風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

高い声

2011年11月03日 | 詩吟
確かに、音程の高い声の方が、耳に訴える力を持つと思う。
着物を着ていると目を引くのとオナジではないかという気がする。

コンクールで勝つのは、確かに高い声の人らしい。
私は、コンクールの会場にあまり行かないから、よくわからないが、コンクールに出場する人は口をそろえて高い声じゃないと勝てないと言う。

だから、1本でも高い声を出そうと、躍起となるらしい。

十分な発声練習をしないまま、高い声に挑戦するのは、喉に負担がかかり危険な気がする。

会津吟行で、3本の高さで長時間詩吟を繰り返したので、7本の高さの私には、本当に良い発声練習になりました。

愉快にしゃべり、温泉で心もほぐされて、喉の調子は最高潮だったから、オルティンドーも楽に歌えたし、12月の練成会に出吟する吟も披露しようという気になった。

12月は、気温も下がり、何よりも発声練習をしないまま、舞台に上がるという、喉にとっては劣悪条件下、そして、心の方も緊張し切って、壇上で衆人看視の最悪の条件下で詩吟をするわけだから、これから練習を積んだとしても、あの時以上の声が出せるだろうか。


伸びやかな発声をする方法を、身に付けるのが急務。
高い声が良いからと、喉の準備が出来ていないのに、高い音で練習を続けるのは、あまりに危険すぎるのではないかと思う。

高い声が出ただけでは喜ぶのは、早すぎる。
誰が聞いても、無理をしないで出てきた声と聞こえる音を出さねばならない。
高音に伸びが無くては、意味が無い。
失敗して、「高い音に挑戦したものだから」と、不完全なものを発表して言い訳をしてはいけない。


高い声を出そうと意識するだけで、体が硬くなり、カラオケでは伸びやかに声を出しているのに、詩吟になると喉を絞めて伸びやかさを失い、息が足りなくなる現象は、何処から、直していけばよいのだろう。

私自身のことを考えてみると、間違った筋肉を使った発声をしていて、喉に負担がかかり、喉でこぶしをまわしていたのです。
オルティンドーでは、声の揺れや、微妙な音の変化は、喉ではなくお腹を使うのです。
詩吟でも、耳障りな音は、喉で細工をしていたのがわかります。
それは、詩吟でも同じで、しっかりと支えられた音を出せれば、いかようにも声を遊ばせることが出来る。

どんなに上手な人の吟でも長時間聞いていると、耳が疲れてくる。
そうなると、男性の吟を選んで聞くようになる。
心地よい吟とは、なんだろう。
勝つ吟と、何処が違うのだろう。


夢青葉のこどもたちが、関吟の基礎を習得して、自分らしい伸びやかな吟をするようになるのは、何時のことだろう。

基礎を習得するまでは、細かいことに指示を出し訂正し、やかましく言うことになるのです。
その様子を人は、「厳しい、きつい」と言う。

その段階を卒業したら、その人なりの吟をしてもらって、いつもニコニコ聞いていたいと思う。

なまじ、教えるようになったから、言わねばならないのだ。
斜に構えた吟でなければ、どんな吟だって素敵なのだ。

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