会津若松市内 甲賀町通りにある
『甲賀町口門跡』
現在の会津若松市の基礎を築いた
蒲生氏郷は、鶴ヶ城の周囲に広く外壕を設けました。そして武士の住む郭内と、町民の住む郭外を、その外壕で分けました。
その間を16の門で繋ぎ、現在残る唯一の門跡の石垣がこちらです。↓
↑この道を真っ直ぐ左に行けば←鶴ヶ城正面へと続きます。
戊辰戦争の後、その外壕は、田んぼにするとの条件で総て埋め立てられました。
戊辰戦争後150周年の記念ポスター
3年前のことなのだけど、
広く頒布する前にこれを見る機会があって
「土間に裸足ではおかしい。弓道は土間は使わないし、必ず足袋を履く」と、申し入れた経緯があるのだけど、もう印刷に掛かってて、間に合わず😭
何を隠そう、
ワタクシ、いっとき弓道にのめり込んだ時期があってね~
サムライシティ あいづを名乗るなら
拙いでしょ?
鶴ヶ城のお堀も初夏の陽気で麗か
桜🌸の蕾は少しピンクがかってました。