傳統を輕視、破壞してきたことへ反省してゐるのは何も日本だけでは無いやうだ。
(懐く 伝統 軽視 破壊)
------- 【新せかい百科】ロシア発 帝政時代への回帰 (産經新聞 2006/05/23)
■失われた文化に郷愁
「われわれはソ連人ではない。ロシア人だ」。ロシアの知識人層の間で今、そんなスローガンを掲げて、帝政時代の文化や伝統を蘇(よみがえ)らせようとする動きが加速している。
ロシアのバレエとオペラの殿堂として名高いモスクワの国立ボリショイ劇場。一七七六年に創設され、幾度か火事で焼けて修復された後、一八五六年に建て替えられた現在の劇場本館は、昨年七月に閉鎖され、百五十年ぶりという大規模な改修工事が行われている。
その「モスクワの顔」の化粧直しで注目されている変更個所に、劇場の紋章がある。ソ連のシンボルである鎌と槌(つち)から、帝政の紋章である双頭のワシに戻すのだそうだ。
ロシア大統領府紋章評議会のマイスター、ビリンバホフ氏は「歴史的外観を復活させ、ロシアの文化拠点にふさわしい」と述べ、文化・映画芸術庁のシュブイドコイ長官も「私たちが、ソ連ではなく、伝統に敬意を払う民主的で自由な国、新しいロシアに生きていることを象徴する出来事だ」と称賛している。新しい紋章は、劇場が再開する二年後の二〇〇八年にお披露目されるという。
帝政時代への回帰という現象はまぎれもなく、ロシア権力の象徴であるクレムリンをも覆う。
「芸術と政治の融合」と呼ばれるクレムリンの大改修工事は一九九六年、エリツィン前政権下で八億ドル(約九百二十億円)余をかけて行われ、以後、館内に は、ソ連の最高権力者、ソ連共産党書記長の肖像画に代わり、ロシア帝国の歴代ツァーリ(皇帝)の肖像画が飾られている。ツァーリを「専制君主」と呼んで抹 殺したソ連政権とは逆向きの“革命”である。
一昨年の再選を受けてクレムリンで挙行されたプーチン大統領の大統領就任式も、豪壮できらびやかな帝政時代の戴冠式を模倣していた。数々の式典は、帝政スタイルを色濃く反映している。
革命後にブルジョア的だとして禁止されたロシアのクリスマスに当たる年末年始のヨールカ(モミの木)祭りも、豪華に蘇った。「ロシアの心臓部」クレムリンを守る近衛部隊の服装まで、帝政時代の伝統にこだわるという念の入れようだ。
ソ連時代、革命家たちの名前を取って改名された大都市中心部の大通りの名称も、帝政時代のものに戻され、ソ連崩壊後に新たに建造された潜水艦を含む軍艦船も当然、帝政時代の英雄たちにちなんで命名されている。
ロシアの指導層のそうした帝政趣味は、もちろん、流行に敏感な庶民の文化にも広がっている。
それが顕著に表れているのが、映画・テレビ業界だろう。この五年間にロシアで制作・発表された新作映画やアニメ、テレビドラマの実に三分の一までが、帝政時代を舞台にしたものだ。ロシア映画界のドン、ニキータ・ミハルコフ監督は「ソ連政権に、われわれのロシア文化は破壊された」と言ってはばからない。
帝政スタイル復権の潮流は、愛国心が高揚する中で宮廷文化にあこがれ郷愁を覚える人たちが増えていることを意味している。石油価格高騰で豊かになったロシアは今、ソ連時代に失われた自らの文化のルーツ探しをしているようにもみえる。(モスクワ 内藤泰朗)
過去を美化しすぎと思ふ人も居るだらうが、過去の良かつた點を再認識し、 守らうとするために、多少美化するのがそんなに惡いこととは私には思へない。
(点 悪い)
傳統を作り壞しては新しい物を作り、また傳統に囘歸する。 しかし元に戻れないことも有り、後悔する。 さうやつて人類の歴史が積上げられて來たのだらうとは思ふ。
(傳統 壞し)
しかし出來ることなら後悔はしたくないものである。 ロシアがいくら郷愁を感じようと、もうロシアは帝政に戻り得ない。
日本で同じやうな後悔はしたくないものである。