今日も、うまいあったかウーロン茶で、ほろ酔い。
最高の気分で、帰宅。
留守番の夫とこたろうへのお土産は、盾。
楽しげに帰ってきた様子を見て、こたろうは珍しく玄関へお出迎えしてくれた。
夫や娘が玄関から入ってくるときは、ドアが開く前から飛んで行って出迎えるのに、私の場合は、よほど良い雰囲気を漂わせていない限り、靴を脱ぐ前にお帰りを言いにくることはない。
この出迎え方を見ただけでも、今日の私の最高の気分がわかろうというもの。
今日のコンクールに向けて3人のメンバーは、力を合わせてきた。
その様子をつぶさに見ていて、後押しをして助言くれた人たちもいました。私たちの、今日の発表がどのようなものになるか、大いに関心を抱き心から応援してくれていました。
その現れとして、別の会場で、重要な詩吟の会が開かれており、当日は、野田 芦孝先生以下幹事の面々は、そちらへ出席をせねばなりませんでした。
彼らの出吟は、プログラムの初めの方にあったので、出吟だけ済ませると、さっそく私たちの会場へと応援に駆け付けてくれたのです。
彼らのそのあとの、プログラムには、そうそうたる顔ぶれの聞いておかねばならない詩吟をする方たちが並んでいたのですが、せっかくのチャンスをなげうって来てくれたのです。
東京芦孝会は、関吟としては、へき地です。
トップに居並ぶ先生方の生の吟を聞くのは、めったにないチャンスだったのに。わたしだったら、先生方の吟の方を選んだかもしれないのに。
本当に、ありがたい。
心から、感謝です。
私たちの出番の2番前に到着したので、私たちは出場者の控えに居ました。
マイクの前に進んだとき、客席の最後列で、プログラムを振って「来たぞー」とエールをくれました。
そして、終わったときも、また、大きく振ったのは、大成功の合図と思いました。
それだけで十分でした。
私たちは、それぞれが、それぞれの役目を果たし、練習中に課題となったことをちゃんとやりおおせました。
そして、それぞれの強い個性を持ちながら、最後の合吟は、ぴたりと一致して乱れませんでした。
関吟にしかないちょっと合わせにくくて難しい吟法もクリアして、関吟ここにありの吟をしたと思います。
そんなところを、練習の経過をつぶさに見て助言してくださっていた方たちは、よくぞ!と褒めてくれました。
この手法(詩道家協会では「合連吟」と呼び、関吟では「連合吟」と呼ぶ)は、良くつらなって、良く合わせるという意味です。
8行の詩を、2行ずつを3人が順番に独吟します。その、つながりは、一人の吟者が吟ずるごとくスムーズであらねばなりません。
そして、最後の2行を3人が声を合わせて、合吟をします。
これも、一人の吟者であるがごとく、しかも、力強く3人の力を表す必要があります。
審査では、その一人であるがごとくが肝要であると、講評でも丁寧に指摘がありました。
一人一人が個性を出しすぎてはいけないようでした。
私たちの吟は、個性がでてしまったようです。
ただ、合吟の2行は、乱れずぴたりと合わせられたと思いますから、連と合の「合」は、誰にも何も言わせないぞとの思いがあります。
連の部分は、それぞれの審査員の考え方で、良しとする方と,悪しとする方とがいらっしゃったように聞きました。
コンクールは、頑張りが結果を呼ぶとは言いますが、負け惜しみで言うと、これに至るまでのプロセスが、とても大事です。
それが、ただの頑張りではなく積み上げて、身に付く練習で、スキルアップにつながっていなくては、ただ、合わせるだけの練習では、もったいないと思うのです。
今日の発表が練習通りのものが出せたという意味では、仲間内から高い評価を得ました。
日頃を知る人たちのこの、評価はうれしいものです。
それが、将来、審査員にも、高い評価を得るためには、どうするか、とても参考になりました。
独吟にはない、経験をコンクールという御旗のもとに、通常の練習とは違った濃いものができたことに、三人三様に、思いを深めたことでした。
うれしい嬉しい応援ありがとう!
最高の気分で、帰宅。
留守番の夫とこたろうへのお土産は、盾。
楽しげに帰ってきた様子を見て、こたろうは珍しく玄関へお出迎えしてくれた。
夫や娘が玄関から入ってくるときは、ドアが開く前から飛んで行って出迎えるのに、私の場合は、よほど良い雰囲気を漂わせていない限り、靴を脱ぐ前にお帰りを言いにくることはない。
この出迎え方を見ただけでも、今日の私の最高の気分がわかろうというもの。
今日のコンクールに向けて3人のメンバーは、力を合わせてきた。
その様子をつぶさに見ていて、後押しをして助言くれた人たちもいました。私たちの、今日の発表がどのようなものになるか、大いに関心を抱き心から応援してくれていました。
その現れとして、別の会場で、重要な詩吟の会が開かれており、当日は、野田 芦孝先生以下幹事の面々は、そちらへ出席をせねばなりませんでした。
彼らの出吟は、プログラムの初めの方にあったので、出吟だけ済ませると、さっそく私たちの会場へと応援に駆け付けてくれたのです。
彼らのそのあとの、プログラムには、そうそうたる顔ぶれの聞いておかねばならない詩吟をする方たちが並んでいたのですが、せっかくのチャンスをなげうって来てくれたのです。
東京芦孝会は、関吟としては、へき地です。
トップに居並ぶ先生方の生の吟を聞くのは、めったにないチャンスだったのに。わたしだったら、先生方の吟の方を選んだかもしれないのに。
本当に、ありがたい。
心から、感謝です。
私たちの出番の2番前に到着したので、私たちは出場者の控えに居ました。
マイクの前に進んだとき、客席の最後列で、プログラムを振って「来たぞー」とエールをくれました。
そして、終わったときも、また、大きく振ったのは、大成功の合図と思いました。
それだけで十分でした。
私たちは、それぞれが、それぞれの役目を果たし、練習中に課題となったことをちゃんとやりおおせました。
そして、それぞれの強い個性を持ちながら、最後の合吟は、ぴたりと一致して乱れませんでした。
関吟にしかないちょっと合わせにくくて難しい吟法もクリアして、関吟ここにありの吟をしたと思います。
そんなところを、練習の経過をつぶさに見て助言してくださっていた方たちは、よくぞ!と褒めてくれました。
この手法(詩道家協会では「合連吟」と呼び、関吟では「連合吟」と呼ぶ)は、良くつらなって、良く合わせるという意味です。
8行の詩を、2行ずつを3人が順番に独吟します。その、つながりは、一人の吟者が吟ずるごとくスムーズであらねばなりません。
そして、最後の2行を3人が声を合わせて、合吟をします。
これも、一人の吟者であるがごとく、しかも、力強く3人の力を表す必要があります。
審査では、その一人であるがごとくが肝要であると、講評でも丁寧に指摘がありました。
一人一人が個性を出しすぎてはいけないようでした。
私たちの吟は、個性がでてしまったようです。
ただ、合吟の2行は、乱れずぴたりと合わせられたと思いますから、連と合の「合」は、誰にも何も言わせないぞとの思いがあります。
連の部分は、それぞれの審査員の考え方で、良しとする方と,悪しとする方とがいらっしゃったように聞きました。
コンクールは、頑張りが結果を呼ぶとは言いますが、負け惜しみで言うと、これに至るまでのプロセスが、とても大事です。
それが、ただの頑張りではなく積み上げて、身に付く練習で、スキルアップにつながっていなくては、ただ、合わせるだけの練習では、もったいないと思うのです。
今日の発表が練習通りのものが出せたという意味では、仲間内から高い評価を得ました。
日頃を知る人たちのこの、評価はうれしいものです。
それが、将来、審査員にも、高い評価を得るためには、どうするか、とても参考になりました。
独吟にはない、経験をコンクールという御旗のもとに、通常の練習とは違った濃いものができたことに、三人三様に、思いを深めたことでした。
うれしい嬉しい応援ありがとう!