MY LIFE  

いつも心に青空と音楽を!
デイケア職員続行中!
常にレク探し中~。

さようならの言えないさようなら②

2007-07-29 21:31:18 | デイの日々
 ①の続きです。そちらからどうぞ。

 退院されてから、特に旦那さんに早く帰らないと怒られるとか、杖がない、お金がないという発言が多くなってきました。その都度、安心してもらおうと声をかけたり、とことん付き合ったりしましたが、記憶がすぐにとぎれてしまい、時には感情があふれてしまうことも。日々何度も何度も同じ声かけを行う状態でした。週2日の利用が、定期の病院受診以外は毎日の利用となりました。

 そして、彼女は毎日自分の記憶が交代していました。ある時は、若い娘さんに、ある時は子育て真っ最中の若い母親、ある時は40代ほどの年齢の記憶の状態でした。認知症の状態で、自分が一番頑張っていた記憶の頃に戻るというものがありますが、おそらく自分が一番頑張っていた頃がこれらの3つの年代だったのかもしれません。娘時代に戻っていた頃は、他の方のように名字で『○○さん!』と呼ぶと、「誰のこと?」と怪訝な表情をされたのです。そのことがあってから、職員は下の名前で呼ぶことにしました。すると、安心感が生まれたのかデイの利用中も少しずつ落ち着きを見せる事が多くなってきました。

 落ち着きを見せると、とても明るく、昔の思い出話をされたり、スキンシップをしてきました。「あんたはかわいい」と言っては、男女構わず手をすりすりしたり、お尻や胸に触れたりなどなど。かわいらしい少女のようでもあり、子供をいとしく思う親のようでもありました。また、お菓子作りや作業レクを楽しむ方でした。持病でやや手の震えはありましたが、白玉団子を「初めてやわ~」と一緒に握ったり、作業で貼り絵をしたり、コースターを作ったりと積極的に楽しんだりしてくださいました。そして、その時の表情がいきいきとしていたのが浮かんできます。

 時に笑い、時に怒り、泣き、不安と闘いながら、彼女は必死で日々を過ごしていました。その内症状が進んでから1年が経とうとしていた時です。デイが終わって終業時間になった頃、ケアマネさんから連絡が入りました。

 『救急車で病院へ運ばれた』

 驚きましたが、他の利用者でもよくあることです。しかし、この後、彼女の抱える不安の大きさと向き合うことになりました。

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2 コメント

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こんばんはです。 (iso)
2007-07-30 22:03:08
 必ずしも同じケースばかりとは限りませんし、うつ状態とあいなって感情を出さなくなってしまうケースもあります。

 家族というか、安心できる人にとってわがままを言うのは、私達でもよくあることですねえ。記憶が消えていく不安というものの大きさを実感いたします。後、施設だとしっかりとした生活リズムがついたり、他人と生活しているという意識が元気になられたのではないでしょうか。介護をする・受けるに当たって、お互いが心地よく、元気に過ごす為にはいろんな方法があることをもっと考えられる社会であることを願っています。
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isoさん お早う御座います (不老愚 助光)
2007-07-30 10:21:33
認知症の人は感情の起伏が非常に激しくなるのですね。私も今年五月に義母(妻の母)を見舞った時、義兄から本当に大変な苦労話を聞きました
「此の侭では家族全員が皆倒れてしまう」と思って心を鬼にして特別養護老人ホームに入れたと言ってました。親戚などから「薄情者」とか批判があったそうですが、第三者は無責任な批判をします。背に腹は変えられないと決断したそうです
認知症の人は、家族には特別に我侭を言うようですね。施設に入れたら、何だかシャンとして前より元気になったと言ってました。
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