野田 芦孝先生は、関吟総本部の指導者資格昇格試験(毎年6月地方開催)
の審査員に当たっておられて、名古屋の会場へいらっしゃいました。
岸菜先生が、指導に当たられ、本日の練習は、詩吟に次ぐ詩吟で、一日中声を出しておりました。
その練習も、二本の高さから始まって、八本までを一つの吟に付いて吟じるという方法でした。
七本の高さの私にとっては、二本から順に高さが上がっていくので、発声練習の代わりとなって、喉にゆとりが生まれて、日ごろは出しにくい八本の高さまで、出すことが出来ました。
男性は、五本以上の方が居ないので、お休みをせざるを得ず、女性にとっては、声の出しっぱなしで、お得感がありました。
十吟を六つの高さで吟じるのですから、こんな練習の仕方は、中央会では支部になる10数年以上も前にならやったことがあったかもしれないというような、練習です。
十分な発声練習をした上で、お稽古に臨むのが理想ですが、なかなかむずかしいことです。
是だけ、喉を柔軟にして、詩吟をする体験をするのは初めての方もいらっしゃったかもしれません。
伸びやかな声を出し、日ごろの高さよりも高い声を出せるかもしれないという高揚感こそ、詩吟の醍醐味とみたり。
新しい吟を練習しない変わりに、このような練習も体育会系の詩吟を思い出して、すっきり爽快、良い汗をかきました。
聞いて居て、気持ちの良い銀でしたとの感想を頂いて、最高の気分。
しかし、八の高さを保っていたつもりでしたが、終わりごろになると、七に下がっていた吟もあったとの音感の鋭い方の指摘には、唸ってしまった。
練習後のお楽しみは、いつもの顔ぶれとは何人か欠けたメンバーで、いつものお店へ繰り出しました。
モンゴルから帰国してすぐの東京支部の秋の練成会だったと思うのですが、大阪の柴谷先生が、はるばる来てくださいました。
そのときの吟が、「みるひとの」と山中月でした。
幸い録音することが出来て、何度も聞き返したのですが、どうしても和歌の世界に入りきることが出来ず、悶々としたものでした。
漢詩しか吟じなかったのが、10年のお休みのあいだに、和歌や俳句も取り入れられて、多彩な詩吟のレパートリーになっていたのには、浦島太郎の感ありでした。
それから、今年で、4年経ちましたが、私の中に少しずつ和歌が、定着しつつあるのは、オルティンドーの発声をならい、そして、井本整体の呼吸法を学び、膝の痛みが無くなっていくのと反比例に声が出てきたのでした。
思い込んでいた力の入れる場所とはちがっていたこと、力を入れてないようで、はるかに力の入った声もあること、胸から喉にかけて、力を抜くことなど、少しずつ体感することによって、それぞれの声の違っていることがわかりかけてきました。
そうすると、やっと、和歌の音が体になだれ込んでくるようになり、聴いても聴いても、耳の外を素通りしていたものが、少しずつ耳から入ってくるようになりました。
この体験は、なんと表現してよいのやら、よかったなぁとしか表現できないことに、もどかしさを覚えます。
確かに最初は、和歌に対する拒絶感もありました。
しかし、20年以上も前の佐藤鷺照愛吟集には、和歌もちゃんと入っているのです。
それは、ちょっと違うのだけれど、和歌にはちがいない。
その頃、和歌をあのように吟じられた鷺照先生を、あらためて、偉大だと思い、伊豆丸鷺州先生の愛弟子であるということに、大きな大きな意味があると思います。
そんな思いが膨らんできている矢先に、その飲み会で、和歌をやりましょうよと宿題を頂きました。
秋には、和歌に挑戦しようとひそかな心積もりを、見事に言い当てられたのに、驚き、まだ七分くらいの気持ちが、ぐっとアップしたのでした。
まだ、漢詩に取り組んで間もない夢青葉のメンバーには、漢詩を聞いて欲しいし、私の課題としては和歌に取り組みたいし、ゆらりゆらゆらなのでした。
とりあえず、和歌に気持ちが向いていることが、明らかになったという飲み会でした。
こわいこわい、もう少し、水面下においておきたかったなぁ。
宿題とは、そんなもの。
おそらく、今日の練習で、のびやかに心地よく吟じられたことが、アルコールも有って、提案という形で、投げかけられたのでしょうね。
今日の、思い切った練習に感謝。
もっと声を出さねば。
の審査員に当たっておられて、名古屋の会場へいらっしゃいました。
岸菜先生が、指導に当たられ、本日の練習は、詩吟に次ぐ詩吟で、一日中声を出しておりました。
その練習も、二本の高さから始まって、八本までを一つの吟に付いて吟じるという方法でした。
七本の高さの私にとっては、二本から順に高さが上がっていくので、発声練習の代わりとなって、喉にゆとりが生まれて、日ごろは出しにくい八本の高さまで、出すことが出来ました。
男性は、五本以上の方が居ないので、お休みをせざるを得ず、女性にとっては、声の出しっぱなしで、お得感がありました。
十吟を六つの高さで吟じるのですから、こんな練習の仕方は、中央会では支部になる10数年以上も前にならやったことがあったかもしれないというような、練習です。
十分な発声練習をした上で、お稽古に臨むのが理想ですが、なかなかむずかしいことです。
是だけ、喉を柔軟にして、詩吟をする体験をするのは初めての方もいらっしゃったかもしれません。
伸びやかな声を出し、日ごろの高さよりも高い声を出せるかもしれないという高揚感こそ、詩吟の醍醐味とみたり。
新しい吟を練習しない変わりに、このような練習も体育会系の詩吟を思い出して、すっきり爽快、良い汗をかきました。
聞いて居て、気持ちの良い銀でしたとの感想を頂いて、最高の気分。
しかし、八の高さを保っていたつもりでしたが、終わりごろになると、七に下がっていた吟もあったとの音感の鋭い方の指摘には、唸ってしまった。
練習後のお楽しみは、いつもの顔ぶれとは何人か欠けたメンバーで、いつものお店へ繰り出しました。
モンゴルから帰国してすぐの東京支部の秋の練成会だったと思うのですが、大阪の柴谷先生が、はるばる来てくださいました。
そのときの吟が、「みるひとの」と山中月でした。
幸い録音することが出来て、何度も聞き返したのですが、どうしても和歌の世界に入りきることが出来ず、悶々としたものでした。
漢詩しか吟じなかったのが、10年のお休みのあいだに、和歌や俳句も取り入れられて、多彩な詩吟のレパートリーになっていたのには、浦島太郎の感ありでした。
それから、今年で、4年経ちましたが、私の中に少しずつ和歌が、定着しつつあるのは、オルティンドーの発声をならい、そして、井本整体の呼吸法を学び、膝の痛みが無くなっていくのと反比例に声が出てきたのでした。
思い込んでいた力の入れる場所とはちがっていたこと、力を入れてないようで、はるかに力の入った声もあること、胸から喉にかけて、力を抜くことなど、少しずつ体感することによって、それぞれの声の違っていることがわかりかけてきました。
そうすると、やっと、和歌の音が体になだれ込んでくるようになり、聴いても聴いても、耳の外を素通りしていたものが、少しずつ耳から入ってくるようになりました。
この体験は、なんと表現してよいのやら、よかったなぁとしか表現できないことに、もどかしさを覚えます。
確かに最初は、和歌に対する拒絶感もありました。
しかし、20年以上も前の佐藤鷺照愛吟集には、和歌もちゃんと入っているのです。
それは、ちょっと違うのだけれど、和歌にはちがいない。
その頃、和歌をあのように吟じられた鷺照先生を、あらためて、偉大だと思い、伊豆丸鷺州先生の愛弟子であるということに、大きな大きな意味があると思います。
そんな思いが膨らんできている矢先に、その飲み会で、和歌をやりましょうよと宿題を頂きました。
秋には、和歌に挑戦しようとひそかな心積もりを、見事に言い当てられたのに、驚き、まだ七分くらいの気持ちが、ぐっとアップしたのでした。
まだ、漢詩に取り組んで間もない夢青葉のメンバーには、漢詩を聞いて欲しいし、私の課題としては和歌に取り組みたいし、ゆらりゆらゆらなのでした。
とりあえず、和歌に気持ちが向いていることが、明らかになったという飲み会でした。
こわいこわい、もう少し、水面下においておきたかったなぁ。
宿題とは、そんなもの。
おそらく、今日の練習で、のびやかに心地よく吟じられたことが、アルコールも有って、提案という形で、投げかけられたのでしょうね。
今日の、思い切った練習に感謝。
もっと声を出さねば。