風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

菜根譚

2016年11月17日 | 論語と
3日の論語の日をお休みしたので、とても久しぶりに先生にお目にかかる気がしました。

教室が変わっていたのを失念していて、廊下のベンチでぐずぐずしていたので、授業が始まる前に、キチンとご挨拶ができず、大変失礼をしました。

菜根譚もあと1回を残して、終了となる予定で、今日は、前半を総復習の形で、原文と解説文とを全員で素読をした上で、さらに先生の解説を聞きました。

菜根譚の言葉を読み、素読をして、先生の解説を聞き、ひらかなで読んでいたのが、漢字で読んでいるような気分になってきました。
ただ、漢字で読めるようになると、その意味するところの、単一ではない伝わり方がして、ゆるぎない理解とはならないことを知るのです。

それは、その言葉が、まだ、体にしみこむところまで行ってないので、わかった気になってみたり、わかったつもりが全然わかっていなかったり、聞けば聞くほど、奥深い学びがあることを知ります。

安易に、「今日はこれを習いました」と書けなくなってきました。
それは、何もわかっていないことがわかって、わかっていないことを知られるのが、恥ずかしいと思うからでしょうか。

一歩前進したと考えて良いのでしょうか。
コメント    この記事についてブログを書く
« ご近所さん | トップ | はじめの一歩 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。