ジョージのインドネシア体験記

パダン(Padang)という、インドネシア、西スマトラの地方都市での生活体験記。

No.86 パリアマン(2016.03.30)

2016-03-30 23:29:23 | No.81~No.90
 先月から今月にかけて、なぜか続けて3度もパリアマン(Pariaman)へ行くお誘いを受け、行ってきました。パリアマンは、パダンから直線で45kmほど北に位置する海岸の町です。
 パリアマンは、きれいな海岸と、tabuikというお祭りが見所ですが、tabuikの開催時期ではなかったので、今回は3度とも海岸が目当てということでした。
 どんな海岸かは、私の駄文よりも写真を見ていただいた方が、はるかにいいでしょう。

 パリアマンへは、パダンから汽車で約1時間半です。上下線(と言っていいのかな?)とも1日4本。
 パダン発は5時45分、9時00分、14時00分、17時10分。パリアマン発は6時05分、9時20分、14時20分、16時20分です。1日に4本しかありませんから、単線です。
 パダンとパリアマンの中間に空港があって、空港行きの路線がもうすぐ開通になるだろうことは、No.83で書きました。
 列車は機関車が1両、客車が5両の編成で、全席指定のようです。切符には座席番号が印字してあるし、便によってはすぐに売り切れるので、切符売り場がものすごく混雑したりするんですよ。1人で4枚までしか買えないという制限もあります。それなのに、なぜか車内で立ってる人も少なからずいるのです。
 料金はどこから乗って、どこで降りても5000ルピア(約43円)です。

 1回目、2回目は、切符が売り切れていて汽車に乗れず、バスでパリアマンへ行きました。バスでも時間はあまり変わりません。料金は15000ルピアと汽車の3倍です。
 地図上の直線では45km程度で、パダンからパリアマンまで海岸がつながってるんですが、パダンから北への幹線道路は峠を通って高原の町ブキッティンギへと行くので、海岸沿いには行けないのです。実際の道のりは60~70kmぐらいでしょうか。
 海岸沿いの道も建設計画はあるようですが…。

 パリアマンの海岸は、観光地になっているだけあって、パダンよりもごみが少ないようです。2013年に清潔な町として表彰を受けた記念碑が建っていました。
 遊泳禁止というわけではないはずですが、海で泳いでいる人はほとんどいません。
 西スマトラの人たちは、イスラムの影響で、水着を着るということがほとんどないようです。平装で構わず海へ入っていく人もいますが、普通は裾をまくって膝まで海に入る程度です。

 沖合には島が点在していて、渡し船が往来しています。2回目に行った時には、私も島まで行ってきました。
 砂浜から船に乗るので、足元が濡れてしまいます。私なんかは平気ですけど、女性客だって多いし、観光地として恒常的に渡し船を営業するんだから、桟橋を作ればいいのに、と思っていたのです。
 島に着いてみると、立派な桟橋があったのです。う~ん、なんで両側共に作らないんでしょうねぇ。しかも、帰りはなぜか砂浜からの乗船。せっかくの立派な桟橋がもったいないような…。

 パリアマンの名物は、海岸だけあって魚介類。カニやエビ、タチウオなどを丸ごと天ぷらのように衣を付けて揚げたものが屋台などで売られています。
 レストランではnasi sekという、バナナの葉っぱでご飯を包んだものが供されていますが、よくあるパダン料理と大した違いがあるようには思えません。

 3回とも学生たちと一緒に行きましたから、私1人だけ冷たいビールを、ということはしませんでしたが、飲み物は南国のビーチらしくヤシの実ジュース。
 おそらく、ヤシの実ジュースをストレートで飲むと、たいていの日本人の口には「不味い」と感じられるでしょう。スポーツドリンクのVAAMを薄めて少し酸味を加えたような味でしょうか。赤道直下の炎天下で、常温のジュースならなおさら美味しくない。
 まあ、実際は砂糖で甘みを付けて、氷も入れてもらいますから、とっても美味しいです。こっちの人だと、練乳を入れる人も多いようです。
 実の内側はゼリー状の果肉があって、それはスプーンで掬って食べます。
 水分だからごく一時的ですが、ヤシの実1個でお腹いっぱいになりますね。

 すでに書いたように、海まで行っても泳いだりはしませんでした。じゃあ何をしてたかって、一言で言うとのんびりしてました。
 一緒に食事して、写真撮って、おしゃべりして。ギターを持参してきた学生もいて、みんなで歌ったり。スイカ割りもしました。
 きれいな景色を見て、のんびりして。なかなか贅沢な休日ですね。

No.85 スマトラ島沖で起こった地震(2016.03.13)

2016-03-13 21:55:42 | No.81~No.90
 すこし日が経ってしまいましたが、3月2日のことです。日本でもニュースになりましたから、ご存知の方も多いでしょう。
 こちらの現地時間で2日の19時49分ごろ、パダンの約800km沖のインド洋を震源とする、マグニチュード7.8の地震が発生しました。

 地震発生時、すでに夜になっていましたし、私は自宅に居りました。私の自宅というのは、大学の宿舎で、海岸からすぐ近くにあります。
 揺れ方から、かなり遠くのやや大きい地震かな?と思いました。揺れの大きさとしては、せいぜい震度2程度でしょうが、揺れの波長がずいぶん長い感じだったのです。

 およそパダン周辺では被害は出そうもない感じでしたが、一応情報だけは見ておこうと、USGSのサイトにアクセスしました。
 私が初めに見た時には、まだ情報が更新されていませんでした。マグニチュード4.5未満の地震はそもそも情報が掲載されませんし、こちらの回線は貧弱で、サイトの読み込みが重いのです。
 それで、しばらくしてからもう一度見ることにして、のん気に構えていました。そうしてると、facebookのタイムラインに、何人か地震のことを投稿したのが流れてきたのです。
 それによると、マグニチュード8を超えるような地震で、津波の恐れがあるということでした。本当か?と思って、もう一度USGSを見てみると、ちょっと顔が青ざめるような思いでした。
 震源までおよそ800kmで、2時間程度の猶予はありそうだけど、津波が発生していればモロに被ることになりそうです。

 ちょうど宿舎の管理人のおばさん(ご夫婦で隣に住んでます。以下、寮母さんとします)が、「さっき地震があったろ?津波警報が出てるぞ。どうするんだ?」と言いに来たので、「ネットで見て知ってます。山側に住んでる友人のとこに避難して、安全が確認できたら帰ってきますよ。」と答えました。
 寮母さんは、私の部屋にテレビが無いことを知っているので、心配してくれたんですね。寮母さんもお連れ合いと、知り合いのところへ避難するつもりだということでした。

 津波の高さを10~15mと想定すると、最低でも標高20mぐらいのところまでは行かなきゃいけないでしょう。となると、バイパスと呼ばれている道路辺りになります。
 バイクで行けば、どうということはないと思ったのですが…。

 途中まではスムーズに行けたのですが、まだバイパスまで距離があるという所で、大渋滞につかまってしまいました。
 こういう時に限らず普段からよくある事なんですけど、交差点などで込み合ってると、車もバイクも、周りの流れや進行方向なんてお構いなしに、ちょっとでも隙間があればそこに入ろうとするんですね。それで、角付き合わせて進むも退くもできなくなっちゃうのです。
 おそらく、行く先の交差点でそういうことになったのでしょう。全く動かなくなってしまったのです。時間の制約がなければ、歩いても行けるけど、道の真ん中にバイクを置いていくわけにもいかないし。

 そういう状況で、周りの様子はというと、案外落ち着いた感じでした。怒号が飛び交うでもなく、切迫感みたいなのはあまりなくて、談笑してる人もありました。
 通話やメールは試しませんでしたが、スマホでネットは繋がっていて、facebookなどのSNSは使えました。
 津波の情報があるとすれば、パダンの150kmほど沖に点在する島々での観測情報が第一でしょう。そこまでの到達時間の3分の1から4分の1程度の時間で、パダンまで津波が来ることになります。

 そうこうしているうちに、広報車が回ってきました。初めは遠いし何を言っているのか全然わかりませんでしたが、周りの反応から、津波の危機が迫っているということではない、とだけはわかりました。
 ようやく聞き取れたのは、「津波警報が解除になったから、みんな落ち着いて家に帰りましょう」ということでした。

 今回は幸運なことに、地震でも津波でも全く被害は出ませんでした。その結果から言えば、いい避難訓練になったと言えるでしょう。私としても、反省することがいくつもありました。
 一番は、避難経路の見直しですね。私個人のこととしてもそうですし、標高40~50mぐらいの所に住んでる人たちも、ほぼ避難の必要はないのに、さらに高所へと動いたみたいなんですね。渋滞が酷くなった一因でしょう。
 地震の発生が夜中の寝ている時だったら、揺れにも警報にも気づかなかったかもしれません。
 津波到達までの時間的猶予がもっと短かったら?雨天だったら?と、あり得る条件を色々考えておかなきゃならないでしょう。

 何人もの方から、メールなどをいただきましたが、この通り無事でした。私なんかのことを気にかけていただいて、ありがとうございました。

No.84 10年ひと昔(2)(2016.02.26)

2016-03-03 22:48:29 | No.81~No.90
 10年前には当たり前のようにあったけど、今はもう見かけなくなったものに、WARTEL(電話屋)があります。
 どんなものかと言えば、店の中がいくつかの電話ボックスのようなブースに分かれていて、そこに設置されている電話を使うというもの。終わったら、入り口近くにいる店員さんに料金を支払います。
 10年前でも、もうだいぶ携帯は普及してましたけど、まだ普及途上でしたし、携帯の通話料金が高かったりで、電話屋もあったのですね。
 その後、いつの間にやら電話屋は姿を消していき、替わってWARNET(ネット屋)があちこちにできました。ネット屋は、日本のネットカフェからカフェとマンガの要素を除いたようなもの。つまり、ネットにつながっているパソコンが、ちょっとした仕切りやブースに分かれて置かれている店です。
 スマホとWi-Fiの普及で、ネット屋も減りつつありますが、まだまだたくさん残っています。ネットゲームをしている子供が多いし、Wi-Fiを提供するネット屋もあるようです。
 最近はネット屋を利用しなくなったので、正確なところはわかりませんが…。

 携帯やスマホなどの通信機器の普及は早いですね。今なら、だいたい2人に1人、学生なら8割ぐらいはスマホを持っているような印象です。
 日本と違って、支払いは月極めではなくプリペイド方式で、電話会社に2年間とか縛られることはありませんし、中古の端末がたくさん出回ってますから、初期費用も抑えることができるようです。
 私は日本にいた5年間、ガラケーどころか日本では絶滅危惧種のプリケーを使ってましたから、周りよりもずっと遅れてしまっています。


 私はテレビを見ませんけれど、テレビはパダンで普及率の高い家電の筆頭かもしれません。
 テレビにはアンテナが必須ですが、以前はどの家にも大きなアンテナが真上を向いて立っていました。
 広い国土をカバーするために、衛星を経由しているのだと思いますが、赤道直下のパダンですから、ちょっと東寄りの真上を向くわけです。
 パラボラアンテナが真上を向いてますから、お皿の部分に雨水が溜まらないように、お皿部分は網状になっています。それでも、時々落ち葉なんかが溜まっていたりするのを見かけます。
 最近ではそのアンテナも小型化して、形状もパラボラではなくなっています。
 ですから、新設で大きなアンテナを立てることはしないでしょうけれど、真上を向いた大きなパラボラアンテナもまだまだ現役です。

 10年間で変化したことについて、交通や通信事情を取り上げて、思いつくままに書いてきましたけど、ばっちり数字で客観的に示せる変化があることを忘れていました。
 物価の上昇です。
 私がはっきりと覚えているのは、ガソリンの値段です。2006年は1リットル4500ルピアでした。それが今は6950ルピア。10年で50%以上も値上がりしています。
 燃料に対する補助金が廃止されたということもありますが、まだ補助金が含まれていた2014年でも6000ルピアでした。
 正確な数字を示すことはできませんが、食料品や日用品など、たいていの物はガソリンと似たような上昇の仕方をしているという感じがします。

 燃料で思い出しましたが、2013から2014年ごろ、各家庭にガスが一気に普及しました。
 それまでにガスを使っていたところも、もちろんありましたけど、灯油コンロを使っている人も多かったのです。ガスは爆発するイメージがあるとかで、頑なに拒んでいた人も少なくなかったのです。
 エネルギー政策で政府が強権的にやったのでしょうね。灯油の供給をストップして、ガスボンベを割安な値段で供給したようです。
 今はどこでもガスコンロを使っていて、もうほとんど灯油コンロは見なくなりました。

 パダンには季節の変化はないし、いっつものんびりしているようでも、結構いろんなものがダイナミックに変化していってるものですね。
 私がパダンに来て初めてできた友達?、いやココロノトモかな?は、出会ったときは掌に乗りそうなぐらい小さかったのに、今やすっかり大きくなって、中学生です。
 私の頭もずいぶん白くなってきてしまいました。まあ、10年というのは、それぐらいの時間だということでしょう。
 さて、パダンも私も、10年後はいったいどうなっているでしょうか?