安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

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そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

神に愛される国、神に見放される国

2023-08-16 02:20:28 | 政治
ここ数回の日記で、個人的な霊的見解を含めた日記を書いたので、とても意味不明であったのではないかと思います
読んでくださっている方には大変申し訳ないのですが、私がこのようなことを言い始めた背景には、一つの思いがあるからに他なりません
その思いとは、「今地球は、”お立て直し”の時期に来ている」という思いです

個別の国で言えば、例えばアメリカがどうであるとか、日本がどうであるとか、ロシアがどうであるとか
それぞれの国にとっての正義とか理想の姿とかは当然ありますけれども
いまと言う時代は、それを超えた大きな変革が起きつつある。。。地球と言う星の運命そのものが今変わっていこうとしている。。。その端境期にある。。。
私にはそんな気がしてならないのです
これまでの世界の警察であったアメリカの地位がどんどん低下しており、逆に第三世界の台頭が始まっています
アメリカは国内から内乱状態に近づいて内部崩壊を始めているほか、ウクライナ戦争でロシアの後塵を喫し、軍事的な影響力も低下しています
今はアメリカ軍そのものが、ウクライナへの行き過ぎた軍事支援によって通常兵器のストックさえ不足して困っていることが伝わっています
ウクライナでは、ウクライナ軍は事実上ほぼ壊滅状態にあり、アメリカの軍事支援はほとんどロシアの攻撃の餌食になっているようです
このように、既存の権力や権威が崩壊しつつあります

そうしたことが如実にわかる動画があります
まずこれらの動画をご覧いただければ幸いです




この伊藤貫氏は、先日もトクヴィルの「アメリカの民主主義」について、非常に素晴らしい解説をしてくださいました
アメリカの民主主義というのは、とどのつまり、「数を取った者、数をとった意見が正しさであり正義である」
という政治形態だという事なのです
元々、ギリシャ哲学や、古代・中世ヨーロッパのキリスト教神学や哲学では、「神の説く普遍的な真理」が正義であり正しさだったわけですが
その「正義」の概念が、「民衆の多数決」に、完全に入れ替わってしまったのです
つまり、もともと旧約、新約の聖書や哲学書などに求めていた「正邪の判定」を、大衆の意見に求めるようになったのです
これが、いわゆる「アメリカ型の民主主義」です。。。今の日本も、このアメリカ型民主主義を正義と信じる人は沢山いるでしょう
しかしこのアメリカ型民主主義。。。とても脆弱なのです
なぜなら、このアメリカ型民主主義は、大衆の欲望や恐怖心をコントロールすることで、簡単に操作ができてしまうのです
つまり、世論をうまくコントロールする術(すべ)を持っている者が、世論を操り、正義の概念を書き換えてしまう事ができるわけです
その大変良い例の一つが、LGBT問題だと思います

今日は、「神に愛される国、神に見放される国」という題をつけた日記です
例えば、世界的な宗教は、実はすべて「他人に与える事」を「正しさ」として教えています
キリスト教では「汝の隣人を愛せ」という隣人愛を説いていますし、仏教では布施の功徳を説き、奉仕する生き方を美徳としています
つまり、代表的な世界宗教はいずれも、「他人に与える事」が正しいとして、聖書なり仏典で教えを残しているのです
それを読んだ後世の人々もまた、それに感化され、国民の倫理観が自然と備わっていったわけです
逆に、アメリカの民主主義を見てみましょう
アメリカの民主主義では、「国民の欲望」こそが正義になるのです
例えば、選挙でえらばれる政治家は、国民に補助金を支給した実績が多いほど、選挙で通りやすくなります
国民は政治家に「お金を配ること」「補助金を出すこと」を求め、政治家は国民の税金を使って合法的な賄賂のように国民にバラまきます
つまり、「他人に何かを求める事、要求する事」、これがアメリカ型民主主義の原理なのです
ですから、バイデンが国民に生活補助をたくさんばら撒いても、それが民衆の多数の支持を集めれば、それが正しいことになるわけです
ここですね、ここをよく考えないといけないのです
つまり、補助金やお金のバラマキをできる立場にある人が、国民の意見を金でコントロールできるわけです
この手法は、ナチスのヒトラーでさえ用いた、簡単な大衆扇動術なのです
権力や権限を持つ人間が、大衆の意見をコントロールできるようになる
つまり、正義は権力者がコントロールできるのです。。。この正義。。。普遍的なものと言えるのでしょうか?

宗教は民衆にも、「他人に与える事」「布施をすること」、これを求めました
アメリカ型民主主義は国民に「政府へ服従すれば欲望の一部を与える」ものなのです
両者は座標軸が正反対なのです
アメリカ型民主主義も、WASP(白人プロテスタント)が中心の時代は、大変倫理観に優れていました
それは、多額の寄付を祝福し、肯定する伝統があったことからも分かります
ところが、今のアメリカは非白人が多数を占め、信仰の価値観がだんだん崩れてきてしまっています
有色人種を否定しているわけではないのですが、今のアメリカは不法移民が多数を占め、生活保護を受け取る人々であふれています
カリフォルニアなどは、浮浪者の町と化していると聞きます
欲望の自由を正義とする信仰が立つと、こういうことになるのです

神に愛される国、神に見放される国は、見分けるのは簡単です
国民に信仰心はあるか?これを見れば、その国が神に愛される国かどうかは分かります
信仰心とは「神を信じる心」です
「欲望の自由(アメリカ型民主主義)を信じる心」ではありません
私は民主主義を否定する立場ではありません。。。しかしながら
民主主義には必要なものがある。。。それは「神への信仰」です。。。これが不可欠だと私は思っています
アメリカ型の民主主義も、国民にキリスト教福音派という信仰が立っている時は、問題は多くとも国としては比較的健全な部分がありました
では、日本には何の信仰がありますか?
日本の民主主義を担保するのは、残念ながら日本神道ではないだろうと思います。。。日本神道の信仰では無理ですね
これからの混乱の時代。。。日本にも本物の信仰が確立していくことを心から望みます
コメント
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