中原淳一をしっていますか? 戦前から戦後のかけて、雑誌編集、ファッションデザイナー、
人形作家、インテリアデザイナーです。「美しく生きること」を伝え続けた中原淳一の生誕
100年没後30年の記念展がこの夏、阪急デパートで開催されたんです。
「この夏行ってみたいところ」の一つ。最終日に滑り込みセーフ。
亡き母がこよなく愛した、画家。中原淳一。母の青春を訪ねる展覧会となった。私自身も、
母の影響なのかな、中原淳一は竹久夢二と並んで大好きな作家の一人。淳一展は3度目
だけれど、今回のは、「それいゆ」「ひまわり」「ジュニアそれいゆ」の表紙絵、挿絵スタイル画、
人形など400点を一堂に展示した大変魅力的なものでした。
日本が戦争へと突き進む中、少女時代を過ごした母にとって、中原淳一の「少女の友」は、
一時の少女らしい夢を見せてくれる大切なものだったのでしょう。淳一の描く夢見がちで愛
らしい少女の絵は、時局に合わない事を理由に、軍部から圧力をかけられ、すべての仕事
から遠ざけられてしまったのでした。
戦後、いち早く出版界に復帰した淳一は「それいゆ」「ひまわり」を創刊しました。
「お金がなくても、モノがなくても、手近な材料を用いて工夫をすれば、今より、もっと、
素敵に生きられる。」。。。中原淳一のメッセージは、やっと、平和と自由を手にした、
母たちの世代の女性の心をつかんだに違いありません。
なんて、おしゃれなスタイル画なんでしょうか。
母の世代の女性は、洋裁、和裁、編み物、なんでも一通りできたんですよね。
情けないけど、私は何にもできない。
再現したワンピース。素敵。
こんなスタイル画を真似して、お洋服を作っていました。
ちょっと、工夫すれば、こんな素敵なお部屋に。このページにも見覚えがあります。
母が大切に持っていた「ひまわり」にありました。
60代位の女性が多かったですが、母の世代の方達もいらっしゃいました。皆さん、
一様に熱心に見入っておられ、懐かしそうに涙をためながら、作品の前にたたずんで
おられる方もいらっしゃいました。
Ⅰ章~Ⅳ章で構成されている図録。中原淳一の魅力がいっぱい詰まっている宝石箱
これも、見覚えがある雑誌。
川端康成の「乙女の港」。康成が昭和12年から13年に「少女の友」に連載し、当時の
女学生の間で一大ブームを巻き起こした作品。2011年に初の文庫本化されたもの。
淳一の挿絵も当時のまま掲載されていました。
グッズも豊富で、いつもの美術展覧会とは趣が違って、とっても、楽しい展覧会でした。
きれいなものが大好きだった母が生きた時をたどることができた展覧会でした。