Re:SALOON & VBA

十八の夏

図書館に『時計を忘れて森へいこう』を返しに行ったついでに、この『十八の夏』光原百合著、を借りてきた。文庫も出ているそうだから、どんな図書館にもあるだろう。お勧めする。いい小説だと思う。

これは、花をモチーフにした短編集だった。
うかつなのかも知れないけれど、目次をみただけでは、章なのか、題なのか分からないということはないですか・・・、僕だけかなあ・・・
最初の短編を読み終わって、ああ、短編かと気づいた次第。
今、3つ目の短編の中程(全部で4つ)。

で、最初は、本のタイトルにもなっている「十八の夏」
これは、第55回日本推理作家協会賞(短編部門)受賞作だそうだ。
そうかあ、道理で僕向きではないなと思ってしまった。
そうなのだ、僕は推理小説をぜんぜん面白いと思わない人間なのだ。

この小説も、何故、そこでそういう言動をするのかが、読めない。
もう一人の中心人物もそう、そういう人なんだと思えば、それですむのだろうけど・・・
でも、最後の謎解きで、そこまでの動きが急に納得できてしまう。
つまり、彼らには過去があり、彼ら自身はお互いが知っているとは知らないが
それが下敷きになっていたのであって、お互いの納得と読者の納得が最後で
マッチするようになっている。
推理小説好きの人には堪えられない展開かもしれないが、
心理が分からないと空虚に感じてしまう僕には途中がつらかった。
最後で分かるには分かったが、最初から分かっていたら、
その心理のドキドキやら、駆け引きやら、弱みなどが見えたであろうに・・・
『時計を忘れて森へいこう』も、最後で分かるという形式だったが、
こっちは違う、登場人物にとっても、自覚することのない真実であったから
心理的には、読者と登場人物も同じ目線で気持ちを共有できたのである。
僕は、推理物もコロンボや古畑のような犯人目線で心理が分かるものしか
面白くない性質なので、僕の方が見方が変なのだが・・・。
それ以前に、この話の前提、不倫の心理が僕には無縁なのだが(相手がいる人に惚れる心理が分からない・・・、相手がいなくても引いてしまうのに・・・)
花は朝顔。

『ささやかな奇跡」先の話が自分向きではないなと思ってへこんでいた分、
こっちで、倍返していい話だった。主人公の気持ち、他の登場人物のそれぞれの思い・・・痛いほど、分かる。泣く話ではないのだけど、電車の中で、涙が沸いてきて困った。花は金木犀。

コメント一覧

ひろむし副長
「イノセント・デイズ」
4作目「イノセント・デイズ」を読了した。
この話が、一番、推理小説、サスペンスらしいかも知れない。その分、僕向きではないなあと思いながら読んだ。
悪人が事件の発端になる。
完全犯罪は成功している。過去のこと。
徐々にあきらかになる謎。
これで、終わりだったら・・・これは・・・。

そう思いながら・・・。

それだけでないことを陰ながら予想、いや、期待しながら・・・。

結局、期待は報われる。

読者は語り手と一緒に事実を知る。
少女がすべての謎を知っている。

その謎、事実がすべてなら、それだけの推理小説だつたろうと思う。

だが、少女の知っている真実、以上の真実が、
その花にはあった。
それが分かって救われる。

1作目~3作目までには、こういう事実を超えた展開はなかったと思う。
正・反・合、止揚、アウフヘーベン・・・
どういってもいいけど、犯罪があって、反省があって、新たなそれ以上の境地がある。
オーバーかも知れないけど、この小説は、推理小説の枠から出ている。
普通は完全犯罪を見せたところで終わっている。

まあ、最後まで読んでごらんなさい。
ひろむし副長
「兄貴の純情」
http://www.futabasha.co.jp/?magazine=suiri
短編集三作品目は、「兄貴の純情」。花はヘリオトロープ、和名:キダチルリソウ。
兄貴のキャラクターがすべての作品だろう(悪い意味ではなくて)。
でも、読んでいて、やはり雑誌「小説推理」に連載されたというこの小説のそもそもの成り立ちを考えてしまう。
先の「十八の夏」の展開が僕には不満だと書いたけど、「小説推理」の読者にはそれは真逆だろうなと思う。
最後ですべてが明らかになる。ああ、そういうことだったのかという爽快感、それをこそ、「小説推理」の読者は読みたいのではなかったか?

作家は、すべての真実、謎を最初から知っている。
キャラクター先行でどう流れるか作者も分からずに書くという小説もないではないが、
推理小説においてはそれはないだろう。
登場人物はどうか。「十八の夏」の場合のように、自分は知っている、相手が知っているのかどうかは分からない。
というのもある。そして、読者は最後に意味を知らされた。
(僕は心理がそこまで読めずに不満に感じた。)

さて、この「兄貴の純情」の場合は、知らないのは、兄貴と読者だった。

この辺の情報の開示の仕方、謎の解き方がやはり、推理小説なのだと思う。

「兄貴の純情」の場合、別に秘密にされていた訳ではなかった。
登場人物は、それぞれ、そのことにそれほど意味を持たせていなかったし、
誰かがすでに教えていると思っていた。
何かのついでに出てきてもいい話しだった。
だが、兄貴にも、読者にも知らされないまま、結末まで引っ張られる。
兄貴が気づかないままだったら怖いけれど、間一髪のところで救われるところが、
この小説のほろ苦いところ。兄貴のキャラクターが救ってくれる。
(僕だったら、恥ずかしすぎてもう、出てこれない。随分、そういう思いもして来たけど・・・)
知らされないままだったというところがこの小説のミソなんだと思う。

じゃあ二作目の「ささやかな奇跡」はどうか?
読者は幸い、主人公と同じ目線なので、主人公の心理が追いやすい。
読者に情報は徐々に開示される。
で、周りの登場人物たちに情報が伝わっていくところが、この小説のミソなんだろうと思う。
誰が先なのかという順番がこの小説の要になっている。
情報が、気持ちに先行する部分もあるし、そのことで主人公の気持ちの後押しになっていたりもする。
だから最後の息子の台詞「アホやなあ。先に行かなならんとこがあるやろ」が活きてくるのだろう。
展開の仕方に無駄が無い、二作目が一番好きだな、今のところ(四作目はまだ読み終わっていない)。
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