弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

リーガ ハンザ同盟の街

2011年05月07日 | 海外事情

遠く離れた日本からみると、バルト三国はひとつのように見えます。

人の自由化については、5月1日に完全実施です。
ですから、パスポート審査は乗り継ぎ地のヘルシンキ(フィンランド)でしました。
リトアニアからラトビアに入国するときも、ここが国境跡だと言われなければ
バスでそのまま通過ですからわかりません。
置き去りにされ荒廃した小さな検問所の建物がなければ、国境だとは
わかりません。
ただ、リトアニアからラトビアに入るやいなや、バスがガタゴトと音を立て始め、
乗り心地が急に悪くなりました。
道路状況は急に悪くなったのです。国力の差です。それで国が変わったことが
わかるというわけです。

しかし、通貨の自由化、統一はまだです。
リトアニアではリタス(約40円)、ラトビアではラッツ(約200円)です。
飲み物やトイレチップなどに現地通貨が必要なので、その都度
両替しなければなりません。
本当に煩わしいです。
聞き洩らしましたが、いずれ近いうちにユーロに移行するはずです。

人と金の流れの自由化があって初めて一つの経済圏が完成するのですね。

リストニアの首都ヴィリニュスは、素晴らしい教会が多かったです。
リーガの教会はやや迫力に欠けますが、そのかわりハンザ同盟の都市として
栄えた歴史がブラックヘッドの会館や商人たちの住まい等にみられます。
また、19世紀から20世紀のごく十数年間という短い期間に建てられた
ユーゲントシュティール(ドイツ語でアールヌーヴォーのこと)建築群の
素晴らしさにあります。
市内の4割がこの様式の建物ということですが、
この様式の建物が集中しているアルベルタ通り周辺の一画は、素晴らしいです。
今は大使館等として使われています。
リーガの街に統一感と都会的な雰囲気を感じさせるのは、これらの建物です。
リーガは16世紀から19世紀にかけて、ポーランド、スウェーデン、帝政ロシアの
支配下にあったのですが、
この帝政ロシアの時代には「ヨーロッパへの窓」として、ペトログラード、モスクワに
次ぐ大都市に成長したといいます。
ユーゲントシュティールの建物群が建てられたのは、その時代だったのですが、
いかに繁栄していたか、そも名残です。

リストニアもそうでしたが、リーガでも、ソ連時代のひどさは想像を絶するものが
あります。
放置され、破壊され、倉庫などに転用されるなど、中には土台を残すだけ
というものもあったようです。
復興めざましく、修復されて美しさを取り戻しつつありますが、
そのままのものもたくさんあります。
ワルシャワなどもそうですが、ソ連の破壊力はすごいものがあったようです。

リーガの中心地にある占領博物館(写真や新聞記事でまとめられて展示)は
ソ連およびドイツナチの破壊の状況がわかりやすくまとめられています。
55万人、人口の3分の1がシベリアに送られ、あるいは虐殺され、難民となり、
その他で消えてしまったというのです。
負の遺産の方が大きいと思いますが、ソ連時代にはロシア語が義務教育化されて
いたので、多くの人がロシア語を話せるということです。
この三国は、歴史が全く違い、言葉も全く違い、かつ難しいということで、
ロシア語を共通言語として、意思の疎通を図っているということでした。

また、ラトビアでは人口の4割がロシア系ということです。
(ほかの2国は数%)
ユーロ圏になっても、ラトビアは政治的に難しいかじ取りを迫られそうです。

旅の楽しみは、こういう実情に触れ、それぞれの持つ国、民族の歴史の
重みを実感することです。