風のこたろう

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'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

浜松に行ってきた

2010年08月02日 | 詩吟
8月1日は、社団法人関西吟詩文化協会本部主催の「東京・浜松地区吟詠大会が開催されました。

東京支部からは、30人あまりが、バスを仕立てて参加しました。

第一部 吟詠研修会
第二部 みんなで詠おう「海の吟・山の吟」
第三部 構成吟 悠久の漢詩紀行「李白を詠う」

本部主催の研修会が、地方へ出るのは初めての試みです。
吟詠研修会には、常々参加したいと思っていましたが、なにぶん大阪という遠方のこともあって、野田会長の持ち帰るテープを聞かせていただくのが精一杯でした。

こうして、地方に出張していただき、舞台件pである構成吟まで見せていただくのは、本当にうれしいことです。

何しろ、本部の精鋭の方たちにおいで頂いて直接指導をしていただくのですから、これを逃す手はありません。

思いがけず鳥肌の立つほどの感激をしたのは、短大時代の吟詩部後輩が、この構成吟に出演するためにはるばる岡山よりも西のほうから、やってきたことです。

そして、名簿から吟詩部時代の先輩と知って、開会をいまや遅しと待っている席に、駆け込みたずねてきてくれて、旧交を暖めあったことでした。

先輩と声をかけくれたのか、名前を呼ばれたのか覚えていないのですが、頭には旧姓を思い浮かべたのですが、ぽかんとしてとっさには口に出すことが出来ませんでした。忘れたのかと思った彼女の口から旧姓が出るまで、数秒の間、世界は停止状態でした。

三十数年前とちっとも変わらない瞳をした彼女のスリムな姿が目に焼きついています。
舞台上の彼女は、詩吟ではなく、舞いでした。
中国の衣装を着て、舞うすがたは、現役のころのように凛々しく、力強いものでした。

終わったあと、話がしたかったのですが、東京支部では、この後の予定が迫っていて、会いに行く時間は有りませんでした。

構成吟の懇親会に出られる野田 芦孝先生に、もっと話がしたかったと伝えてくださいとお願いして、後ろ髪を引かれながら、みんなの待つ観光バスへ乗り込んだのでした。

あっという間の再会でしたが、言葉はなくても、様子が伺われ安心したのでした。

あとお二人、懇親会に出られた東京支部会員の方がいらっしゃって、彼女のことばが伝えられましたが、お二人とも、「厳しい先輩でした」という言葉だけでした。

確かに、そうだったよね。でも、もう少し違うお話もしたことでしょうから、もっと聞きたかった。。。

彼女は、卒業後も順調に詩吟を続けてきたのらしい。
そして、舞いもならっているらしい。

彼女の名刺をもらったという方は、私に見せてくれる暇がなくて、今度会えるのは、第4日曜日の中央会だから、一ヶ月近く待つことになる。




第一部の、研修会で習ったことは、表現方法はかなり違うけれど、オルティンドーの先生から教えられた声の出し方と同じだった。
其の方法は、研修をなさった先生ほど、即効性はないけれど、夢青葉で実践し始めたことで、おどろいた。

ただ、本部指導者のおっしゃるのに、45年かかって体得しましたとのこと、私も、理論は知っていても、なかなか実践できないのに、教えているなんて言うのは、おこがましいことだから、ここだけの話にしておこう。

喉の負担をかけないで、大きな地声を出すのは、至難の業で、まして、今日の講師のようにあっという間に其の声を出させるなんてのは、神業に近い。

何時、この境地にたっするやら。講師は皆さんも今から45年かけて体得してくださいと、ユーモアたっぷりにおっしゃった。

そして、感動その3 構成吟に出吟された吟の達人のうち、何度でも聞きたい吟をなさる方がいらっしゃいました。其の名は、中谷先生淞苑先生。
幸いICコーダーが音声をキャッチしてくれているので、繰り返し聴かせてもらおう。


大事な宝になるものを三つも頂いて、ホクホクの岐路でした。

さらに、加えて、帰りのバスで隣に座った谷中教室の若き女性幹事さんは、私の膝の痛みをいたわってくれて、このエアコンの効いた中で眠らせてしまったら、体温が下がって膝に悪いと考えて、疲れているでしょうに、眠らずずっと会話に付き合ってくれました。
話に話しました。

こんなに長い間、二人並んだ席で、話し続けたのは、初めてでした。

バス旅行と聞いて、隣の席に座ってくれる人はいるのだろうか、会話が続けられるだろうか、と。

行きは、手探りの会話で、あちらに飛びこちらにとび、帰りは研修で大きな命題を頂いたおかげで、主題は詩吟。
私の持論を、うるさがること無く、ずっと聞き続け、質問をし続けたのでした。

彼女の新鮮な感性と好奇心と前進したいと願うパワーに、あおられた形で、会話が続きました。

こんな私に付き合ってくれて、ありがとう。

そして、感謝の言葉を頂きました。

私が谷中教室に遊びに行くようになって、地声が太くなったと。
それは、たまたまのタイミングであって、其のときにきていたのだとおもうのですが、、、












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