうアマ高段者ってたくさんいるはずです。現に、私はほとんどネットでしか碁をしませんが、親切に教えてくれる人がたくさんいます。
日本棋院はお金を出しさえすればもらえるような免状を濫発するより、アマ高段者からインストラクターやセミプロみたいなのを養成する方がいいんじゃないかなと思うのです。
頂上に土寄せして高くしてもすぐ崩れるけど、裾野を広げれば山は自然と高くなるはずです。
競技であり芸術でもある、ユニークな日本の伝統文化の碁。ファンの一人として、もっと盛んになれば嬉しいですね。
最後に、明日から3週間ほどパダンへ行って来ます。
日本では、地味で年寄りの趣味みたいなイメージのある囲碁ですが、スポーツのアジア競技大会で正式種目になるなど、海外では「(頭脳)スポーツ」というイメージで捉えられているようです。
実際やってみれば、スポーツと同じで、子どもの時からやってればよかったなぁというのが私の実感。歳をとってからでも、できなくはないんだろうけど、かなりシンドイだろうな。
近年、ヨーロッパでは囲碁が広まってきていると聞いたことがありますが、真相は知りません。インドネシアでは、残念ながら囲碁を知る人は少なくて、ボードゲームと言えば、チェスが最もポピュラーなようです。
日本では囲碁がスポーツだというイメージはあまりありませんけど、故藤沢秀行名誉棋聖が「碁は芸である」と言っていますし、古来から琴棋書画といって、君子の嗜むべき芸事の一つでした。競技性ということよりも、芸術性がより重視されていたのかもしれません。
とは言っても、江戸時代には家元制度が作られました。今でいえばプロ組織ですね。囲碁の発祥は中国ですが、20世紀以前にこのような制度があったのは日本だけです。
まあ、勝ち負けに生活がかかっているプロは別として、アマの大半の人は大会に出ることもほとんどないだろうし、競技だとか芸だとか気にせず「趣味として楽しく打てればそれでいい」ってような人が多いんじゃないかなと思います。
囲碁に限らず、「趣味でやってる程度だから、下手くそで人には見せられない」なんて言う人って多いですよね。本人が楽しんでいればそれでいいとも言えるけれど、芸って人に見てもらってこそのものだと思うのです。
音楽にしても書道や絵画にしても、人に鑑賞されてこそのものでしょ。せっかくやってるのに、人に見せられないんでは、はたして本当に本人も楽しめてるのかどうか。
何か芸を習うときに、人に鑑賞してもらうというのは一つの目標になるものだと思うのですけれど、逆に、上手な人のを鑑賞するということは、練習の王道ですよね。上手い人のを見て、それを真似ることは、上達には欠かせないでしょう。
音楽や絵画のことはよくわかりませんが、囲碁に関して言えば、人のを鑑賞して上手い人のを真似るという、この練習の基本が難しいのです。
今の私の棋力はアマ2段から3段ぐらい。ですが、私程度ではプロの作品の鑑賞、つまり棋譜並べをしても、解説なしではさっぱりわからない。自分よりちょっと強いぐらいの人のだったら、着手の意図が読めたりしますが、プロレベルのは何が何だか。
音楽や絵画だったら、シロウトはシロウトなりに鑑賞して楽しむこともできますが、碁ではそれは難しい。碁は入門に大きな壁があると言われる原因の一つかもしれません。
もちろん、何にしろ、クロウトでなければ見えない、わからないというのも大いにあるはずですけれど。
1局通しては無理でも、部分的にはプロの打ち方を真似ることはできます。「定石」ですね。
でも私を含め、多くのアマは「定石を覚えて二目弱くなり」なんてことになりがち。部分的には手筋でも、全局との関係の中で打てなければ、「定石打って碁に負ける」。
あ、これって、「理に適えども悟りに非ず」ですね。
囲碁界ではプロとアマの隔たりってものすごく大きくて、プロの人達はもちろん対局もするし、碁の研究もするんですけれど、一方で普及活動とかアマの指導もしています。
級位者の指導とか、普及活動とかまでするのは、ちょっとプロの負担が大きすぎるという気がするのです。
そういうのをしたいっていうアマ高段者ってたくさんいるはずです。現に、私はほとんどネットでしか碁をしませんが、親切に教えてくれる人がたくさんいます。
日本棋院はお金を出しさえすればもらえるような免状を濫発するより、アマ高段者からインストラクターやセミプロみたいなのを養成する方がいいんじゃないかなと思うのです。
頂上に土寄せして高くしてもすぐ崩れるけど、裾野を広げれば山は自然と高くなるはずです。
競技であり芸術でもある、ユニークな日本の伝統文化の碁。ファンの一人として、もっと盛んになれば嬉しいですね。
最後に、明日から3週間ほどパダンへ行って来ます。
AMIは、7月17日から31日までちょうど2週間私の家にいました。今は、パダンにおられるようで羨ましいかぎりです。私も来年2月に両親と妹を引き連れてパダンに行く予定にしています。今回は3週間という短い期間なのですね。。何か特別な理由でも???
長期間、更新をサボっていました。
約束していた就労ビザの取得手続きが滞っていて、今回はその催促のために到着ビザで来ました。
なかなか思うように事は運んでくれないようです。
日本に帰ってきたら、農業を一緒に見学に行ってほしいという人と囲碁を一緒にやりたい人が見つかったので、よろしくお願いいたします。
って、ここに書くなよ、って感じですが。
ところで、
写真は平飼いのうさぎ?と主人が言ってますが、どう見ても鳥ですよね???
にわとり?ではないかな??
写真は、いわゆるブロイラー。
本文とはほとんど関係ありませんね(今までもそういうの多かったと思います)。
ま、私の棋力はまだまだヒヨッコだってぐらいのコジツケで・・・。