ベニー・シングスライブ のあと宿をとって、翌朝は東京都美術館に行った。 公式HP→
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どう考えても混むので、珍しく開場まえから並ぶ。
暇なのできょろきょろする。右の窓に大きいポスター。
殺気立っておる。あらかじめ他所でチケットを入手しておいてよかった。
展覧会は素晴らしかった。
フジタ展はこのまえには
2013年に Bunkamura で 観たこともあるし、ずっと前1988年には庭園美術館で観たこともあるし、今回の没後50周年に合わせて都内で別の展覧会も催されているようだし、とにかく人気があるからしょっちゅう開催されている印象がある。
わたしが見たことのある2つと比べても今回の展覧会は大規模で、彼の仕事のメインの部分を眺められたのではないかと思う。
藤田氏の父親は軍医の偉い人で、彼が渡仏する際にわざわざソウル勤務の父親にあいさつに行った、というのに驚いた。その時に見た風景を描いた絵が展示されていた。
やはりあの当時、渡仏は誰しもできることではない。裕福な家だったのだろう。
展示は時間の流れに沿ったものだった。彼が日本で絵を習っていたときのものは特に個性を感じさせないものだった。そして渡仏して試行錯誤し己のスタイルを確立していく。そう、「乳白色の裸婦」である。
そういう裸婦像はいくつも展示されていたが、その中で個人像で今まで見たことがなかった1926年『横たわる裸婦』が素晴らしかった。
彼は戦争など激しく動く世界情勢に翻弄された。世界大恐慌のあおりを受けパリを離れたのち、リオデジャネイロでの取材を元にした 1932年『カーナバルの後』など一連の作品はそれまでの「乳白色の肌」とは異なるいわゆる油彩らしい描き方だが、題材によくマッチしていると思った。その『カーナバルの後』のこちらを見据える男の眼がとても印象的だった。
またそれとは対照的に、紙に水彩のあっさりした描き方の1933年『狐を売る男』は大きなソンブレロを被り、しゃがんでこちらを斜めに見上げる。何故と分からぬがこちらの心が揺さぶられる。
そして帰国、太平洋戦争開戦。彼が圧倒的な戦争画を描いたのは知られるが、ここでそれが見られる、というのも今回の展覧会の目玉のひとつだったはず。大きいキャンパスに暗く重々しく戦争が描かれている。わたしはあまり好きにはなれない。トレードマークのおかっぱ頭だったのを丸刈りにしこのような絵を描いた彼の心境はどういうものだったのか。
長らく国外にいて活躍していた者が帰国したときにはひどくギャップを感じたことだろう。そのベースの上であのような戦争画を描き、そして終戦後にはGHQに対する態度など色々批判される。嫌気が差したのは想像がつく。
その後そうとうな力を傾けて国外へ脱出し、のちにフランス国籍取得日本国籍を抹消する。彼の思いは色々想像できるが、彼の文章をまとめた本が数冊出ているのでそれを読めば彼の心境がより分かるかもしれない。
戦争で疲弊した彼がやっと日本を脱出してから描いた絵は、現実から乖離したものが多い。モデルのいない人形のような少女とか、20年くらいまえの彼にとって懐かしいパリの景色とか。
その一方で肖像画1955年『ジャン・ロスタンの肖像』はリアルだ。描こうと思えば描けるのだ。描く動機がなかったんだろう。
そしてカトリックへ傾倒してゆく。
色々な体験をし乗り越えてきた人生だったんだな、それを余すところなく絵に昇華したんだな、と思った。類いのない偉大な画家だと思う。
今回の図録を会場で手に入れた。会場特設ショップ限定判である。表紙の絵が違うだけだけど。沢山の部数が出ると見込まれているのか、このボリュームで2,400円とはお得である。
帰りに撮った。向こう側が門。まだまだ人が来る。実は会場を2周したが、2周目はさらに混んでいた。朝早めに来て本当によかった。
振り返るとこんな入口だった。