日本では聞かれることなんてまずありませんが、パダンでは知り合った人から「宗教は何?」って聞かれることがよくあります。
長期滞在の外国人登録でも、「宗教」って欄があって、何か書かなきゃいけない。
私の自覚の上では本当は違うのだけれど、めんどくさいから仏教だと答えることにしています。普通はそれだけで、それ以上聞かれることはありません。年齢を聞かれる程度の事として、宗教が何かって聞かれることが多いようです。
ある程度仲良くなった人や、異文化に興味のある人とかでしょうか、時々ちょっと突っ込んで聞いてくる人もあります。
宗教の話って、相手によってはデリケートな話題になるので、藪をつついて蛇を出すのが怖くて、できればあまり触れたくない話題ではあります。NGOでも政治と宗教に関わらないのが鉄則だといいます。まさに、触らぬ神にたたりなし。
かと言って聞いてくるのを無視するわけにもいきませんから、何かしら答えることになるのですけれど、私の乏しいインドネシア語能力では説明が難しい。それを理由にお茶を濁すこともありますが、観念せざるを得ないこともあります。
私に宗教のことを聞いてくるぐらいだから、ある程度日本のことに興味があったり、すでに知ってて、私が仏教だって言うと「日本の宗教は神道じゃないの?」。私の答えはいい加減なものですから、「神道もあるけど、仏教と混ざってるんだ」。
「礼拝はどうしてるんだ?パダンだと、どこに行くんだ?」なんて聞かれることもありますが、「イスラムじゃ1日5回礼拝するけれど、日本の仏教は坊さん以外は葬式の時ぐらいだ」なんて答え方ですから、このあたりで相手も諦めてしまいます。
仏教や神道について、いくらか予備知識があるなら、もうちょっとマシな答えもしようかと思うんですけれど、名前だけ知ってて中身を知らない場合がほとんどですから、私には上手い答え方も思いつきません。「なんていい加減な!」なんて思われれば、それが日本の宗教の実態に一番近いような気もしますし、下手な説明するよりもいいでしょう。
ところで、インドネシアは世界最大のムスリム人口を抱える国です。イスラム国家というのは、国家の運営をシャリーア(イスラム法)に基づいて行っている国々のことだそうですから、インドネシアはムスリムが多数を占めるイスラム教国ですが、イスラム国家ではありません。
私が初めてイスラムのことに興味を持ったのは、大学生の頃。英会話学校の広告で、「英語が話せれば、10億人と話ができる」ってようなコピーを見てからです。
世界で英語を話す人口よりイスラム人口の方が多いぐらいなのに、それほどの多数派の人たちのことについて、なんにも知らないままでいるのはよくないなと思ったのです。
それで、初めて読んだイスラム関係の本が、片倉もとこさんの『イスラームの日常世界』。
これがよかったんですよ。おかげでその後、イスラムについて、妙な先入観や拒否反応みたいなのを持つことがなくなったのは、幸運だったと思います。
大学の後輩に、おすすめの授業とか本とかがないか聞かれた時、宮田律の『現代イスラムの潮流』とかも挙げてたら、その1週間ほど後にアメリカの9.11が起こって、「すごいタイミングでしたね」なんて。
その後、本屋にイスラム関係の本がずらっと並ぶようになると、逆に私の興味は冷めてしまって、イスラムの勉強なんてとっくに卒業したみたいな顔してました。
それが何のご縁か天の思し召しか、イスラム圏で生活するようになったのだから、運命なんてわからないものです。
パダンでは、正確な数字はわからないけれど、おそらく人口の9割以上がムスリム。パダンはイスラムの社会と言ってもいいでしょう。
私はモスクって、日本の小学校の校区ぐらいの範囲に1つずつぐらいあるものだと思ってたのですが、○丁目ってぐらいの範囲に最低1つはあります。そこら中にあるという感じ。
日本では初詣やクリスマスでも宗教色は薄くて、宗教に関わるのは「行事」としてという感じですが、イスラムでは宗教は行事としてだけでなく、生活と密接に関わっています。
もちろん人によって程度の差はありますが、毎日の食事や服装からイスラム的であるかどうかが問題にされます。
イスラムは本来は異教徒に対して寛容です。敬意をもった付き合い方をすれば、無理に合わせる必要もありません。
例えばラマダン中、断食してる人たちの前で飲み物を飲んだりしても、咎められたりしません。ただ、一緒に断食したりすれば、喜ばれはしますけどね。
長期滞在の外国人登録でも、「宗教」って欄があって、何か書かなきゃいけない。
私の自覚の上では本当は違うのだけれど、めんどくさいから仏教だと答えることにしています。普通はそれだけで、それ以上聞かれることはありません。年齢を聞かれる程度の事として、宗教が何かって聞かれることが多いようです。
ある程度仲良くなった人や、異文化に興味のある人とかでしょうか、時々ちょっと突っ込んで聞いてくる人もあります。
宗教の話って、相手によってはデリケートな話題になるので、藪をつついて蛇を出すのが怖くて、できればあまり触れたくない話題ではあります。NGOでも政治と宗教に関わらないのが鉄則だといいます。まさに、触らぬ神にたたりなし。
かと言って聞いてくるのを無視するわけにもいきませんから、何かしら答えることになるのですけれど、私の乏しいインドネシア語能力では説明が難しい。それを理由にお茶を濁すこともありますが、観念せざるを得ないこともあります。
私に宗教のことを聞いてくるぐらいだから、ある程度日本のことに興味があったり、すでに知ってて、私が仏教だって言うと「日本の宗教は神道じゃないの?」。私の答えはいい加減なものですから、「神道もあるけど、仏教と混ざってるんだ」。
「礼拝はどうしてるんだ?パダンだと、どこに行くんだ?」なんて聞かれることもありますが、「イスラムじゃ1日5回礼拝するけれど、日本の仏教は坊さん以外は葬式の時ぐらいだ」なんて答え方ですから、このあたりで相手も諦めてしまいます。
仏教や神道について、いくらか予備知識があるなら、もうちょっとマシな答えもしようかと思うんですけれど、名前だけ知ってて中身を知らない場合がほとんどですから、私には上手い答え方も思いつきません。「なんていい加減な!」なんて思われれば、それが日本の宗教の実態に一番近いような気もしますし、下手な説明するよりもいいでしょう。
ところで、インドネシアは世界最大のムスリム人口を抱える国です。イスラム国家というのは、国家の運営をシャリーア(イスラム法)に基づいて行っている国々のことだそうですから、インドネシアはムスリムが多数を占めるイスラム教国ですが、イスラム国家ではありません。
私が初めてイスラムのことに興味を持ったのは、大学生の頃。英会話学校の広告で、「英語が話せれば、10億人と話ができる」ってようなコピーを見てからです。
世界で英語を話す人口よりイスラム人口の方が多いぐらいなのに、それほどの多数派の人たちのことについて、なんにも知らないままでいるのはよくないなと思ったのです。
それで、初めて読んだイスラム関係の本が、片倉もとこさんの『イスラームの日常世界』。
これがよかったんですよ。おかげでその後、イスラムについて、妙な先入観や拒否反応みたいなのを持つことがなくなったのは、幸運だったと思います。
大学の後輩に、おすすめの授業とか本とかがないか聞かれた時、宮田律の『現代イスラムの潮流』とかも挙げてたら、その1週間ほど後にアメリカの9.11が起こって、「すごいタイミングでしたね」なんて。
その後、本屋にイスラム関係の本がずらっと並ぶようになると、逆に私の興味は冷めてしまって、イスラムの勉強なんてとっくに卒業したみたいな顔してました。
それが何のご縁か天の思し召しか、イスラム圏で生活するようになったのだから、運命なんてわからないものです。
パダンでは、正確な数字はわからないけれど、おそらく人口の9割以上がムスリム。パダンはイスラムの社会と言ってもいいでしょう。
私はモスクって、日本の小学校の校区ぐらいの範囲に1つずつぐらいあるものだと思ってたのですが、○丁目ってぐらいの範囲に最低1つはあります。そこら中にあるという感じ。
日本では初詣やクリスマスでも宗教色は薄くて、宗教に関わるのは「行事」としてという感じですが、イスラムでは宗教は行事としてだけでなく、生活と密接に関わっています。
もちろん人によって程度の差はありますが、毎日の食事や服装からイスラム的であるかどうかが問題にされます。
イスラムは本来は異教徒に対して寛容です。敬意をもった付き合い方をすれば、無理に合わせる必要もありません。
例えばラマダン中、断食してる人たちの前で飲み物を飲んだりしても、咎められたりしません。ただ、一緒に断食したりすれば、喜ばれはしますけどね。