この山に先の登った人がいて、ここを通れと教えてくれた。
その人の行いを無駄にしないように、その同じルートを通れば安全だ。
私は裾野の樹海に迷い、坂道に疲れ果て、こんなに苦しくては、到底登れないと諦めかけた。
でも、その教えられた路のお陰で、こうして救われたのだ。
自分が上手く行ったのだから、きっと誰にとっても助けになる筈。
私もそのコースを後から来る人に教えたい。きっと、あなたも、楽に頂上に行けるでしょう。
そう教えてくれる人がいる。
でも、僕は、
僕のためを思って言ってくれていることは感謝しつつも、
その教えられたルートでは登りたくないとも思う。
確かに、既に、そのコースは安全だと分かっている。
確実に頂上まで行けるだろう。
でも、登山の楽しみとは何んだろうか。
頂上に到達することだけだろうか。
途中のどの路が行けるだろうかと路を吟味し、試行錯誤する中で、
この山がどういうものかということを学んでいく。
教えられたコースを教えられたように登っては、山を知ることは出来ない。
だから、僕は、登りきれないかも知れないけれど、自分でルートを見つけたいのだ。
本当に他にルートはないのかどうか自分で確かめたいのだ。
僕はそう思う。
果たして、自分の浅はかな技能で闇雲に登ることに意味があるだろうか。
一人でも多く、頂上の景色を見ることが大切ではないだろうか。
偉大な先人がすでに最良のルートを見出している、別のルートを見つける努力は、
所詮、二番煎じではないだろうか。
そう告げる人がいる。
自分の足で、自分の知恵で登ってこそ、頂上に到達したときの喜びが大きいのではないだろうか。そのときこそ、それまでの苦労が報われるのではないだろうか。苦労して登ることで、自分が鍛えられ、成長するのではないだろうか。
僕はそう思う。
私は、選ばれて、そのルートを教えてもらうことが出来た。
頂上に登るに相応しいと選ばれたのだ。そのことに、誇りを持っている。
また、教えてくれた人への感謝も忘れたくない。後に続く者たちに、同じように教えることで、より高い山に登ることが出来る。
後に続くものたちも、さらに後から来るものたちに教えていく。
そこに歴史が出来る。先人の成果を無駄にして果たして人類の進歩はあるだろうか。
登ることは苦しみなだけで、早く頂上に到達するために皆んなで助け合うべきではないか。
そう促す人がいる。
でも、努力するということは、教えることが出来ない。
自分で、路に迷わなければ、路を見出すということが分からない。
ただ、僕がここに足跡を残すことで、後から来る人にこの路を通ったものがいることは、伝えられると思う。でも、それ以上のことは教えられないし、また、その人のために教えないでおきたい。
ただ、同じように、自分で路を見出そうとする者たちに、この路を通ったものが自分が一人ではないと教えることが出来る。それが勇気を与える。
確かに、僕の選んだ路が正しくはないかも知れない。頂上には辿り着けないかも知れない。
それでも、僕は、自分で選んだ路の結果は、自分で背負おうと思う。
誰かの所為にしようとは思わない、良くても悪くてもこれは自分の所為なのだ。
山を登ること自体が楽しい。足の疲れは自分の体、足が生きているということを教えてくれる。
吐く息は、吸う空気の気持ちよさを教えてくれる。自分の力となる。
そして、いつかは頂上に達するのだという気持ちを持ち続けられることが嬉しい。
僕はそう信じている。
そこに山があるのだから・・・
コメント一覧
はっちん
ひる
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- VBScript(2)
- Weblog(314)
- お仕事ツール(0)
- Saloon(1099)
- Node.js他(Python)(16)
- HTA(32)
- 決め・分け論(71)
- 映画・ドラマ(37)
- EXCEL VBA(35)
- PL/SQL(10)
- Java(11)
- 詩(自作)(5)
- 詩(塚原将)(298)
- 短歌(200)
- 題詠100首鑑賞(96)
- 題詠100首(109)
- ALIAS SMITH and JONES エピソード(1)
- 題詠100首2010(11)
- 読書(74)
- プロスポーツ(プロ野球、格闘技)(27)
- 日常・育児とか(88)
- 仕事(IT関係)(61)
- とほほ(33)
- 夢(32)
- 勝手にバトン(7)
- 写真(36)
- スタートレック視聴日誌草稿(24)
- 旅行(25)
- 嫌いな言葉(6)
- 好きな言葉(4)
バックナンバー
人気記事