2月22日は、ニャンニャンニャンで「猫の日」でした。
「猫居ない歴」が、間も無く 19ヶ月になろうとする我が家では、ご近所の「猫」と、ブログに掲載されている「猫」たちに 癒されています。
きょうの写真は、数日前の、お隣の「モモ」です。
少し〝お澄まし〟さんですが、最近は、動きに丸味が感じられるようになりました。
まだ雪が残る庭で、寒い夕方なのに、しばらくの間… 座り込んでいました。
2月22日は、ニャンニャンニャンで「猫の日」でした。
「猫居ない歴」が、間も無く 19ヶ月になろうとする我が家では、ご近所の「猫」と、ブログに掲載されている「猫」たちに 癒されています。
きょうの写真は、数日前の、お隣の「モモ」です。
少し〝お澄まし〟さんですが、最近は、動きに丸味が感じられるようになりました。
まだ雪が残る庭で、寒い夕方なのに、しばらくの間… 座り込んでいました。
大寒の20日、〝お袋さん〟が世話を頼まれている、お隣の猫「白チビ」が、亡くなっていました。
特派員や〝我が妻さん〟が出かけた後に、餌と水を与えに行って、見付けたそうです。
〝お袋さん〟は、お隣のお婆さんが入院するときに、餌やりを頼まれてから、ずっと続けてきたもので、ひとしおの悲しさだったようです。
昼前に帰宅すると、既に、亡骸(なきがら)をバスタオルで包み、ビニール袋に収めてありました。
「飼い主さんや家族の人に、連絡が付かない…」と言うので、午後一番に、最寄りの斎場へ「ペットの火葬」を確認し、搬入時間も打ち合わせしました。
ところが、午後になって、飼い主の息子さんが、作業のため帰られたのです。
これは、「きっと、白チビが呼んだがや…」とは、〝お袋さん〟の言葉です。
説明を聞いた 息子さんは、長年 世話をした〝お袋さん〟に 礼を言いながら、手厚く葬ることを約束してくれました。
ホッとしながら、斎場への 依頼取り消し電話を入れた、特派員でした。
今朝は、掃除や洗濯をする〝お袋さん〟が…、天気に関係なく続けてきた、毎日・三度の餌やりなどから解放され、「ホッとしながらも、なんとなく 寂しい」様子です。
きょうの田舎は、日中、良く晴れました。
風はヒンヤリしていましたが、日向は 暖かです。
安全地帯で〝日向ぼっこ〟を楽しむ、お隣りの 猫(チビ)くんです。
風と 外敵の目を避けて、マイカーの傍で休んでいます。
陽だまりを選びながら、ようやく訪れた春を、彼なりに楽しんでいるようです。
今日の田舎は、おおむね 曇りでした。
〝お袋さん〟は、洗濯物を出したり入れたり、雲行きを見ながら・ぼやきながら、歳相応に 元気です。
昨日に続き、猫の思い出を一席…。
特派員が中学生のときでした。 今から50年ほど昔のことです。
関西方面への修学旅行が、2泊3日で行われました。
京都の「白味噌」が珍しく、朝ごはんの お汁が美味しかったなあ、などと思い出しながら、家に帰ると…、
何と、当時の飼い猫「ちょん」が、杉の木から下りられなくなっていました。
白と黒のブチ猫で、枝葉の隙間から、身体が見え隠れしています。
まだ 若かった〝お袋さん〟が、「丸一日、下りられんがや」と言いながら、心配そうに見上げていました。
長い竹竿が届かないほどの所に、じっとしています。
時折、鳴き声を上げるのですが、いかにも 悲しそうに聞こえていました。
周りの人たちは、「上ったものなら、下りてくるわいね」などと言い、相手にしないようでした。
その日は 日暮れになり、そのままにして置いたのです。
今 思い返すと、随分 可哀想ですが、当時は、猫 一匹ぐらいは、ほったらかし でした。
翌朝は、旅行の疲れから 遅刻気味に目を覚ましたので、「ちょん」のことは気になるものの、そのまま登校したのです。
放課後、急いで帰宅すると…、
どうなったのかを 尋ねる前に、「ちょん」が、家の中から ひょこひょこと 出てきました。
特派員の帰った音に気付いて、迎えに出てきたのです。
修学旅行の間と、木から下りられなかった日も入れて、4日ぶりの対面でした。
「どうしたんや」と抱き上げました。 ごろごろ 喉を鳴らして、しがみついてきたのを、今でも覚えています。
木から下りられなかった猫は、特派員の、62年の記憶の中で ただ一匹、「ちょん」だけです。
「ちょん」の名誉を回復するには…、
きっと、何かに追いかけられて 木に登り、怖さから、下りなかったのだと思います。
半世紀近く 昔の、ある飼い猫の思い出 でした。
昨日は、南風が吹いて 生暖かい、20℃を超えた 田舎でした。
鉢植えと 畝のトマトにも、水遣り・管理が欠かせません。
今朝は 曇りで、室温は17℃です。
飼い猫「カナメ」が亡くなってから3か月、何となく寂しい日常です。
で、猫の思い出を…
以前 飼っていた猫に、縞模様のがいました。 額には「M」の文字が見て取れます。
〝三日月形の刀傷〟は、市川歌右衛門が演じた〝旗本退屈男〟のトレードマークでしたが、我が家の猫は「M」から取って、そのものズバリ「エム」と名付けていました。
当時、特派員は 現役で、晩ご飯の後か、休日にしか相手してやれませんでした。
でも、家族として なついてくれて、叱ることがあっても、癒されることの方が多かったです。
多少 歌うように、「エ ム~」と呼ぶと、長い尻尾を揺らせながら 膝に乗ってきました。
餌は、今のようなキャットフードではなく、煮魚・焼き魚の骨や残り身、煮干し、汁かけご飯、ソーセージの端っこ…などでした。
当時、我が家は平屋建てで、縁側はもちろん、腰高の窓を開けてあると、その枠に乗っかり、陽が当たると 長~くなって 寝そべっていました。
掃除のときなど、窓枠に座布団を掛けてあると、もう 大喜びで、至極 満足そうな表情にしていました。
そんな時は、名前を呼ぶくらいでは、傍に来てくれませんでしたね。
余所のブログなどで、猫の記事や写真を目にすると、飼いたくなる 特派員なのです。 (我慢の日々が 続きます。)
我家の飼い猫〝かなめ〟が、亡くなりました。
余りにも突然で、早い 別れでした。
最近は、痩せてきていたものの、食欲は有り、元気に外遊びをしていました。
ところが、29日の日曜日に、急に 食欲が無くなり、水も ミルクも飲まなくなりました。 そして、止めるのも聞かずに、家を出たのです。 寝込むことはありませんでした。
その日は もちろん、月曜日からは、朝から周辺を探しました。 でも、見付けられません。
そして 今朝、〝我妻さん〟が、人目につかない所(使われていない コンクリート菅の奥)で、横たわっている〝かなめ〟を見付けました。 残念ながら、既に、事切れていました。
平成3年11月に、捨てられていたのを 拾い上げたのも、〝我妻さん〟だったので、その 落胆振りは…。
下の写真は、〝我妻さん〟に、朝食のトーストを分けてもらう〝かなめ〟です。
四日前の、27日(金)朝に撮影。
これが、最後の写真になりました。
そして ・ ・ ・ ・ ・ お昼前に、斎場へ納めて、別れてきました。
飼い猫〝かなめ〟は、高齢ニャンコです。(=^・^=)
でも、外遊びが好きで、ちょくちょく出かけます。
外では…。
ところが、後ろ足が弱いので、最近は、庭から居間への 上がり降りが、大変そうです。
そこで、ホームセンターへ行ったときに、「踏み台」を、衝動買いしました。 以前だと、自作したのに…です。
缶コーヒー3本分ほどで、買うことができました。
〝かなめ〟は、最初、前足で探るように上りましたが、その後は、悠々と使っています。 一度は、上で 寝転んでいました。 狭いからか、そのときの 一度だけでした。
今朝の、〝かなめ〟です。
物置コーナーで、不貞腐れて寝ています。
昨日は、〝かなめ〟にとって、ある意味 「厄日」でした。
ノミ掃討作戦中は、家に入れてもらえず、玄関脇で、雨を凌いでいました。
夜には、久し振りに押入れに入ったところ、気付かなかった〝我妻さん〟に、戸を閉められて、閉じ込められてしまいました。
特派員が、小さな鳴き声に気付いたものの、窓の外を確かめただけで、押入れまでは見ません。
元々、声が小さい〝かなめ〟なのです。
ようやく、〝我妻さん〟が気付いたのは、戸を閉めてから 2時間ほど経過した、夜7時過ぎでした。
〝かなめ〟は、鳴き疲れたのか、引き戸に寄り添う形で、長ーく寝そべっていて、〝我妻さん〟の声に安心したような顔付きでした。
二人で、「ごめんね、〝かなめ〟」と、謝りました。 早速、お詫びに〝猫缶〟を開けて、十分に食べさせました。
慌しかった、昨日の出来事でした。
日曜日の午前中、外で過ごすことが増えた〝かなめ〟に、試練のときがやって来ました。
洗体シャンプーです。
これまでは、かなり 嫌がったのですが、今回は、静かでした。 〝我妻さん〟が上手になったのか、〝かなめ〟が成長したのか。
先ずは、居間のテーブルの下へ 避難。
コソコソ と 移動した先は、畳の部屋。
舐めて 乾かしながらの、毛繕いです。
暫くすると、パソコンに向かう特派員の膝へ上がってきました。 未だ、半乾きの状態で、しっとりと 冷たく感じます。
敢えて、ドライヤーをかけなかったので、膝の上で乾かしました。
その後は、脇のカーペットで、グッスリお休みです。
今朝(7/4)の田舎は、曇り。
これから、愛車に、無線の「アンテナ基台」と
無線機までのケーブルを、取り付けます。
今の車は、設置場所が限定されてしまい、
チョッとばかり、寂しい作業…かも。