明治神宮も公表してゐる教育敕語の現代語譯は皇室や臣民と言ふ概念を暈《ぼか》して書いて有るので嫌ひです。一度電突して變へろと言はうかと思ふ位です。(笑) 其のやうに暈《ぼか》すから却って左翼勢力に攻撃材料を與へる事に成るのだと思ひます。
(教育勅語 現代誤訳 変えろ 与える)
、、、と2006年02月19日の記事に書いてゐたのだが、まさにその通りのトラックバックを戴いた。
- 三四郎日記 「教育勅語」の右派勢力による意図的な誤訳(2) (http://blog.goo.ne.jp/yojiro5/e/782b9f6d980e3655bf9d6f35290700af)
(意図的 誤訳)
そもそも樣々な場面で保守派が奧齒に物が詰つたやうな答辯をするのも私は氣に入らない。
(奥歯 答弁 気に入らない)
話を教育に限つて言へば、私なら、
- 愛國心を教育基本法に盛込むのは何故か?戰爭に繋る
→戰爭に繋るといふのは飛躍だが、 國土を守る爲には戰鬪も辭さない國民を育てることも目的の一つで有ることは事實。
- 思想の強要にはならないのか?
→教育とはそもそも思想の強要である。 これまでは教師が好きに思想を強要してきたが、 これからは政府が主導權を持ち、思想を強要していく。
(戦争 国土 戦闘 辞さない 国民)
私の意見にすべての人が贊同する訣はないし、それで良い。 むしろ子供質のためにも樣々な思想に觸れられる方が良い。 だからこそ言論の自由が日本には必要なのである。
(触れられる)
ともかく、暈した主張では却つて誰の信頼も得られないと思ふ。
最後に一番問題とされてゐる箇所に關して自分の考へを再掲する。
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (、、、もし(戰爭も含めた)非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき(皇室・)皇国の繁栄に尽くしていくべきです。)と云ふ所ですが、此れの何處(何処)が問題なのでせうか? 此の國が皇國なのは事實(事実)だし、戰爭時に國の爲に戰ふのは當然(当然)だ、さう堂々と言へる時代が來ることを願ひ草の根活動を續(続)けて行きます。
TB戴いたブログ:
- 観劇レビュー&旅行記と日記 『20の徳目』 と 『12の徳目』 (http://blog.goo.ne.jp/junsky/e/833f922f1ef90ee2c00481d49045b21e)
- 労働相談・JMIU博多協議会 教育勅語の現代語訳と『12の徳目』 (http://blog.goo.ne.jp/jmiufk/e/18498a67d694e6f83809d2ab00ae2a8e)
でも、どうせなら旧漢字ではなく、文語文にしてはどうでしょうか。
難しいですが(笑)
文語文にこそ、日本語の美しさが凝縮されていると思います。
また来ようと思っています。
文語調にしたしと前々から思ひたり。
以前より文章中の叮嚀語を減らしたるは、文語調に移行する爲の準備なり。
叮嚀語等の敬語を含む文章まで文語調で書くは無理と判斷したり。
文語調ならばどう書くことになりやと常に考へながら文章は書きたり。
事實の記載、自分の考への記載は正字正假名文語調。
人に話しかくる文章の記載は正字正假名口語調。
このやうに移行することを目指したり。
いつになりや分かりませぬが。