≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

チャンネルと スイッチと コツまたはアメ

2018-02-01 11:37:14 | その他思ったこととか


子育ても終盤、なんだが仕上げが困難だ。
他のもろもろの要素も加わって、現在わたしは2ヶ所に住んでいるような状態だ。

元々体力のある方でもなければ精神的にタフでもないし、
すぐにバランスを崩して復帰するのに時間がかかるのに、
こんな生活を続けられるというのが我がことながらびっくりだ。
やればできるんだなぁ。

もちろん夫の多大な協力と友人のあたたかい励ましがあるからだ、
というのは承知している。 ありがとう


ギリギリでやっていて気づいたことがある。
心の輪郭を作っている膜のチャンネルが開きやすい、ということ。
今までだったら、月夜の山奥を独り運転しているときとかに
やたらと音楽が心に入ってきて涙が出てくる、というようなことが
今では昼間にも起こる、というようなこと。
テンション高くて疲れます。


わたしはまだ本気を出していない、みたいな感じで
アラフィフのこの歳までノホホンと生きてきたが、
そうもいっておれないギリギリのところまで来て
怠けている蟻がいよいよ動き出す、スイッチが入る、たぶん。

思えばずいぶんお気楽に生きてきたもんだ。
器用貧乏、いいかえれば、どれもものにしないまま、だもんな。
自慢じゃないが、ものにしようという意志意欲がわたしに継続的にあれば、
二流どころのミュージシャンにでもお菓子研究家にでもwebデザイナーにでも
ニットデザイナーにでもガーデンンデザイナーにでもなれたと思う。
しかしそのいずれにもなってないその理由は、ええ、分かっていますとも。

意欲がない、というのはわたし的にいいかえれば
社会と繋がる欲がない、認められたいという欲がない、ということなのだ。
おばちゃんマインドを発揮してひとに親切にするのは好きだけれど、
対価をいただける仕事をする自信/ハッタリがない。

小学校高学年くらいから顕著になる、誰がボスなのか?という
権力争いが苦手で、それなら外れていよう、というスタンスを
長く続けていたもんで。 どうせ、って臆してるんですね。
夫と仲のよい友人にだけ認められればもう満足。

こういう態度を子どもに見せてりゃ仕上げが困難なのも分かるな。
子どもの振りみて我が振り直せ、ですよ。


小学校高学年くらいで己についてあれこれ考えるようになってからこのかた
首尾一貫して誰にもまして扱いづらいのは己だ。
本当に、いうことのきかない。
やらなければいけないことをまえにして一歩も譲らぬその根性、
一体どこから来るのやら。
怠けている、おまえが悪い、反省しろ。 謗りは受け入れます。
否定できない。 多方面にご迷惑をかけました。 ごめんなさい

よく似た我が子をまえにして、因果なものを与えてしまったなぁ、と
深い深い哀しみがどどどと湧いてくるのであるが、まずは自分!
こいつを扱うコツを探して40年費やしているんである。
 半端じゃないね
我が子よ、あんたはあんたで何とかしてくれ。

わたしにだってね、いいところはいっぱいあるんだよ。
それを台無しにするあれやこれや。
それでもよいところを汲み上げて見捨てなかった人たちがいるのは
幸いである。 ありがとう

でね、コツだよ。 飴と鞭、とかいいますがね、そういう感じ?
やっと分かってきたことには、
とりあえずこいつを上機嫌にさせなければいけない、ということ。

やらなきゃいけないことを先にやってからご褒美にやりたいことをやらせてあげる。
王道だ。  これが、できない。
子どもの頃に何度叱られたかわからない、でも全く身に付いてない。
この王道を守ろう、と思うほどのレベルではなくて、
この順にやった方が都合がいいよね、
くらいに思うだけでも動かなくなってしまうんだ。

そんな難儀な己を上機嫌にさせるには、仕方ない、飴が先なんですよ。
 仕方ないんですよ!
己を責めても反省しても、動かないものは動かない。
この開き直りを得るのに30年、そこからコツの端緒を掴むのに10年。
己を責めても自己肯定感が下がってこじれるばかりだ。

反省より 観察と対策、トライ&エラーの方がよっぽど建設的だ、って
謗る人たちのなかで言ってくれた人はいなかった。
そういう人たちには必要ないんでしょう。
時間がかかるわけです。

ちいさい工夫をひとつひとつ積み上げて、
普通なら出来て当たりまえ、っていわれることを出来るようにする。
出来るときは造作もないんだけど、出来ないときにどうするのか。

思ったほど大変じゃないよ、君なら出来るよ、やってみれば面白いんじゃない?

そんな苦労をしているのはわたしだけじゃないよ、って
言われるかもしれないが、最終的にやれないから困っている。
己の裏をどうかけばいいのか、難しい。


コツは、飴の質と量。
とはいえ、朝の仕事のまえの飴で我に返ったら夜だった、っていうのは
なにがなんでも避けねばならぬ。
でも、一瞬時を忘れるようでないと飴にならない、ということも分かってきた。
己を御するコツを会得するのにあとどれだけかかるんだろう?
会得できぬまま老いてしまうのか?

なんとか死ぬまえにいっぱしの大人になれないものか?


こんなことを人様の目に曝していいんだろうか.....?

なんてアップしちゃえば少しはキリキリ動きますかね?
そう簡単に人は変わらないことくらい知ってますって。
ジリジリ進んで、社会と繋がることのできる立派な染織家になります



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家族もちゃんと分かってますよ。 (カエル好きの折り紙作家)
2018-02-03 08:41:33
この歳になって最近分かったのは、親父もいろいろ悩んで、いろいろ考えて、どうしていいか正解が分からないまま、自分なりの一番良いと思うことを家族にしてくれていたんだな、ということ。
残念ながらそれが子供達には違う形で伝わってしまっていたこと。
でも、そのおかげで、姉弟仲良くなれたんだと思いますよ。
みんなそれぞれの立場で、それぞれの悩みや考えることがあって、どれが一番大変とかじゃなくて、それぞれにとってはやっぱり自分のことでいっぱいいっぱいで。
それでもやっぱり家族だから、お互い心配して。
いつもあなたがあなたなりのやり方で精一杯でちゃんと努力してきたことも、それでも更に上を見て、自分がまだまだだと思う謙虚なあなたも、家族みんなちゃんと分かっていて、家族みんなそんなあなたのことが大好きで、家族みんなあなたのことを応援しています。
末弟から見れば長姉はずっと追いつけない目標です。
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カエル好きの折り紙作家さん、こんにちは (斑入り山吹)
2018-02-03 13:12:37
ありがとう。こういう返事がくるのがとてもうれしいです。
わたしの特徴がどこから来たのかと問えば、そりゃ当然両親からで、あの人たちが己のそういうものとどういう風に付き合っているのかという 自覚というか工夫というかそういう話をしてみたい、と思ったりしますが、わたしみたいにいちいち思考の俎上にあげてないのかもな、とも思ってます。
両親よりも兄弟に訊いてみたいとも思いますが、以下同文。
君もよくがんばっているよ、心身に気をつけてね
返信する
Unknown (Charo)
2018-02-18 01:42:40
ツイートから辿ってきました。妻にアスペルガーの烙印を押された身からすると他人事ではないのですが、色々と思い当たる節があってですね…。ぼくと同類だなんて言ったらきっと否定するでしょ?でもまあ夫婦仲がいいのは救いですね。見ていて気持ちがいい。
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Charoさん、こんにちは (斑入り山吹)
2018-02-19 17:13:52
Charoさんはじめまして。垂れ流し報知のツイッターからありがとうございます。
ちゃんと診断を受けたことはないのですが、わたしはADHDの傾向が強いと思います。アスペルガーっぽいこだわりもそこそこありますが。凸凹があっても夫婦で一番の味方を互いにやっていれば、味わい豊かな生活が送れると思ってやってます。誉めてくださってありがとうございます。
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