1964年、作陶を再開された小山冨士夫先生は、以後
各地の陶芸家の元でも制作され、焼いてもらわれましたが、
この壺は、岐阜県土岐市の塚本快示先生の所で焼成されました。
小山先生独特のゆったりした成形で、塚本先生の生地と釉薬が
あいまって、大変美しい魅力的な壺ですが、大変重たい壺です。
塚本快示先生には、人間国宝になられる前、セントラルギャラリーで
数回展覧会をしていただいたことがありました。
作陶に対して真摯で熱心な方で、普段は温厚な人でしたが、或る時
珍しく激憤されたことがありました。
某国立博物館で偶然お会いした折、塚本先生は展示品の、唐代
邢州窯の白磁を見に来られたとの事。その時。
同席した館の陶磁器の責任者が「その白磁は骨董的価値(金銭的)が
低く、研究されても無駄ですよ」と気安く発言されました。
その直後、塚本先生が「陶磁器研究家にあるまじき発言だと」激怒
されました。
そんな事が思い起こされます。
各地の陶芸家の元でも制作され、焼いてもらわれましたが、
この壺は、岐阜県土岐市の塚本快示先生の所で焼成されました。
小山先生独特のゆったりした成形で、塚本先生の生地と釉薬が
あいまって、大変美しい魅力的な壺ですが、大変重たい壺です。
塚本快示先生には、人間国宝になられる前、セントラルギャラリーで
数回展覧会をしていただいたことがありました。
作陶に対して真摯で熱心な方で、普段は温厚な人でしたが、或る時
珍しく激憤されたことがありました。
某国立博物館で偶然お会いした折、塚本先生は展示品の、唐代
邢州窯の白磁を見に来られたとの事。その時。
同席した館の陶磁器の責任者が「その白磁は骨董的価値(金銭的)が
低く、研究されても無駄ですよ」と気安く発言されました。
その直後、塚本先生が「陶磁器研究家にあるまじき発言だと」激怒
されました。
そんな事が思い起こされます。