↑ここをビューンと走っとるのです。
↑病院食、あんまりおいしくなかった…。
この度は原因不明の急性硬膜外血腫の為、皆様方に多大なるご迷惑ご心配をおかけし沢山の公演を休ませていただき大変申し訳ありませんでした。 おかげさまで無事に退院することができました!
少し長くはなりますが、今回の一件を自分なりにまとめてみました。お読みいただきましたら幸いです。
10月22日、夜席である「浪曲の小部屋@百年長屋」に向けて、朝・床屋に行き、昼・さくら姉さんと稽古してから会場に行こうという事で、朝8時頃目覚めました。特に二日酔いもなく9時頃さくら姉さんにメール、10時頃、前日お世話になった生寿兄さんにメール。それでは床屋に…と思った記憶を最後に次に気がついたのは3日後、病院の集中治療室でした。病院で管を繋がれ、正直何が何か分かりませんでした。
あとで聞いたら、22日昼にいつまで経ってもやってこない僕を心配したさくら姉さんが見に来てくれて救急車を呼んでくれたとの事でした。発見があと1時間遅れてたら死んでたそうで、そうじゃなくても意識は戻らないかもしれない、言語しょうがいが出るかもしれない、死ぬかもしれないと危ない状態が何日か続いたそうです。
24日、さくら姉さんの呼びかけで意識を取り戻すことができました。病院ではじめて気がついた時には顔も腫れ、呂律も回らす「ああもう浪曲は無理だな」と一時は自分でも思いました。
集中治療室で8日間過ごした後、一般病棟で12日のリハビリ生活。このままでなるものかと浪曲の台本十数冊を持ってきてもらい、リハビリの先生にお願いして、浪曲を使ったリハビリをしていただきました。おかげさまで記憶も戻り、少し休んだらまた復帰出来るだろうという所まで戻る事ができました。
こんなに早く戻れるものかと思っておりましたが、どうも奇跡が奇跡を呼んだそうで主治医の先生も驚いておられました。
いざ退院となり…先生と話し合った結果。今すぐ復帰すると浪曲の大きな声が脳に圧をかけるので年内は休業。年明けまでは療養するようにとの指示がありましたので体調をみて復帰できたらなあとさくら姉さんと話しております。
声の方はおかげさまで元通りになりましたが、さすがに一週間寝たきりだったので足腰が弱ってしまったのでしばらくリハビリに励む次第です。日々回復しつつありますので浪曲復帰は確実に出来ると思います。
この度は本当にご心配をおかけしてすみませんでした。
数々のお仕事をくださりました諸先輩、関係者の皆様、本当に申し訳ありませんでした。
ちょっと休んだらまた復帰できると思います。一生懸命がんばります!どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。
最後に
さくら姉さん、助けてくれてありがとう。
あなたがいなければ死んでました。本当にありがとうございます。 生きながらえた命で浪曲がんばります。どうかまた楽しい舞台を一緒に作ってください。
真山隼人
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浪曲・演歌浪曲
鈴鹿市シティセールス特命大使(鈴鹿と・き・め・きドリーム大使)
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