エメラルドの瑕疵

旧 『楽母の人見知り日記』です。 最近、ご朱印集めがマイブーム

O先生のこと

2006-07-29 10:05:13 | Weblog
O先生が亡くなって半年がたつ。先生、そちらの暮らしに慣れましたか?

第1報は、行きつけの美容院で、できれば息子の嫁にしたいと思っていたTちゃんに、ヘア・マニキュアをしてもらっている最中だった。
高校時代を過ごした富山の友人からメールが入る。
「O先生って、博って名前だったよね?」
「そうだけど?」
「あのね、たまたま開いた新聞に、同姓同名で、年齢も同じで、住所も同じ人の訃報が載ってる」

「へっ?!」  思わず声が出て、細かい作業をしていたTちゃんが驚く。
「どうかされましたか?」
「知り合いが亡くなった・・・」

「あのね、死因はわからないけど、今日がお通夜で、葬儀は明日。先生、独身だったのかな・・・喪主はお姉様の名になってる」

先生は、私が高3の時に新卒で赴任してきた、女子高には稀な若い男性教師だった。 同時期にボタン・ダウンのカッターや襟立てポロシャツの似合う体育教師が来たこともあって、生徒の人気では圧倒的に体育教師におされていたが・・・私はO先生をたちまち好きになった。どこか、陰があって世の中をすねている風情のO先生は、
生意気盛りの私の好みだった。


天下無双・・斬り捨て御免・・・恥知らずの私は、学年担当でも教科担当でもない先生に《スキスキ光線》を出し続けていたので、さすがに陰気?を装っていた・・・と今なら見抜ける・・・先生も、どういうわけかちょこちょこお喋りをしてくれるようになっていった。

時は流れ・・・・

卒業の朝を迎え・・・

式後に、最後のご挨拶にと友達数人と職員室に向かう。学年担当の先生方には・・・お前でも泣くか・・・と、嫌味のひとことももらう。
私はO先生に  「京都の大学に行きます。先生と同じ、歴史科を選びました・・・」
「4年間、待ってる・・・」  はい???

転勤族の父が、富山から引っ越したのは4ヵ月後。大学のはじめての夏休みには、
富山にもう・・・家は・・・なかった。

先生、4年間待ってるって、そういうこと、言っちゃ駄目だよ。
最期の言葉がそれだったなんて、きっと私・・・こんなに年とっていても
引きずるよ。

暫くはアホみたいに泣いた。道端で買い物袋ぶら下げてても・・泣けた。

四十九日にあわせて、喪主だったお姉さまのお名前でお花を送る手配をした。
《大好きな先生でした》のメッセージと共に。

配達予定日に、花屋から電話が入った。

「担当のものが配達に伺って、ご近所の方にもお聞きしたのですが、空き家になっていて、移転先も連絡先もわからないとの事です・・・」

第1報を知らされたときより、もっと泣けた・・。


先生、来月、五山の送り火の時・・・私も灯りをともします。見つけて下さいね。
             
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