ブラジルとブラジルのマーケティングあれこれ

ブラジルで日々おこることをマーケッターの目で解説するページ。広告業界の情報も。筆者はブラジル在住29年目。

ポンテプロンタ広告ブログ

ブラジル、サンパウロで活動する広告会社のブログです。展示会、イベント、マテリアル製作、調査・マーケティング・コンサルティングの分野で、主に日本の企業、政府関係機関の業務のお手伝いをしています。日本語とポルトガル語のバイリンガルでアテンドいたします。 www.pontepronta.com.br

大型イベントとしてのカトリック集会

2013-07-29 11:35:16 | イベント

リオデジャネイロで行われていたカトリックの青年集会が日曜日で終わり、法王はその日にバチカンに帰国した。

最終日のミサが行われたコパカバーナ海岸に集まった信者と一般は、オーガナイザーの公式発表では320万人。一方、フォーリャ・サンパウロの調査会社のDatafolhaの推計では120万人(一平方メートルあたり何人入るかで計算したらしい)。両者の数字に大きな差があるけど、とにかくあのコパカバーナが人で埋まった。最初、バチカンから法王が来てパレードをするぐらいの認識しかなかったけど、とてつもないイベントだったのだ。

世界的に有名な大晦日の花火大会の観衆が100万人といわれるから、それを上回る人数が集まった。因みに2006年のローリング・ストーンズのフリーコンサートのときも100万人以上と発表されている。

イベントの写真(Veja)

3日前の発表された場所の変更(当初はリオデジャネイロ市北部の農場の特設会場で前夜の「徹夜の祈り」と最後のミサを行う予定だったが、雨と工事の遅れのため使用できなくなった)があったにもかかわらず、最後は形にしてしまっ。トイレが足りない、ランチボックスを受け取るのに5時間かかったなどさまざまなミスは報道されているけど、まぁあれだけの人が集まれば何もおこらないわけはない。オーガナイザー側より政府側のミスが目立った感じがする、先の会場の変更は明らかにプランニングミスだし、地下鉄が2時間にわたって止まったり、法王が初日の飛行場からセントロに行く時に経路の打ち合わせがうまくいっていなくて、群集に囲まれて一時立ち往生している。

そんなミスがあって「ワールドカップやオリンピックをうまくやってのけることができるのか」という批判も一部にあったけど、人数の多さとその集中度は、それらをはるかに超えるイベントだったと思う。マラカナンの入場者は多くて10万人で、観衆はすべて入場券でコントロールされている。コパカバーナでもパブリックビューが行われると思うけど、いくらなんでも100万人は集まらないだろう。ただ違うのは観衆がカトリックの信者という「おとなしい」人たちではなく、サッカーファンであり、統制をきかせにくいというところか。

ブラジルの大都市でこの規模のイベントを実施できるのは、やはりリオデジャネイロしかないというのがよくわかった気がする。そもそもサンパウロにはそんな場所はない、イビラプエラ公園にあれだけの人数が収まる?

僕もイベントの仕事に関わることが多いのだけど、準備段階では頼りないブラジル人業者だが、彼らの土壇場の踏ん張りに感心することが多い。今回もそんな火事場の馬鹿力が大いに発揮されたのだろうね。


スノーデンの暴露がブラジルにも飛び火

2013-07-08 14:26:17 | 事件

エドワード・スノーデンによるメール・電話盗聴の暴露はブラジルにも飛び火したね。土曜日にグローボ系の新聞『O Globo』が記事にした。米国の企業のブラジルでの提携会社を通じての盗聴であり、ブラジルの会社もそれを承知していたとのこと。米国にとってブラジルは中国、ロシア、イラン、パキスタンについで重要な国とのことである。

驚いた(想定していた?)政府は米国政府に説明を求めるとともに、連邦警察に捜査を指示している。素早い反応だ。ブラジル中の通信会社は呼び出されていろいろ聞かれることになる。でも盗聴はブラジル政府もお手のもので、汚職その他のスキャンダルはほとんどが連邦警察による電話の盗聴が発端になる。裁判所の許可を得て、というのが説明だが、その内容がバンバン、新聞や雑誌の記事なるところがすごい。「リーク」どころの話ではない。まぁブラジルもやとうと思えばやるだけの仕組みを持っているということだ。

ブラジル政府はスノーデンの亡命申請をいち早く拒絶、またボリビアのエボ・モラレス大統領の専用機の上空通過、着陸拒否をめぐって緊急に招集された南米諸国連合(UNASUR)の会議にも欠席するなど、この問題には距離をおいていたようだが、これで対応がわからなくなってきた。このタイミングでだしてきたということは、米国と南米の大国のブラジルの関係に揺さぶりをかけて、南米への亡命を有利に運ぼうという作戦なのか。

ところで暴露先の新聞が『O Globo』だったとは。前のウィキリークのときはフォーリャだった。テレビとつながっていて、インパクトが大きいということで選んだのだろうか。それとも他紙は受け付けなかったのだろうか。こういうことも気になってくる。