今日の中央会は、少し閑散としていました。
この日、師範代の試験を受ける方が4人大阪へ出向いています。
昨日のコンクールに出場され、懇親会にも出られて、朝一、あるいは、中間地点で宿泊をしたりして、受験に臨まれました。
去年から楽しみにしていた新しいテキストができるとのことでしたが、どうやら遅れているようです。
初心者向けの20題を新しい方式で、作ったというテキストの顔を早くみたいです。
今日は、お昼休みに隣に座った方から質問が出たので、お応えしているうちに、声を出して練習をしてみるという方向へ行ってしまいました。
中央会の場で、指導者たちが、所属教室で指導をなさっている方も含めて、そろっているという状況で、昼休みとはいえ、他の教室所属の方へのそういうことは出過ぎたことと承知はしていますが、彼女の熱心さと押しの強さに流れが自然に声を出してまで、練習をするということになりました。
其の指導法について、会の終わりの飲み会の時に、彼女に対する指導を「あそこまでしなくても」というお言葉をいただきました。
あのやり方を、そばで見ている人には、やりすぎと見えたのですねぇ。
彼女は、何度か特訓をしたことがありますから、彼女へのもの伝え方は、かなり押しの強い言い方でないと、覚えられないし記憶の定着がなかなか難しいのです。
印象が強く残るように、言わないと、今日の練習がなかったことになってしまうのです。
偉そうに言うと、彼女には、あのやり方でないと、五番という地味な譜名を覚えられないのです。
彼女の経歴からいうと、5番がおろそかになっているのが、困ったことだという思いも確かにありましたから、お互いが一生懸命すぎるくらいになっていたのでしょう。
すべての人たちに、このような指導法をしているわけではありません。
夢組の方たちには、ゆっくり時間がかけられるので、押しの強い表現よりも、聞いて覚えていただく方法をとっているので、ほとんどしていないのです。
夢組さんたちは、 音源をよく聞いて、復習をし、アウトプットをしてくださっていますから、定着が、良いのだと思います。
あのような場で、あのような教え方をしてしまったら、誰にでもそのように対していると思われても仕方がなかったなぁ。
ま、いっか。
伝えたいことを伝わるように、表現することを信条としているのだから、仕方ない。
とはいえ、伝えたいことが伝わらなかった例もあったので、自己満足だったかな。
いつも、思うことは、「もったいない」ということ。
こんなに、好きで熱心なのに、とか、ちょっとしたヒントで変わるはずなのに、とか。
所詮は、夢組に所属してない会員さんには、やはり出過ぎたことなのだなぁ。
イメージ悪くしてまで、多教室の人に、することではないけれど、望まれれば、どこまでもお互いが納得するまで、やりたいのです。
こういう思い切りの良いことを、あまり考えもせずやってしまえるのは、今のところ芦孝会内では、大方の諸先輩方が、私のことを応援し認めてくださっているだろうという根拠のない自信があるからです。
いつまで続くやら、とりあえず何事も一生懸命に取り組む姿勢を買ってくださっているのだから、元気の続く限り、一生懸命を続けよう。
この日、師範代の試験を受ける方が4人大阪へ出向いています。
昨日のコンクールに出場され、懇親会にも出られて、朝一、あるいは、中間地点で宿泊をしたりして、受験に臨まれました。
去年から楽しみにしていた新しいテキストができるとのことでしたが、どうやら遅れているようです。
初心者向けの20題を新しい方式で、作ったというテキストの顔を早くみたいです。
今日は、お昼休みに隣に座った方から質問が出たので、お応えしているうちに、声を出して練習をしてみるという方向へ行ってしまいました。
中央会の場で、指導者たちが、所属教室で指導をなさっている方も含めて、そろっているという状況で、昼休みとはいえ、他の教室所属の方へのそういうことは出過ぎたことと承知はしていますが、彼女の熱心さと押しの強さに流れが自然に声を出してまで、練習をするということになりました。
其の指導法について、会の終わりの飲み会の時に、彼女に対する指導を「あそこまでしなくても」というお言葉をいただきました。
あのやり方を、そばで見ている人には、やりすぎと見えたのですねぇ。
彼女は、何度か特訓をしたことがありますから、彼女へのもの伝え方は、かなり押しの強い言い方でないと、覚えられないし記憶の定着がなかなか難しいのです。
印象が強く残るように、言わないと、今日の練習がなかったことになってしまうのです。
偉そうに言うと、彼女には、あのやり方でないと、五番という地味な譜名を覚えられないのです。
彼女の経歴からいうと、5番がおろそかになっているのが、困ったことだという思いも確かにありましたから、お互いが一生懸命すぎるくらいになっていたのでしょう。
すべての人たちに、このような指導法をしているわけではありません。
夢組の方たちには、ゆっくり時間がかけられるので、押しの強い表現よりも、聞いて覚えていただく方法をとっているので、ほとんどしていないのです。
夢組さんたちは、 音源をよく聞いて、復習をし、アウトプットをしてくださっていますから、定着が、良いのだと思います。
あのような場で、あのような教え方をしてしまったら、誰にでもそのように対していると思われても仕方がなかったなぁ。
ま、いっか。
伝えたいことを伝わるように、表現することを信条としているのだから、仕方ない。
とはいえ、伝えたいことが伝わらなかった例もあったので、自己満足だったかな。
いつも、思うことは、「もったいない」ということ。
こんなに、好きで熱心なのに、とか、ちょっとしたヒントで変わるはずなのに、とか。
所詮は、夢組に所属してない会員さんには、やはり出過ぎたことなのだなぁ。
イメージ悪くしてまで、多教室の人に、することではないけれど、望まれれば、どこまでもお互いが納得するまで、やりたいのです。
こういう思い切りの良いことを、あまり考えもせずやってしまえるのは、今のところ芦孝会内では、大方の諸先輩方が、私のことを応援し認めてくださっているだろうという根拠のない自信があるからです。
いつまで続くやら、とりあえず何事も一生懸命に取り組む姿勢を買ってくださっているのだから、元気の続く限り、一生懸命を続けよう。