5日の土曜日教室は、会員さん2人とも体調不良のためお休みとなりました。
会場は、キャンセルできませんから、私の個人練習に使います。
日の差し込む明るい窓に向かっていると何と言っても気持ちが良い。
お陰様と言葉が出る。
縮刷本の適当なページから順番に復習をしていきます。
時々のメモをしながら、前に吟じた時と違っている事などを感じています。
前回あれほど難しかった詩が、今日はすいすいと吟じられる、おかしいなぁ。
あ、そうか、今は、喉が滑らかになっているからだね。
まだ、喉の滑りが悪いうちにこの詩は、詠えないんだね。
喉の調子が明らかに悪いときに課題だった詩は、出来の悪いサンプルだった
わけで、当然、会員さんたちの飲みこみもイマイチになるんですね。
指導者の体調にかかわらず、新しい吟題を自分のものとして吟じられるように
なるには、如何ほどの時間が必要なのだろう。
基本が体にしみこんだらと言うのは、いつのことなのだろう。
様々な技を繰り広げるようになるには、いつのタイミングなのだろう。
先日春秀のCDを聞いた会員さんの吟詠の出来上がりの良さに唸ったなぁ。
もう彼は、良い音を聞いて自分で再現できるのですよ。
男性に男声の音源は、容易に受け入れられるのでしょう。
私の春秀音源には、57題の吟詠があります。
これを男性がいやもちろん女性も、自習したらどんな効果があるのか、計り知れない。
私のすることは、教えることではなく、見守ることとなる。
そう、私の出来ることは、ここまで。
その先は、学ぶことはいっぱいあります。
別の角度から学びを始めるか、今のまま進むのか、選択肢はいろいろ。
他教場の先生から学ぶという手が、芦孝会にはあります。
どんな選び方をしても、私の会員さんたちの行方は目で追いながら、その成長
を見守っています。
余りに、関吟からそれたら、一言は言ってしまうことだろう。
手取り足取りしていたのが、気が付いたら独り歩きが出来るようになった
我が会員さん、いつまでも幼児のように抱きしめていてはいけないねぇ。
よく頑張って、ここまで来ましたね。おめでとう。
私も、良くここまで来たねと言ってくれる人がいたならなぁ。
厳照先生の教場を訪れ、今も、ご指導を受けているかつての吟詩部仲間に、
深い嫉妬を覚えたのは、2019年の事。
仲間の輪から結婚ということで抜け出たのは私なのだから、情けないと思いつつ、その輪に居続けた人のことを羨ましくて仕方がない。
「いいなぁ、あんなに愛されて。そばに居てくれて。」やっと、この言葉を
表に出せた。
先生に良しと言ってもらえたら、どんなに未完成の吟詠でも、胸を張って壇上
の人に慣れる。でも、それがないのは、何とも心もとない。
いいねと言ってもらえるうちは、だめ出しをしてもらえるうちは、心安らか。
なにも心が乱れない。
あの頃に戻りたいなぁ。