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風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ゲスト チロ

2004年08月16日 | チンゲル亭過去日記

二晩、わがやですごした、生後2ヶ月のチロ君。
お迎えが来て、帰って行きました。

チンゲル亭の庭のおかげで、犬を飼った経験もないのに、これで3匹目のワンコとのお付き合いです。

今回は、突然の外出予定で、私の留守の間に預けられたワンコなので帰るまで、心配でした。

予定を大幅に遅れた帰宅だったので、さぞ、夫は疲れ果てていることだろうと思ったら、自分で引き受けたこともあって、立派に父親代理を果たしてくれていました。

庭の短い草でさえ、体が隠れてしまうほど、小さいチロは、夫の後ろを追いかけ、草を飛び越え、よくはしりましたよ。
ぬいぐるみではなく、やはり犬でした。

どんなにかわいがっても、やはり、よそんちの犬は両親の元に帰っていくのですよねぇ。
見送るときは、寂しかったよ。

鼓太郎、もうすぐ帰るからねー。
帰っても、しらんぷりしないでね。
帰ったら、鼓太郎一途で、よそ見はしないからね。
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ズーンハラ

2004年08月15日 | チンゲル亭過去日記

昨日は「ハラ川の東」と言う意味の土地へ向かって、車を走らせたのです。
ダルハンへの道は、モンゴルでは、超高速道路!です。

なにしろ、列車をすいすいと追い抜いて車が走れるなんて、モンゴルでは、超越した道路なんです。

ウランバートルから150キロの場所へは、渋滞の無い道路なのですから、あっという間に行って帰ってこられるのです。

列車から見えた、山と川と木と花の咲き乱れる光景を、是非もう一度見たい。
強い思いに動かされ、その言葉に私も心動かされ、彼女の手配した車の人になりました。
彼女の予想するマイナス要因は、「10日前のことだから、花の盛りは過ぎているかもしれないけれど、まだ花はあるはず」だけでした。

モンゴルは、いろんなことが起こります。
道路は、選び間違えると横につながった道はありません。
大きな町の分岐点まで、戻るか進むかしないと道路の乗り換えはできません。

私達は、選択を間違いました!
運転手のアドバイスを無視して、こっちの道を選んだのです。

私達の車は、マークII。揺れながら、ジャンプしながら、たまにお腹をこすりながら、車がかわいそうと言いながら、モンゴルではこのくらいは普通の道と言いながら。

巻き上げた、細かい砂が、窓ガラスをさらさらとすべりおちる。
起伏のむこうがわから、砂煙が上がるので、対向車の接近を知る。
そうこうするうちに、雨がぱらぱら。
ウインドグラスに大粒のしずくがかかります。
ほっとします。しかし、雨は地面につく前に消えてしまいします。
それで十分です。そうでないと、道がぬかるんで、マークIIは、にっちもさっちも行かなくなりますから。
よい、お湿りです。

何度か、引き返すことを考えながら、彼女の思いは列車から見た光景が忘れられなかったようでした。
そして、私は、何があるか分からない好奇心に突き動かされて、「あなたが、決めることについて行くから」と言い、決して、「戻ったほうが。。。」は口に出しません。
と言うことは、今考えると、「進め!」と脅迫していたことになったのかなぁ。

おかげで、川と木と緑と花を、モンゴルでは珍しい思いがけないほど大きな木の橋(これは思いがけないビッグプレゼントでした)を見ることができました。

ばんざい
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ハプニング小旅行

2004年08月15日 | チンゲル亭過去日記

お友達の、お誘いで、まだ残っている花を尋ねて、でかけました。
遅くとも3時ごろには帰れるので、もし、おなかがすくようだったら、ちょっと食べ物を持ってきてね。

そういわれて、昨日散歩のときに買ったドイツパンのスライス、冷蔵庫のチーズ、温室のきゅうり、テーブルの上に残っていて、しわしわになる寸前の杏(?)と、のど飴、水、娘が来たときに買ってあったジュースを持って、出かけました。

ところが、いろいろとあって、帰宅したのが明日になる寸前!
しかも、家には、突然預かることになった、ワンコまで首を長くして待っていました。

と言うことで、今日の日記は明日の15日未明にかいてます?
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はさみ

2004年08月13日 | チンゲル亭過去日記

母は、はさみを鮮やかに使っていました。
特に切れないはさみで布にささくれを作らないでまっすくに切るのが、ほんとにすばらしかった。

はさみを大切にし、布用と髪用と紙用と厳しく使い分けていました。

錆の出た、歯と歯が大きく食い違った握りバサミでも、ちゃんときれいに切ってみせてくれました。

「馬鹿と、はさみは使いよう」と、そばで姉が言っていたような、いなかったような。。。

いま、重いアイロンと、足元の不確かなアイロン台で、大きなシーツにアイロンをかけながら、「馬鹿とはさみ・・・」が、あたまのなかを回っています。

力を入れると唐黷サうになるアイロン台と大きなシーツと格闘していると、はさみを初めとしてどんな使いにくい道具も、涼しい顔で使いこなしてしまう母のことが思い浮かびます。

着物を縫う母にとって、はさみの切れ味はとても大事だったので、布用のはさみで紙を切ろうとしたものなら、怒りはしないまでも厳しい言葉が飛んできたのでした。

ぶきっちょな私のことを、愛情を込めて(今だったらそう思える)「すこどんな」と言いながら、使っているはさみを取り上げ、代わりに切ってくれたのでした。

母の時代と違って、物のあふれる使い捨ての時代に主婦を始めた私は、自分のぶきっちょを棚に上げて、次々と使いやすそうな道具を買いもとめ、使い捨てていったのでした。

母に、ほらこんなに使いやすいよ!と得意げに手渡し、「ほんまに、楽じゃなぁ」と母もいったんは使い始めるのですが、気がついたら、また、元の道具を使っている母を発見するのでした。

今、手元にある裁縫箱には、一番使い辛かった思い出の有る握りバサミが、ちょんと納まっています。

そして、糸を切るたびに、はさみを握ると「馬鹿とはさみ。。。」が唄のように頭の中で、回り始めるのです。

介護のホームページで知り合ったホームネームmamaチャンの、お母様がなくなられました。
長い介護の末でした。
この私のページの掲示板にも書き込みをしてくださって、ご自分も大変なのに、寂しい私を励ましてくださいました。
「明日があるさ♪」http://cyobikun.at.infoseek.co.jp/

心よりご冥福をおいのりもうしあげます
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隊員時代の娘

2004年08月12日 | チンゲル亭過去日記

隊員として活動をしていたときの娘を、隊員として考えたことはなく、ただ、遠くで仕事をしていると捕らえていました。

隊員の基本は、青少年の育成と聞いています。
隊員が、派遣先の国で、一歩先に進んだ日本人として生活することでお互いに学びあい刺激しあうことが基本なのです。

娘が中国で活動を始めたとき、言葉の問題も大きいのですが、受け入れ先の担当者との、国民性の違いによる葛藤がまず一番にあったのではないかと思います。
そして、その担当者が、勉強熱心であればあるほどの葛藤、無ければまたそれ以上の葛藤がおこり、そこまでしなくてはいけないの?と思わず口から出そうになることまで、しなくてはいけない羽目に陥っていたのではないかと、思われます。

そこいるだけで良いと言うのは、挫折しそうな人にのみ、言う言葉であって何か成したいと思っている若者は、娘に限らず大いに悩んだはずです。

そんなときの娘の相談相手は、活動分野は違っても隊員仲間であったようです。
相談できる隊員がそばにいない時は、どうしたのでしょうか。
派遣元の担当官はそんな時、頼りになる人だったのでしょうか。

娘は、楽しい話ばかりメールで知らせてきました。
私には、そこに日本人としているだけでよい生活のように思えていました。
しかし、夫は、長年企業の中で、戦士のような働き方をしていましたから、伝えられない言葉の中からもさまざまな困難のあることを予想し、隠された思いを娘から受け取っていたようでした。

その一つは、隊員として張り切って指導をしたいと思っても、派遣先には、彼女よりも年上の担当者とその上には、はるかに年長の責任者がいて、協力的に動いてくれるとばかりは限らないことが、多かっただろう。
あるいは、無関心を装われることもあっただろう。

そんななかで、日本のやり方、彼女のやり方を如何に工夫して、相手の心に届かせ、相手の国にあったやり方を模索し発展させていくには、大きな苦労があっただろう。
彼女なりの達成感を味わうまでには、どんな苦労をしたのだろう。

彼女は、一個の大人として行動したのだけれど、若いせいで、子ども扱いされたりもしたのではないか。

協力がないなら、それはそれで仕方が無いと待ちの体制に入ってみようとすることなど、若さゆえに思いもつかなかっただろう。

あの時気がついてあげなくて、ごめんね。
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モンゴル料理

2004年08月11日 | チンゲル亭過去日記

http://www.h4.dion.ne.jp/~solongo/A6_1.htm
モンゴル料理のページです。

夫が羊の肉のにおいに非常に敏感なことは、モンゴルの知り合いのご家庭に招待された時に、特別に夫用に牛肉で作ったボーズを供されるくらい知人の間では有名になっています。

それで、夫とはゴアンズには今まで行くことがなかったし、これからも行くことはないのでしょう。

長女と花ちゃんと市内散策したとき、お昼にゴアンズでボーズを1個ずつ買いました。
ほんとは、その店で食べるつもりで入ったのですが、カラカラの喉を潤すビールを売ってなかったのです。

それで、テイクアウトして、ビールの飲めるピザのオープンテラスの店に行きました。
持ち込みOKを確認して、ビールと小さ目のピザとを頼んで、明るい風の通るテーブルで舌鼓を打ちました。

娘と花ちゃんとボーズの味とビールの冷たさと涼しい風と笑い声と。
ここちよく思い出します。

おいしいものが好きで、お酒が好きで、アルヒを飲んだ銀杯が気に入って、自分用の小さい銀杯を持ち帰ったほど、モンゴルも気に入って。
 
明るい笑顔とエネルギーを振りまいて帰った娘を、思います。

この旅で、いろんな思いを夫の胸に刻んで帰った娘を、もう一度呼び戻したいなぁ。

父親らしいことをすることを恥ずかしがって、なかなか表現できない夫を歯がゆく思い、「もっと表現して、現してよ」といい続けた私。

それを、拒絶し続けた夫。

娘を中国に送り出した時、初めて残される者の寂しさを知った夫。
仕事で、残して出かける寂しさは何度も経験しても、その逆の立場は想像もしなかったことでしょう。

頑固に、言葉に出して言う必要はないのだといい続けていた夫が、少しずつ変わってきました。

気持ちは表したほうが良いと体で理解してから、その後ずいぶんの時間がたって、やっと、今頃になって、少しずつ表現し始めた夫。

モンゴルに来たおかげか、それとも、私達の年齢に達したからなのか。。。

いずれにしても、良かったなぁ。
私も、せっかく動き出した列車に、「もっと早くもっとたくさん」と急かさないようにしょうっと。

娘達が、私達の手の中から、飛び立つ前でよかったなぁ。

いまごろむすめたちはなにをしているのかなぁ
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ゴアンズ デビューしそこなった

2004年08月11日 | チンゲル亭過去日記

モンゴルを訪れた隊員のお母様とそのお友達と、午前中イフデルグールの散策をしました。

初めてお目にかかったのに、ざっくばらんにお話をさせていただきました。
お二人とも、日本で、仕事をお持ちのようでうらやましくもありました。
お土産など、購入して、隊員さんと合流して、ゴアンズへという予定出した。

ゴアンズとは、大衆食堂のことで、店を選べばおいしく安全に安くモンゴル料理が食べられるのです。
羊の嫌いな夫とは、つい行くチャンスがなく、今日まで来てしまいました。

夫と私の時間の読み違いで、ゴアンズにご一緒ができなくて、デビューはまた後日と言うことになりました。

皆さんと別れたあとで、郵便局、ワクチン接種のためにヨンセイ病院、かねてから行きたかった、ちょっと新しいお店の3箇所に行きました。
それぞれ、歩いていける距離でしたが、日中歩いて移動するには、3日間家に閉じこもっていた私には、ちょっと骨でした。

午前中の歩きは、建物の中でしたから、それでは決して疲れたのではないのです。
急に、モンゴルの強い日差しを2時間近く浴びると、いつもなら建物の中に入ってひんやりとした空気にあったら、元気回復するのですが、今日は、早く帰りたくなりました。

トメン・エヘの民族舞踊のコンサートにお誘いいただいたのですが、かえって、お昼寝したら、起きられそうもないので、お断りしました。

お母さま、お断りしてごめんなさい。
また、あさって、良かったらお目にかかりましょう。
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こたろうのこと

2004年08月10日 | チンゲル亭過去日記

我が家の長男の鼓太郎は、3月で3才になりました。
三浦半島から、家につれてこられたのが生後3ヶ月のとき。
それが、最初で最後の長旅でした。
それ以来、約束どおり室内飼いをしてきました。

二人で、旅行が重ならないように鼓太郎を他人に預けないですむようにと心がけていてくれたのですが、次女の休暇が長女の来蒙に重なってしまいました。
そこで、いつもお世話になっている宇田川クリニックへ預けることになりました。

さて、次女が迎えに行ったら、ケージに鼻を擦り付けて懐かしそうにうれしそうにしたそうです。
そして、ケージから出されると次女にしがみついて離れなかったそうです。
家に連れ帰るのに、キャリーにいれるのを看護婦さんに手伝ってもらっても、大変だったくらい離れようとしなかったそうです。

家に帰ったら、早速、結婚式に列席するためにお留守番させられたようですが、いじけることなく穏やかにしていたそうです。
翌日長女の飛行機が1時間も遅れて最終電車で帰宅したのが深夜で、次女はもう夢の中、鼓太郎はリビングでのんびりと何事もなかったように寝そべっていたとか。

はぁーよかったねぇ。いじけたりしなかったんだ。
夫は、鼓太郎が錯乱するのではないか、それで次女がショックを受けるのではないかと、そればかり心配だったそうです。

日本に電話してもタイミングが悪く留守電ばかりだったので、その情報を聞くまで、落ち着かない夫でした。
「鼓太郎のことききたいんだろう?」としきりに言っていたのは、自分が心配で知りたかったのです。
そして、鼓太郎の話を聞くにつれて、娘のことがわかることが望みだったのです。
素直に、「娘と鼓太郎は大丈夫か」と言えばいいのに。げに、父親というものは・・・

この日記を書く傍らで、花ちゃんが大使館に今日の6時までに出さねば為らない書類の書き方について、夫が助言をしています。
今回の旅行で、すっかり我が家の三女のようになじんだ花ちゃんです。

娘達から、信頼を持って相談事をされたことのない夫がモンゴルに来て、父親らしいことをしているのをほほえましく思えます。

決して娘は、夫を信頼していなかったのではないのです。一人で物事を決める子に育ってしまったのですから、たまたまチャンスがなかったのです。

これからは、あるかなぁ?
たぶん、あるでしょう。
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回復中

2004年08月09日 | チンゲル亭過去日記

体調回復中です。
ご心配をおかけしました。

旅の写真を思いっきりたくさん、といっても撮った写真の10分の1にも満たない数です。
期待に沿えるものばかりではないでしょうが、私にとって特別思いの深い写真を載せました。
表示に時間がかかって申し訳ありません。

娘との旅が、こんなに楽しいものとは思っても見ませんでした。
次女とも、こんな楽しいたびができたらよかったのにと、つくづく思います。

叔父といとこの方が先に来ていただいたのが、よいリハーサルにもなり、娘も大人になっていることもあり、気がかりのまったく無い、完全に楽しみきった旅になりました。

うれしい誤算は、モンゴルで食べていただいた料理が、3人ともおいしいと感じてくれたことです。
ゲルでは、お湯だけはたっぷりあるので、食べられないときのためにカップラーメンを買い込みましたが、一つも手をつけず残リました。

その、ラーメンの一つで、体調を崩してしまったわけですが、このラーメンがお客様の役に立つことが無くてよかったと胸をなでおろしています。

二組のお客様と4箇所への長旅をしましたが、何事も無くうれしく、楽しく旅が終えられてほんとに感謝です。
モンゴルに来ても、守り神がついてい多と思った次第です。

ありがとうございます

娘との楽しい旅が、後何回できるのか、果たしてこれでおしまいになるのか、予想はつきませんが、また、どこかへいきたいなぁ。。。

娘は、喜んで付き合ってくれるでしょうか。
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予定のない寂しい日

2004年08月08日 | チンゲル亭過去日記


気の抜けた一日を過ごしました。
叔父の来蒙以来、乾燥した戸外を歩いたおかげで、「ビールってこんなにおいしかったの?」
という毎日でした。

あの、うまいビールはまたもどってくるでしょうか?

今日、ほぼ1ヶ月ぶりにお湯が出始めました。
叔父といとこと娘の滞在中は、ちっちゃな電気式の湯沸かし器で、ブレーカーが落ちるのを気にしながらのシャワーでした。
シャワーを浴び始めると、夫がいつでもブレーカーを上げられるように待機していたのです。
それでも、特別に取り付けてくれただけでもありがたいと思わねば。

地下水なので、洗いものは手が冷たかったのです。
とりあえず、冷たくないと思えるお湯が出始めたことは万歳です。
娘が日本に帰ってしまって、お風呂に入っている頃に出始めるなんてねぇ。

夫は、すっかりさびしくなって、今日は起きてきません。
私も、きのうからやる気を失っています。
夕食は、カップラーメンでした。
これは、もしかして、娘がモンゴル料理を食べられなかった時のために、
キャンプで食べさせようと買い込んでいたものです。
まったく必要が無く、無用化してしまいました。

どうやら、その、豚骨がいけなかったようで、二人で腹痛です。
夫が先に発症して、納まりかけています。
私は、今からがピークのようで。
すこしづつおなかの痛みがましているような。。。

おかゆを作って、やすみます。
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