風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夫の考える「詩吟と私」

2024年02月12日 | 徒然に日々のことを
帰りの空港までの車の長旅で、体調を崩しました。
その苦しさと言ったら、もう勘弁してと言いたかった。
不肖の嫁に対する天罰だろうか。
半年だけお世話をさせてもらって、後の10年は、義妹に任せっきりでした。
その間詩吟にうつつを抜かしていた私に対する戒めだろうか。
いやいや、夫も義妹もお母さんでさえも詩吟を続けることを応援してくれて
いましたから単に、私の後ろめたさでしかない。

何度も車を停めながら、のろのろと行く山道は、果てしなく続き、飛行機に
間に合うのだろうか。遅れたら次の便に空席はあるだろうか。
もしかしたら、どこかのホテルを取らねばならないかもしれない。
連休のただなかに空き室はあるのだろうか。
同じことを夫も考えていたようだ。

そんなことを考えつつも、いっぽうでは、苦しんでいる私に向かって、夫は
「もし、詩吟に合流するとしたら、具合が悪くならなかったかもしれない
ね」と、冗談ではなく本気で言うのです。
当初の予定より一日前倒しになったので、鹿児島から名古屋に飛んで当日参加
という手があったと夫は言うのである。
まさか、家の片づけがしたいがためだったと思うのだけれど、そんなことを
思っていたのだろうか?
もし、元気だったら名古屋行きの飛行機に乗っていたのだろうか。
いやいや、衣装もあるからそれはない。こんな時に、何を言ってくるの?
苦しみながら頭の隅で、感心しあきれていました。


私には、法事もそこそこに飛び立つなんて、思いもしないことでした。
それに、「喪」を纏った体で記念のめでたい大会に出席するのははばかられます。

思いがけない場面で、夫の感じている「私の詩吟への思い」を知ることに
なりました。

今は、そんな無理をしなくても、お願いしますと心おきなくバトンタッチする
人材が育っています。
東京芦孝会は益々大きく発展していますねぇ。

淡々と過ごす夫婦二人の生活では、こんな出来事でもないと、その心の中を
伺いしることはなかった。おかげ様と言うのだろうか残念と言うのだろうか。


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