偶然に徳永英明が歌う「翼をください」をTVで聞いた。
この歌、今までに幾度となく聞いていたが、
題名が思い浮かばなかった。
今年の春、59年ぶりに訪れた母校の小学校で聞いた歌である。
4月に父の法要のために久しぶりに故郷に帰った。
禅寺での法要が始まる前に近くにある小学校を訪ねた。
そのきっかけは、昨年、東京で50数年ぶりに再会した
小学校時代の幼馴染の友人のお陰である。
彼とは音信不通になっていたのだが、
ネットの仕事を始めたおかげで奇跡的に連絡ができたのである。
♪今 私の願いごとが 叶うならば 翼がほしい~♪
50数年ぶりに東京で再会時、
彼は昭和25年の小学校の卒業写真を持ってきてくれた。
彼と肩を並べて写っているセピア色の一枚の写真。
59年前の自分との再会。
その瞬間、彼のお母さんのことが脳裏に浮かんだ。
敗戦直後の当時は、今では考えられない食糧難の時代。
8人家族で、いつも空腹に悩まされていたことを覚えている。
学校帰りは、我が家を通り越して彼の家へよく行った。
勝手口に大きな水槽があり、山から水がひかれていた。
その水槽の中にいる山椒魚を見るのが楽しみだった。
そればかりか、彼のお母さんから、
いつも、いつも、おやつを貰っていた。
その時の恩義を忘れていない。
今でも思い出すと、胸が熱くなる。(続)
この歌、今までに幾度となく聞いていたが、
題名が思い浮かばなかった。
今年の春、59年ぶりに訪れた母校の小学校で聞いた歌である。
4月に父の法要のために久しぶりに故郷に帰った。
禅寺での法要が始まる前に近くにある小学校を訪ねた。
そのきっかけは、昨年、東京で50数年ぶりに再会した
小学校時代の幼馴染の友人のお陰である。
彼とは音信不通になっていたのだが、
ネットの仕事を始めたおかげで奇跡的に連絡ができたのである。
♪今 私の願いごとが 叶うならば 翼がほしい~♪
50数年ぶりに東京で再会時、
彼は昭和25年の小学校の卒業写真を持ってきてくれた。
彼と肩を並べて写っているセピア色の一枚の写真。
59年前の自分との再会。
その瞬間、彼のお母さんのことが脳裏に浮かんだ。
敗戦直後の当時は、今では考えられない食糧難の時代。
8人家族で、いつも空腹に悩まされていたことを覚えている。
学校帰りは、我が家を通り越して彼の家へよく行った。
勝手口に大きな水槽があり、山から水がひかれていた。
その水槽の中にいる山椒魚を見るのが楽しみだった。
そればかりか、彼のお母さんから、
いつも、いつも、おやつを貰っていた。
その時の恩義を忘れていない。
今でも思い出すと、胸が熱くなる。(続)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます