≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

関市刃物まつり に行った。

2018-10-30 13:05:56 | 行った話(展覧会以外)

公式HP →
通りを閉鎖して出店が並ぶ。たいそうな賑わい。黄色いテントは刃物の大廉売市で、包丁などびっくりするくらい安い。それ以外ではデッドストックの40年も前のはさみとか、知る人ぞ知るナイフメーカーのものとか、ここに来なければ見つからないようなものも沢山ある。
でもねえ包丁はそんなにたくさん要らないのよ、とか思っちゃったりするところがつまらないのだが、本職でどんどん研いでなくなっちゃうような人はぜったい来るべきだね。

このゆるキャラは?


関*はもみん だそうだ。頭からハサミが生えている。


この通りのほか、アピセ・関でのアウトドアズナイフショーも盛況だった。ドイツやフランスからの出展者もいた。ほかでは関鍛冶伝承館とか刃物会館とかあちこちでやっていたらしい。
トンネルの向こうのちょっと距離のある市役所が駐車場でシャトルバスが出てるんだけれど、その駐車場で食べ物のテントが出ていた。バス待ちを飽きさせないよい工夫だと感心した。
大したイベントだった。


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馬籠宿に寄った。

2018-10-27 15:01:10 | 行った話(展覧会以外)

関市などに行く道中、中央自動車道 神坂PA(かみさかパーキングエリア)に車を置いて馬籠宿(まごめじゅく)まで歩いてみた。

けっこうな山中で親近感がわいてくる。ほら、住んでるのが群馬の山奥だから。
小中学校の脇を上ったり遊歩道で川を渡ったりてくてくゆくと、馬籠宿上り口の駐車場に出る。
石畳の斜面を歩く。かなりの傾斜。


時間が悪かったか閉まっているお店も多かった。
特産の漆塗りのお店を冷かしてしまったが、触るなぶつけるな落とすな汚すな、とまあ注意書きの多さに閉口。観光地って大変なんだなあ。こんなにきれいに整備して一生懸命手を入れてやっている感じが伝わってくるだけに余計に胸が痛む。

そもそも疲れが癒えていないのに小旅行してしまって、それでなんかちょっと意気消沈しちゃうし、お店も閉まってたりするし、というか単に上り坂で疲れたし、中途で戻ることにした。
くるりと向きを変えて、今来た道を見る。視界にカメラのストラップか何かが入ってしまったようだ。やっぱり疲れてる。

この通りだけきっちり整備されている。

藤村記念館の塀の手前に「木曽の五木」というものがあった。


サワラ


ネズコ


アスヒ


コウヤマキ


ヒノキ


坂下営林署寄贈らしい。みんな針葉樹なんだなあ。



先があるので車へ戻る。
途中、道端にキンミズヒキが咲いていた。葉といい花といいバラ科の風情。



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細川貴弘『カメムシの母が子に伝える共生細菌』

2018-10-24 08:51:15 | 本 (ネタバレ嫌い)

この夏、ぐんま昆虫の森で『カメムシすごいぜ!』展 を観に行った ときに買ったもの。

期せずして共生細菌づいてます。あっ、ネタバレ(別の本)か!?
この本に直接関係ないし、その話はヤメ。


虫って特定のものしか食べない「偏食」が多いよなあ、と漠然と思っていた。
哺乳類だと あっちをつまみこっちをつまみ という感じで、たとえ草食といえでも色々な種類を食べていたり、虫に比べりゃ意外と偏食じゃないな、とは思っておったんである。

まず本文冒頭からそのことについて始まる。
p.2
「これは何か仕掛けが隠されていそうである。
 この謎に関しては古くから多くの研究がおこなわれており、現在ではかなりはっきりした答えが得られている。栄養成分が著しく偏った餌資源だけを利用して生活している昆虫は、体の内部に共生細菌を保持しており、餌資源の中に不足している栄養分を共生細菌に合成してもらうことで栄養不足を解消しているのである。」

抗生物質の投与によって共生細菌を取り除いて育てたチャバネアオカメムシの写真はなかなかインパクトがある。

そして、色々な種類の昆虫が共生細菌を持っているらしい。
例えば、アブラムシ類、ゾウムシ類、ツェツエバエ類、ヒトジラミ類、など。ああなるほど、餌が偏っている気がする。

p.4
「これらの昆虫の共生細菌は、単一の共通起源をもつのではなく、昆虫分類群ごとに独自の進化的起源をもっているのだ_」
長い歴史があるらしい。もう切っても切れない仲のようだ。

p.6
「・共生細菌は宿主昆虫の菌細胞の内部に寄生している
・共生細菌は宿主昆虫の母親から子へ垂直伝播される
・共生細菌は宿主昆虫と共種進化している
・共生細菌のゲノムサイズが非常に小さくなっている」


ここまで教えちゃってからのカメムシなんですよ。
カメムシといえば母親が卵を守る行動が有名である。さあ、それと垂直伝播を掛け合わせるとどういう面白いことが出てくるでしょう? というのがこの本の醍醐味である。

生き物って面白いねえ!


ひるがえって、ヒトがどうか、というと、腸内細菌ネタはずいぶん耳にするようになったし、皮膚常在菌とか、われわれの体にはすっごく沢山の種類や量の菌がいるらしい。
そのうちその分野で面白い本に出会うことを期待している。


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没後50年 藤田嗣治展を観た。

2018-10-21 13:55:36 | 展覧会に行った話

ベニー・シングスライブ のあと宿をとって、翌朝は東京都美術館に行った。 公式HP→ 

どう考えても混むので、珍しく開場まえから並ぶ。 


暇なのできょろきょろする。右の窓に大きいポスター。


殺気立っておる。あらかじめ他所でチケットを入手しておいてよかった。


展覧会は素晴らしかった。
フジタ展はこのまえには2013年に Bunkamura で 観たこともあるし、ずっと前1988年には庭園美術館で観たこともあるし、今回の没後50周年に合わせて都内で別の展覧会も催されているようだし、とにかく人気があるからしょっちゅう開催されている印象がある。
わたしが見たことのある2つと比べても今回の展覧会は大規模で、彼の仕事のメインの部分を眺められたのではないかと思う。

藤田氏の父親は軍医の偉い人で、彼が渡仏する際にわざわざソウル勤務の父親にあいさつに行った、というのに驚いた。その時に見た風景を描いた絵が展示されていた。
やはりあの当時、渡仏は誰しもできることではない。裕福な家だったのだろう。

展示は時間の流れに沿ったものだった。彼が日本で絵を習っていたときのものは特に個性を感じさせないものだった。そして渡仏して試行錯誤し己のスタイルを確立していく。そう、「乳白色の裸婦」である。
そういう裸婦像はいくつも展示されていたが、その中で個人像で今まで見たことがなかった1926年『横たわる裸婦』が素晴らしかった。

彼は戦争など激しく動く世界情勢に翻弄された。世界大恐慌のあおりを受けパリを離れたのち、リオデジャネイロでの取材を元にした 1932年『カーナバルの後』など一連の作品はそれまでの「乳白色の肌」とは異なるいわゆる油彩らしい描き方だが、題材によくマッチしていると思った。その『カーナバルの後』のこちらを見据える男の眼がとても印象的だった。
またそれとは対照的に、紙に水彩のあっさりした描き方の1933年『狐を売る男』は大きなソンブレロを被り、しゃがんでこちらを斜めに見上げる。何故と分からぬがこちらの心が揺さぶられる。

そして帰国、太平洋戦争開戦。彼が圧倒的な戦争画を描いたのは知られるが、ここでそれが見られる、というのも今回の展覧会の目玉のひとつだったはず。大きいキャンパスに暗く重々しく戦争が描かれている。わたしはあまり好きにはなれない。トレードマークのおかっぱ頭だったのを丸刈りにしこのような絵を描いた彼の心境はどういうものだったのか。
長らく国外にいて活躍していた者が帰国したときにはひどくギャップを感じたことだろう。そのベースの上であのような戦争画を描き、そして終戦後にはGHQに対する態度など色々批判される。嫌気が差したのは想像がつく。
その後そうとうな力を傾けて国外へ脱出し、のちにフランス国籍取得日本国籍を抹消する。彼の思いは色々想像できるが、彼の文章をまとめた本が数冊出ているのでそれを読めば彼の心境がより分かるかもしれない。

戦争で疲弊した彼がやっと日本を脱出してから描いた絵は、現実から乖離したものが多い。モデルのいない人形のような少女とか、20年くらいまえの彼にとって懐かしいパリの景色とか。
その一方で肖像画1955年『ジャン・ロスタンの肖像』はリアルだ。描こうと思えば描けるのだ。描く動機がなかったんだろう。

そしてカトリックへ傾倒してゆく。

色々な体験をし乗り越えてきた人生だったんだな、それを余すところなく絵に昇華したんだな、と思った。類いのない偉大な画家だと思う。


今回の図録を会場で手に入れた。会場特設ショップ限定判である。表紙の絵が違うだけだけど。沢山の部数が出ると見込まれているのか、このボリュームで2,400円とはお得である。



帰りに撮った。向こう側が門。まだまだ人が来る。実は会場を2周したが、2周目はさらに混んでいた。朝早めに来て本当によかった。


振り返るとこんな入口だった。



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ベニー・シングスライブに行った。

2018-10-18 13:21:54 | 音楽


9月7日日本先行発売のアルバムに合わせて行われた 9月19日にビルボードライブ東京でベニー・シングスのライブがあった ので行ってきた。

わたしは長らくCDメインで音楽を聴いてきた。気に入っているラジオ番組3、4つから面白いものを見つけるとそれを手に入れる、というような。しかし、spotify というアプリをタブレットに入れてすっかり気に入り、もう戻れない。

今までだと接点のないような、まだアルバムを1つ作ったかどうかみたいな若いミュージシャンを知ることができる。AI がこちらの傾向を鑑みておススメする音楽の、痒い所に手が届く塩梅っていうんですか、抗えないね。amazon とかすごいもんね。ああいう感じ。

ベニー・シングスもそうやって知ったミュージシャンの一人。いや彼は新人ではないですがね。
彼の音楽は優しい。ポップでいい感じにレトロをにおわせて、でも確実に今の音楽だ。

今回のライブを迎えるにあたってのよい記事をビルボードのサイトで見つけたのでリンクを貼る。 
ついでに、日本先行発売ニューアルバム『シティ・メロディ』の試聴可リンクも貼る。 


↓ステージがの始まるまえ。カーテンを開けると迫力がある。両側の客席へ降りる階段も写り込んでいて、青と黄色の光のコントラストが気持ちよい。


今回は全体の音のバランスをメインに席を取った。2階のカウンター席で、ステージの正面を向いて座ることができる。自由席ではないので開演よりずいぶん早く席に着く必要がないのがよかった。

何を飲んだっけなあ? 1か月経つと忘れてしまう。右がコーヒーなのは誰しも分かると思うけれど、左は、うーん、BBLサングリア(梅酒ベース)だったかなあ。



ライブは楽しかった。レビューがビルボードのサイトにないのが残念だ。
ドラム、ベース、コーラス、トランペットが若々しく、年長のキーボードが落ち着いていた。みな色違いだけれど揃いの服装で現れたのがちょっと眩しかった。

ネオソウルの引っ張るようなリズムはもはやアフリカ系だけのものではなくすっかり広く渡った感があるが、あえてそれを取り入れていない80年代ポップなリズムを鳴らすところが今となっては逆に新鮮なんである。しかしベニーの音楽は80年代ポップスに比べてもっとナイーブな柔らかい感じが強い。例えるなら大橋トリオのような。

昨今の教育を受けたポピュラーミュージックのミュージシャンというのはたぶん基礎としてジャズを学んでいるんだろうな、とまえから思っていたが、今回もその意を新たにした。というのは、ソロが回ってきたときに奏でる音がうっかりするとジャズっぽくなってしまうからだ。


ライブの翌日tbsラジオを聴いていたら、アフター6ジャンクションでなんとベニー・シングス特集をしていて しかもスタジオライブまでしていてびっくりした。非常に良い内容だったが、なんでライブのあとに放送するんだ!?
その放送の前半、高橋芳朗がベニー・シングスの解説しているコーナーが HP で聴けるのでリンクする。  昨今の音楽の流れを知る上でも必聴です。
後半のライブはさすがに聴けないが、記事はあるのでそちらもリンクする。  ビルボードのライブに連れてきたバンドメンバーのうち、コーラスと頼り甲斐のあるキーボードがスタジオに一緒に来ていた。


ベニー・シングスいいよ。


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