今日、一匹の猫が命を終えました。不慮の事故でした。猫の一生は、私の生きてきた時間と比べれば微々たるものだったでしょうが、その命を燃やし尽くして終えました。
仕事柄、死の話は避けて通れません。通所施設は看取ることはありませんが、今まで生活の一部として利用してくださった方が突然命を終えた報告を聞くことはよくあります。突然にしろ、時間を経てにしろ、その方々との思い出に胸がぎゅっとなりました。今年は自分の祖父を含めて、いつも以上に多かった気がします。今日も少しだけ、ぎゅっとした気持ちになりました。
猫の話に戻りますが、交通量が多く、工場だらけの街でよく生きていけたと思うのです。近くの大きな通りでは動物達が行き倒れているのをよく見かけました。一時でも、安らげる場所があったこと、愛してくれるものがいたことがなにより、猫自身の命を長く繋げていけたことではないだろうかと、冷たくなった亡骸を見て考えていました。
そう考えると、愛してるとか、好きだとか、感謝するとか、肯定する気持ちはなかなか口に出して言えないものですが、肯定する気持ちを出すことや、受け止めることで、生きるものはいのちを燃やし尽くすことができるのではないでしょうか?恋人限定じゃなくて、親や友達、周りの人みんな全部に対してね。辛い気持ちを抱えたまま一生を終えることもあるかもしれませんが、辛く思う心も、肯定してくれた人に対しての思いや、命に対して真剣に向き合った証拠だと思います。損な生き方なんてない。全ての命に敬意を払っていきたいと思います。
仕事柄、死の話は避けて通れません。通所施設は看取ることはありませんが、今まで生活の一部として利用してくださった方が突然命を終えた報告を聞くことはよくあります。突然にしろ、時間を経てにしろ、その方々との思い出に胸がぎゅっとなりました。今年は自分の祖父を含めて、いつも以上に多かった気がします。今日も少しだけ、ぎゅっとした気持ちになりました。
猫の話に戻りますが、交通量が多く、工場だらけの街でよく生きていけたと思うのです。近くの大きな通りでは動物達が行き倒れているのをよく見かけました。一時でも、安らげる場所があったこと、愛してくれるものがいたことがなにより、猫自身の命を長く繋げていけたことではないだろうかと、冷たくなった亡骸を見て考えていました。
そう考えると、愛してるとか、好きだとか、感謝するとか、肯定する気持ちはなかなか口に出して言えないものですが、肯定する気持ちを出すことや、受け止めることで、生きるものはいのちを燃やし尽くすことができるのではないでしょうか?恋人限定じゃなくて、親や友達、周りの人みんな全部に対してね。辛い気持ちを抱えたまま一生を終えることもあるかもしれませんが、辛く思う心も、肯定してくれた人に対しての思いや、命に対して真剣に向き合った証拠だと思います。損な生き方なんてない。全ての命に敬意を払っていきたいと思います。
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