所謂社会的成功というものは『能力+努力+運』で決まると以前は思っていたのだけれど、実はそれ以上に『視点』が大きいのではないかと思うようになった。同じ位優秀で努力しているなと思う人でも視点が違うだけで着地点がかなり違う。
トレーニングの辛さは日本でも海外でもそんなに違わない。違うのは前提として世界を目指しているのか日本を目指しているのか。実はそれだけで同じような努力をしても着地点が違う。スポーツ以外の世界を見るとレベルが高いというより常識が違うだけに見える時もある
努力していけばどんどん高みに近くなり、そこではもっと激しい努力が行われていると思っていた。確かにそういう面もあるけれど、実際には常識が違うという感じだった。当たり前が変わると行動や選択が根本から変わる。練習場所の対象が海外も視野に入るようになった。
視点というのは目の付け所とはちょっと違う。そもそもの部分の当たり前感。昔あった人に”確率的には小成功と大成功はそんなに違わないんだよ”といわれた事がある。大きなものほど難しいと考えがちだけど、実は大きいものはみんな狙っていなかったりして案外取れたりする。
僕はいつも仮想ライバルを想定してた戦い方を練る。引退してスポーツ選手をライバルにしたら厳しいと思った。ライバルを誰にして、何を取りにいくのか。その設定によって、行動も選択も時間配分も全然違ってくる。仮に辛さは同じでも結果も全く違う。
【終わり】ライバルが社内にいるのか、国内にいるのか、世界にいるのか。社内闘争と国際展開。戦略が素晴らしく、そこに対する努力と熱意が素晴らしくても、目的が何かによって着地点が全く違うのだと思う。
96条改憲は憲法クーデターである - Die Zeit des Rechts (id:asobitarian) d.hatena.ne.jp/asobitarian/20…
「787は飛ぶ。原因がわからずに対策ができる不思議」と朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」に。同じことは福島第一原発にも言える。原因究明もしないまま原発を再稼働しようとする不思議。さらに言えば、外国に原発を輸出しようとする不思議。
表土が1センチできるには500年かかり、肥沃な土壌を1センチ作るには50年かかると言われる。一方、一世代で肥沃な土壌を20~30センチ破壊するのは容易だ。一度肥沃な土壌が流失してしまうと乾燥してしまい、豊かな土壌を取り戻すことは不可能だ。