only one diet

世の中に溢れるありとあらゆるダイエット方法を検証したり
調査するブログ

マインドフルネス的ダイエット

2020-02-04 09:41:00 | ダイエット

ダイエット法は数限りなく提唱されています。決定打がないということは、既存のダイエット法に問題点があるのだと思います。なにが間違っているのでしょうか?


精神科医の久賀谷亮さんのインタビュー記事をご紹介します

【久賀谷さん】
食べ方でなく食べ物ばかりに特化している。精神論、根性論に依拠している。脳を無視している。その3点です。

我慢や己を律することで何かが達成できると思っている人は多いですが、2分間、目をつぶってみてください。次々と考えが生まれてきます。それは、本人の意思に反して脳がしていることです。それを止めようと思っても、人はその術を持ち合わせていません。

既存のダイエット法は食の制限の仕方は説きますが、「食べたい」という欲求をどうするかには触れません。そうなると根性で乗り越えるということになります。止められない脳を止めよというのが根性論だとしたら、それはうまくいきませんよね。

もう一つ、食行動の問題は内面が満たされないことと深く関係しています。ところがそこに「根性」が入ってくると、自分を責めてしまう。ダイエットがうまくいかないのは己を律することができないダメ人間だからという罪悪感が生まれ、さらに悪い食生活になる。自尊心を下げるような考え方は、ダイエットにとって逆効果です。


「注意を向けて食べる」のほうが長続きする

――既存のダイエット法でも「糖質制限」や「食べる順番ダイエット」などは、「食べ方」に特化したものではないですか?

【久賀谷さん】
ここで言う「食べ方」のエッセンスは、「注意を向けて食べる」ということです。そのメソッドが「マインドフルネス=今ここに注意を向ける」です。脳科学の世界では、「熱心に好奇心を持って」と表現しますけど、ただ見るという意味の注意ではありません。注意の向け方をしっかりさせる方法を身につけ、実践します。

糖質制限は私も実践したことがありますが、体重減少という意味では大変効果的です。甘いものへの「依存」はダイエットを阻みますので、それを制限し、依存を脱すれば痩せます。ですから既存のダイエットを否定するものではありません。

ただ、それだけでは問題は解決しません。内面に満たされていないものがあるので、例えば甘いもので埋めている。そこを見つめることなしに制限をしても、すぐ脱線します。

脳にとって食は「快楽」です。本当に必要な時だけお腹が空き、食べる分だけ食べるのが正常運転だとすれば、食べ物があふれる現代において人はある意味、快楽中枢が脱線している状態です。

注意を向けた食べ方と、枯渇していた内面を満たすこと。その両方を組み合わせれば、ダイエットは成功する。本質的な変化だから長続きするのです。


食べる作業は自動運転に任せてはいけない

――注意を向けるだけで、そんなにうまくいきますか?


※写真はイメージです(写真=iStock.com/LeoPatrizi)

【久賀谷さん】
箸を持って、ケータイを見ながら食べる。それが注意を向けない食べ方です。食べることを、自動操縦にしてしまっているのです。「今ここにある」食べ物に注意を向けず、食べる作業は自動運転に任せ、他のことに注意を向けている。

だからストレスがかかって食べるのか、退屈だから食べるのか、自分に自信がないから食べるのか。それがわからず食べてしまう。

今日のランチから、「食前セレモニー」を30秒でいいからしてください。方法は簡単です。

「物」をかきこむ食事を変える必要がある

【久賀谷さん】
まず食べ物を初めて見たかのように見る。それから匂いを嗅ぐ。口の中に唾液は出てきているか、腹の減り具合はどうか。この食材はどこでどのように作られたか、どういう経路で届いたのか。そんなことを考えながら見る。それから食べる。それだけでもマインドフルネスです。

これをやることによって自動操縦、つまり「物」をかきこむ食事を変えられます。そうすると食べたい衝動に突き動かされても、ああこういう理由で自分は欲しているんだ、とわかります。

人間は感情というすごくパワフルなものを持っているので、突き動かされる力っていうのは計り知れないんですよ。ましてやこの忙しいストレスフルな現代では、食べることに注意を払っている暇などないですから、突き動かされたらころっと行ってしまう。

注意を払うことができるようになれば、食べても脱線することがなくなります。無造作に食べなくなることで、常にある枠の中で食生活が送れるようになるのです。

――仮にストレス要因が上司にある場合、その人が変わってくれなければ、結局食べたい衝動に突き動かされるのではないですか?

【久賀谷さん】
「人はなぜ痩せたいのか」と考える時、私は100%の答えは持ち合わせませんが、人からよく見られたいという思いがどこかにありますよね。他者から認められたい、他者から言われたことに従わねば。その思いが強すぎるということはないでしょうか。

ご指摘の通り、上司は変わりません。いろいろ要求してきます。でもそういう人がいても満たされる自分に変わればいいんです。現実は変わらない。それなら自分を変えましょう、それは可能ですよということを申し上げたいのです。


多幸感が増せば、ものを詰め込む必要がなくなる

多幸感が増せば、空洞にものを詰め込む必要がなくなります。

痩せるのは、物理的には簡単です。それで一時の安心感を得たとしても、それは結局、上っ面に過ぎません。食という鏡は、何かを映し出しているんですよ。何かを変えるほうが先だと思いませんか。

久賀谷 亮
医師/医学博士
イェール大学医学部精神神経科卒業。アメリカ神経精神医学会認定医。アメリカ精神医学会会員。日本で臨床および精神薬理の研究に取り組んだあと、イェール大学で先端脳科学研究に携わる。2010年、ロサンゼルスにて「TransHope Medical」を開業。臨床医として日米で25年以上のキャリアを持つ。著書に『世界のエリートがやっている最高の休息法』 (ダイヤモンド社)などがある。




太ってて悪いか

2020-02-04 07:15:00 | ダイエット
日々、ダイエットや健康に関する情報をお伝えしていますが、ちょっと面白い記事を発見したので発表します

コンビニのサラダチキンを食べるバカ

世の中、ダイエット関連の情報だらけだ。ちょっと思い返してみるだけでも、リンゴダイエットや納豆ダイエット、炭酸水ダイエットなど、これまでさまざまなダイエット法が提唱されては廃れていった。


特定のものを食べ続ければ痩せる……なんて方法に、どんな科学的根拠があるというのか。


人体は基本的に、摂取したカロリーよりも消費したカロリーのほうが多ければ、痩せていくものだ。
そして、特定の食べ物や飲み物だけを摂取するといった、極端な偏食をするだけのダイエットで仮に体重が落ちたとしても、「それは“痩せた“のではなく“やつれた“だけなのでは」と感じることも少なくない。

とはいえ、今回はダイエット方法の是非について細かく論じたいわけではない。本稿で言いたいのは「別にデブでもいいだろ!」ということです。


局地的ブームに流されるだけの中途半端な体型維持

どうせ、中年になれば代謝なんてものは悪くなり、10代、20代のころと同じ調子で食べていれば太ってくる。
そして、若いころと同じペースで動いているだけでは体重は減ってくれない。
そうした「老い」をきちんと認識しなければならない。
それなのに、昨今の「美魔女」だの「ちょい悪オヤジ」だの、局地的ブームに流されては中途半端に体型を維持しようと頑張る。

本当に走るのが好きで好きでたまらない、ジムでワークアウトするオレ、サイコー! みたいに思うのであれば、体を鍛えまくればいいのだが、正直面倒ではないか? 「あぁぁ、今日は会社帰りにジムへ行かなくちゃ……でも、すげー豪雨! どぉしよぉ~」なんて状況の場合、自宅から2駅前で電車を降りてジムに行くよりも、家の最寄り駅にパッと着いてチャーシュー麺でも食ったら、さっさと帰宅したいところだろう。
部屋着に着替えてゆっくりニュース番組でも見て、風呂入って寝たいわ、なんて思うのが、本来自堕落な存在である人間の性なのだ。

もうね、世のオッサン・オバサンは無駄にダイエットしなくて結構! アメリカなんかに行けば、「お前とコビトカバ、どっちのほうが重い?」みたいなオッサンやオバサンがそこらへんを歩き回り、巨大ホットドッグや1リットル近い巨大紙コップのドリンクなんかを口にしている。
「ダイエット・コークだから太らないもんね」なんて言いながら、特大バーガーとチェダーチーズまみれの山盛りポテトをわしわしと食い続ける。

「痩せてないとイケてない」という呪縛

で、私はそれでもいいと思っている。いったい何なのだ、昨今の日本の風潮は! 
「イケてるビジネスマンはやせている」的なビジネス書もどきが売れたり、「貧乏人は炭水化物ばかり食ってるからデブ」「エグゼクティブ層は腹を満たすために食べるのではなく“健康”を獲得するために野菜を食べる」と批評したり、いちいち差別的に断じて、危機感を煽るような空気は気色悪くて仕方がない。

しかし、「イケてるビジネスマン」ワナビーのバカはそうした風潮にすぐに食いつく。
そして、せっかくの外食なのに妙に高いだけで大してうまくもないサラダのみで済ませたり、コンビニの「サラダチキン」を食っては「時代は糖質オフだよね」なんてホザいたりするのだ。

いい年をしたオッサン・オバサンは、もう「痩せていない人間はイケてない」みたいな呪縛から解放されてはいかがだろうか。
痩せているほうが確かに自分を律する人に見えるかもしれないが、結局人生というものは、いかにストレスを減らすか、ラクに生きるかを考えるのが肝要なのである。あとは、いかに「競争」に晒される機会を減らすか。
そうした意識を持つことこそ、幸せな人生を送るための第一歩だと、私は考える。

だいたい、ジムに行ったり、皇居の周辺を走ったりすると、基本的には「オレのほうが足が速い」やら、「ワシのほうがさらに重いバーベルを上げられる」やら、「私の着ているウエアのほうが高い」などと、自分のまわりが他人との競争だらけになってしまうのである。
体を鍛えなければ、体重を減らさなければ、といった課題は、自然と見知らぬ他人との競争を強いられる状況をもたらし、それがストレスにつながっていく。


体型よりも仕事の実績

そりゃ、アスリートや俳優、モデルであれば、均整の取れた体を作り上げる必要があるだろう。しかし、ビジネスマンに関していえば、基本的には頭脳さえしっかりしていればなんとかなる。
デブでも実績さえあれば、周囲は信用してくれるもの。現在の過度なダイエット志向に振り回されがちな状況を、私は非常に問題視している。

私が毎週出入りしている雑誌の編集部には「入稿メシ」と呼ばれる弁当がよく置かれている。これを編集者やライター、デザイナーが食べるのだが、かなり白米が残されているのだ。
では、彼らがみな均整の取れた体なのか? というと、まったくそんなことはない。

年相応に中年太りは多いし、女性であっても「オレよりも体重、重そうだな」という人はそれなりにいる。量が多過ぎて残さざるを得ないのであれば仕方がないのだが、「痩せなくちゃ」「炭水化物をたくさん食べちゃダメよね」という強迫観念で白米を残しているのであれば、そこまで無理をしなくてもいいのでは、と思うのである。


不気味な「ダイエット教」からの決別

観察してみると、弁当の炭水化物を残す人は案外おやつをバカバカ食っていたり、コーヒーチェーンの生クリームが乗っかったようなコーヒーもどきのドリンクを摂取していたりする。食事の炭水化物をちょっとばかり少なくしようが、一日あたりの摂取カロリーが多ければ体重が増えるのは当たり前だ。

消費カロリーよりも、摂取カロリーを少なくする──この大原則さえ理解していれば、太ることはない。「甘いものが食べたい!」「小腹が減った。何か食べたい!」「せっかくの差し入れ、味見したい!」なんていう状況で、「いや、自分は食わん!」という意志を持てば、デブにはならない。

しかしながら、そこで「食べたい!」という欲望に従ったとしても、罪悪感を抱く必要はまったくない。デブも個性である。好きなように生きようではないか。もう、「ダイエット信仰」は終わりにしよう。少なくとも、風潮に踊らされてストレスを溜めるだけのダイエットからは距離を置こう。


ちなみに43歳の私は身長168cm、体重54kgだが、この体型は15年変わっていない。そして、一度もダイエットをしたことはない。

どうしても体重を増やしたくないんだったら、まずは過度に食うな。減量にラクな道ナシ、である。

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・体型なんて個性。どんな体型だろうと、実績を残せば評価されるもの。
・どうしても太りたくないなら、過度に食べなければいい。
・折々のダイエット法に右往左往するのは愚か。危機感を煽るだけの“ダイエット教“から距離を置くべし。


この記事を書いたのはこちらの方です
       ⬇︎⬇︎⬇︎
中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライター、「TVブロス」編集者などを経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『バカざんまい』など多数。


とても面白い記事だと思いましたし、まったくその通りだと思います



わたし自身、超ほっそり〜ぽっちゃりまで経験済みですが、幸せの度合いで言ったらMAXデブの時が公私ともに1番幸せでした。

人からどう見られるかを気にして、ダイエットをするのはナンセンスだと思います

現在わたしは太り気味ですが、とっても幸せです

心のどこかでは、「別に太ってたっていいじゃん」って思っている自分が居ます。

それでもダイエットをする理由は…
誰の為でもない!自分の為です!

身体が重くて…以前のように動けなくなってしまい、そんな自分が嫌でダイエットを続けています。

もっと年齢を重ねた時、動ける自分でいる為に
、健康的に身体を引き締めたいのです。

他人の目や、評価なんて関係ない
そんなことに囚われていては、人生損しますよ。

すべては自分のため

これからも、ダイエット商法に踊らされる事なく、有益な情報をお届けします