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ブログを続ける理由。。。動画よりも文章で伝えるべき大切なことがある

2023-12-04 02:49:57 | 政治
ほとんどの方はご存じだと思いますが、最近、及川幸久さんのユーチューブアカウントがBANされました
それについて、私自身はどう思っているか?。。ですが。。。正直、及川さんは一度「自らを省みる時間」をとるべきだろうと思います
つまり、本当の意味で「反省」が必要だと感じます
私が及川さんのことをそのように評することで、「傲慢だ」というご意見もあると思いますが、それはそれでかまわないので
私がいま思っていることを、ここに記しておこうと思っています

ユーチューブというのは、基本的に「情報発信ツール」なんだと思うんですね
つまり、新しい情報を仕入れるために、多くの人が見るものなのだと思いますが
私が常々感じていることとして、この「動画を見せる」という行為は、それ自体、「視聴者から考える能力を奪う行為」ではないのか?
と感じるのです
私自身の実感として、この、「動画を見る行為」に慣れてくると、「思考する習慣が無くなってくる」という感覚が強くなります
つまり「自分の頭が悪くなった」と、そう感じて仕方がなくなってくるのです
及川さんも、私が見る限り、「ユーチューバーの陥りやすい罠」に引っかかっている感じがして仕方がありませんでした
どういうことかというと、動画をアップするために、ルーティーンとして作業を行っている感覚に近くなってきてしまう、ということです
その動画をつくるために、「精神性を込めるために思慧(しえ)を練る」という事が十分できなくなってきて
視聴者の魂を揺さぶるような「言霊」が出てこなくなってくる。。。精神性がやや低くなる
という状態になりやすいように思うのです。。。ですから、及川さんはこの罠にしっかり陥っていたように、私には見えるのです

私自身、このブログを書いていて、「ああ、作業になってしまっているな。。。内容が落ちているな」と感じることはあります
そういうときは、一旦日記から離れて、こだわりから脱し、頭を空っぽにしてしまい
静かな環境下で、十分な思慧を得られるようになってから、また日記を再開するようにしていたりします
この、「静かな環境下で、心を静め、ずっと同じテーマについて考え続ける」という事をやっていると
ふと、心の中にインスピレーションが降りてくることがあります
それは、いったん情報から離れて、書籍を読んだりして、そのあと、一つのテーマについて考えを深めてくると
てきめんにその効果が表れます。。。これ、実はとても霊的なものであって、この世的なものから少し離れた感覚なのです
何かをやり続ける。。。習慣化するということは大事なことなのですが
私が。。。特に習慣化について、「最も大事な習慣」だと思っていることを、ここに記しておきたいと思います

その習慣とは「祈りの習慣」です
私は、多少なりとも霊的な感覚を味わった人間として、霊的な祈りを継続している人間か?それとも、この世的に生きている人間か?
その人の言葉や雰囲気から、だいたい察しられるのです
ですから、最近の及川さんを見て、「この世的になって、単なる作業のようになっている」というのは、凄くよく感じました
私自身の感想を言うと、及川さんは元々、幸福の科学、幸福実現党の役員であったときから
この世的な仕事の能力は非常に高い方だとは思っていたのですが、霊的な感覚には少々物足りなさを感じていました
つまり、霊的な能力よりもこの世的な仕事能力の方に重点が置かれ、信仰心の方が多少薄い(失礼)ように感じていたのです
職員であり幹部であったときはそれでも、霊的なつながりがありましたので大丈夫だったんですが
言葉は選ばなくてはなりませんが、職員を離れてから。。感覚として。。及川さんは信仰からやや距離をとり始めたように思うのです

私の感覚から言わせていただきますと。。。それって本当に、「もったいない」ことなんですね
一度霊的な感覚を味わい、信仰の奥深さを味わうと、この世的なものが色あせて見えるぐらい、至福の幸福感覚を味わえます
霊的な世界は、神様の住む世界に近いほど、精妙で、静かで、深い深い幸福感覚のある世界です
その霊的な世界とつながる唯一の方法が「祈りの習慣化」なのです
それも、「神様に対するおねだり」的な祈りではなくて、「神様に生かしていただいていることへの感謝の祈り」なんです
神様は基本的に、「神へのおねだり」をする人の要望に応えることはほぼありませんが
「神への感謝の祈り」をささげてくる人には、陰になり日なたになり、その人を支援してきます
神の助力を得られる人というのは、「信仰心があって、神への感謝の気持ちを常に持っていて、勤勉である」
こういう人なんですね。。。これが、スマイルズの書き下ろした「セルフヘルプ(自助論)」の中でも数多く実例として示されています

この世的な成功を目論んで、信仰という命綱を切り離すと、それは「神様から遠ざかる」ことを意味します
本当は順番が逆で
信仰という綱を掴んで、勤勉な努力を続けていく中に、成功への道が開けてくる。。。これが神様の目から見た成功法則なのです
その最初の一歩である、「神への信仰」があるか?
これが、いずれ問われることになるのです
及川さんは、私自身の感覚では、「これまでの功徳によって、自らを省みる時間が与えられた」
ように感じます
「なんで及川さんを批判するのか?」と、表面的にはそう思うかもしれませんが
私は、及川さんにアドバイスしてあげたいことは一つ。。。「今世、信仰を学ばなければ、次はこれほどのチャンスはないかもしれませんよ」
ということだけなんです。。。決して批判したいわけじゃない。。。これまでの功績を「多大なもの」と思うからこそ
頑張って、信仰心を取り戻し、本来の姿で言論を続けて欲しいと願います

それではまた
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