風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

行けなかった!残念。

2021年11月14日 | 徒然に日々のことを
昨日のオルティンドーのコンサートは、行けませんでした。

緊急に決まった説明会に出るため、同じ日の4時に集会室に三者で集まらねばならなかったからです。

今日は、ここに感想を書くはずだったのに。
三枝彩子さん、めったにない機会なのに、歌を聞くことが出来ず残念でしかたがありません。

なるべく早く次の機会を作って下さると、嬉しいです。

   三枝彩子さんのブログ ”いとしのオルティンドー”


申し訳なくて、いいわけしようとして、ツイッターやフェイスブックを始めて、訪れてみる。
グダグダと書く人がいなくて、私信のような文章はここに書くべきではないと、書くのが恥ずかしいと思いました。
潔い人のところには、そういう人が集まるのだ。

読み進むうちに、見つけたフレーズ。
「楽譜が難しいのは、知識がないとか慣れてないとかいうこともあるけど、オルティンドーに関しては、楽譜だけ見て再現するのは難しいし、細かい装飾音は「人それぞれ違う」し。
自分が真似したい人のを、自分なりのメモ的表現で書き留める。
細かくて好きなところを書くけど結局私にしかわからないと思う。

ボギンドーは、楽譜にしておくと人に伝えて仲間を増やすのに便利。
教えるとか共演するとか。
作っておけば後からしばらく取り組まずに曖昧になった箇所の確認がすぐできて便利。」


オルティンドーほどではないけれど、詩吟も声を延ばしたり、揺ったりするところがあって、それを楽譜に表現することは、難しい。
同じ流派でも、吟ずる人が違えばそれぞれの形があり、その微妙な違いは、楽譜では表しきれません。

はじめから、音符なしで、ここまで来た私には、今更いらないし、自分が聞き取れない音や揺らぎは、表現できるわけもない。

体を反応させるのが、一番良い。

体を反応させるには、しなやかで伸びやかで、滞りのない楽器(からだ)を創りだすことです。

その準備があって、微妙な心の襞が表現できるようになると思う。


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