学校で嫌だったこと。いまも嫌なこと。
スローガンが掲げられること。
小学校の「やさしさ」「やる気」「元気」
中学の「自主」「寛容」「練磨」
みたいなやつ。
校内に額があったり、校舎に垂れ幕で出したりしてる。
自分が子どものときは、嫌なだけだった。でも、学校ってそんなものだと思っていた。
今のトシになると、言葉で反撃できる
こういう徳目を、言葉で宣伝すると、その後の道徳的発達に悪影響があるのだ。内面のさまざまな感覚で担わなければならないものが、スローガンになってしまう。上っ面を先に作るから、偽善を子どもの中に注入することになる。
学校運営から言うと、スローガンが掲げられるのは、学校が外部者に指揮されている時である。
ほんとうにその現場の人たちが運営していると、もっと具体的な問題に焦点をあて、具体的に対応するものだ。
たとえば:
最近、子どもたちがトゲトゲしい。なぜだろう。われわれからの指示や評価が多すぎないか。あるいは、何か教師たちの知らない事件でもあったのか。とにかく、もっとよく観察し、情報を持ち寄ろう。
そんな発想をするだろう。
「やさしさ」という言葉を墨書して額にかざったりはしない。
スローガンが多いのは、社会主義国である。権力機構から降りてきた人たちが現場を指揮する。いきおい、抽象的なスローガンでまとめあげるしかないのである。
教育基本法改正案も、現場を知らない雲の上の人たちが、スローガン作りをしているようなものである。
(転載歓迎 古山明男)