一点の「濁り」もないBlog “G”

北海道を離れ、新たな土地で再出発。それに伴いタイトルだけリニューアル。
ただ、看板は挿げ替えたが内容は相変わらず。

仰木彬氏 死去

2005-12-16 | sports - baseball
【名将死す】
もともとライオンズファンだった私にとって、仰木監督といえば「敵将」というイメージが強かったが、今はなきオリックスブルーウェーブにしても、同じく今はなき近鉄バファローズにしても、氏の作るチームにはカラーがあった。だからこそ愛されたのであろう。私も今でも西武のライバルは?と聞かれると「近鉄」と答えたいぐらいだし。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2005/12/16/01.html

【キャラのある野球人】
仰木氏自身も非常にキャラのたった人だった。伝え聞く豪快なエピソードは野性的なイメージを、そして表立って公の場に立つときはスタイリッシュに。現役時代は豪放磊落というイメージの西鉄ライオンズにあって技巧的なバッティングで活躍したというが、監督としてもそういう豪快かつ繊細というイメージであった。その性格は采配にもあらわれており、野茂、イチローに代表されるように、ある意味セオリーからは外れたスタイルの選手をそのまま個性として認める大胆さの一方で、「マジック」とは言われながらもそれは奇襲ではなく、局面局面で適性にあわせた起用で、野球の戦い方としてはむしろ手堅いものであった印象を持っている。そしてなんとなくそういう彼だったからこそ、どちらかというと前時代的な藤井寺球場でも、そして先進的なグリーンスタジアム神戸(当時)でもフィットしたのではないか、と感じる。

【最後に】
今季終盤の札幌ドームでのオリックスバファローズとの試合を観戦したが、それが仰木氏を見た最初で最後であった。札幌ドームでかなりやじられるぐらい小刻みな継投を見せた試合だった(ヒルマン監督が文句をつけたぐらい)が、そのたびに何度もベンチを出て姿を見せていた。あれがまだ3ヵ月ほど前のことだとはにわかに信じがたいほどの急逝。あの時も体は限界に近かったであろうと思うと胸が痛むが、それこそ就任会見のときに言っていた、

「グラウンドで死ねたら本望」

という言葉を、言葉だけにとどまらずまさに実践されていたのだろう。言うだけでなく本当にやってしまう、こういうところもこれまで率いた選手たちから信頼を得ているひとつの理由なのかもしれない。野球界はまた1人、人材を失った。

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1 コメント

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Unknown (KEIKO)
2005-12-16 22:50:12
残念ですね・・・。

私はスカイマーク最終戦で仰木さんを見たのが最後になりました。

西鉄黄金期の現役当時から仰木さんは見ているんですが、選手としてはあまり記憶がなく、監督になってからの方が断然印象が強いです。

豪快かつ繊細というのは、知将・三原脩監督から受け継がれていたのかもしれませんね。

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