西国三十三箇所についてですが、現在使用している専用納経帳では残すところあと2ヶ所。
目新しいネタが無い時は過去に行った時の写真を引っ張り出して順にUPしていきます。
順番は全く無視して、最初に行ったのが三井寺でした。
三井寺(園城寺)
滋賀県大津市園城寺町246
<山号> 長等山
<宗派> 天台寺門宗
<本尊> 弥勒菩薩
<札所> 西国三十三箇所・近江三十三観音5番・びわ湖百八霊場(観音堂)、神仏霊場巡拝の道(金堂)、西国薬師四十九霊場(水観寺)、湖国十一面観音霊場(微妙寺)
ちなみに行ったのは今からほぼ一年前。
今となっては何故ここを最初にしたかすらよく覚えていませんが、とにかくここがスタート。゛(6 ̄  ̄)
写真すらあまり撮っていなかったので、頂いた御朱印をもとにサラッとだけ。
駐車場は有料(¥500)ですが、そこそこの大きさ。更に拝観料¥500が必要。財布に厳しい…。
仁王門脇にある受付を過ぎると最初に見えるのが釈迦堂(食堂)です・・・
・・・が、この時は修復中か何かで養生されていて写真撮らず。
とりあえずこちらで釈迦堂の本尊である釈迦如来の御朱印を頂いています。
釈迦堂を出て更に奥へ。階段を上った先にあるのが金堂。
金堂付近には近江八景の一つである“三井の晩鐘”がありました。
脇にあった看板には下記の様に記載されていました。
近江八景のひとつ、三井の晩鐘で有名なこの鐘は、音の三井寺として日本三名鐘のひとつにも数えられ、また平成八年七月には環境庁より「日本の音風景百選」にも認定されている。
この鐘は慶長七(1602)年、古鐘・弁慶の引摺り鐘の跡継ぎとして鋳造されたもので、鐘楼(国の重要文化財)と共に県の文化財に指定されている。
こちらが金堂。
三井寺の本尊である弥勒菩薩はこちらに安置されています。境内の建物の中で一番の大きさ。
金堂で頂いた御朱印。
金堂の外に納経所らしき建物があったんですが、そちらには人がおらず、金堂内で頂きました。
金堂から更に奥、一段上がった場所に霊鐘堂があり、その中には“弁慶の引摺り鐘”がドカンと置かれていました。
“弁慶の引摺り鐘”については下記を参照。
当寺初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。むかし、承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。
その後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。
その後、一切経蔵や唐院、三重塔と行った建物を横目に先に進むと微妙寺が見えてきます。
こちらに安置されている十一面観音立像毎月17日・18日・土日祝日のみ開扉されているようで、残念ながらこの時は見られず…。(´・ω・`)
微妙寺で頂いた御朱印はこちら。
微妙寺から更に奥、境内でも比較的高い場所にあるのが観音堂です。
こちらが西国三十三箇所の札所になります。
観音堂の御朱印は西国三十三箇所の納経帳に頂きました。
観音堂の付近は高台になっており、そこからは琵琶湖も見えました。
天気がイマイチだったのが残念…。
観音堂から受付方面に向かって下っていくと水観寺があります。
水観寺で頂いた御朱印。
堂内ではなく、外にある授与所兼納経所?で頂きました。
平日で特にこれといった行事も無かったので人はかなり少なかったです。
本当は5月にある三井寺千団子祭の時に来てみたいんですが、土・日に行われる為、平日休みの自分にはなかなか縁がありません…。(´・ω・`)
目新しいネタが無い時は過去に行った時の写真を引っ張り出して順にUPしていきます。
順番は全く無視して、最初に行ったのが三井寺でした。
三井寺(園城寺)
滋賀県大津市園城寺町246
<山号> 長等山
<宗派> 天台寺門宗
<本尊> 弥勒菩薩
<札所> 西国三十三箇所・近江三十三観音5番・びわ湖百八霊場(観音堂)、神仏霊場巡拝の道(金堂)、西国薬師四十九霊場(水観寺)、湖国十一面観音霊場(微妙寺)
ちなみに行ったのは今からほぼ一年前。
今となっては何故ここを最初にしたかすらよく覚えていませんが、とにかくここがスタート。゛(6 ̄  ̄)
写真すらあまり撮っていなかったので、頂いた御朱印をもとにサラッとだけ。
駐車場は有料(¥500)ですが、そこそこの大きさ。更に拝観料¥500が必要。財布に厳しい…。
仁王門脇にある受付を過ぎると最初に見えるのが釈迦堂(食堂)です・・・
・・・が、この時は修復中か何かで養生されていて写真撮らず。
とりあえずこちらで釈迦堂の本尊である釈迦如来の御朱印を頂いています。
釈迦堂を出て更に奥へ。階段を上った先にあるのが金堂。
金堂付近には近江八景の一つである“三井の晩鐘”がありました。
脇にあった看板には下記の様に記載されていました。
近江八景のひとつ、三井の晩鐘で有名なこの鐘は、音の三井寺として日本三名鐘のひとつにも数えられ、また平成八年七月には環境庁より「日本の音風景百選」にも認定されている。
この鐘は慶長七(1602)年、古鐘・弁慶の引摺り鐘の跡継ぎとして鋳造されたもので、鐘楼(国の重要文化財)と共に県の文化財に指定されている。
こちらが金堂。
三井寺の本尊である弥勒菩薩はこちらに安置されています。境内の建物の中で一番の大きさ。
金堂で頂いた御朱印。
金堂の外に納経所らしき建物があったんですが、そちらには人がおらず、金堂内で頂きました。
金堂から更に奥、一段上がった場所に霊鐘堂があり、その中には“弁慶の引摺り鐘”がドカンと置かれていました。
“弁慶の引摺り鐘”については下記を参照。
当寺初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。むかし、承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。
その後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。
その後、一切経蔵や唐院、三重塔と行った建物を横目に先に進むと微妙寺が見えてきます。
こちらに安置されている十一面観音立像毎月17日・18日・土日祝日のみ開扉されているようで、残念ながらこの時は見られず…。(´・ω・`)
微妙寺で頂いた御朱印はこちら。
微妙寺から更に奥、境内でも比較的高い場所にあるのが観音堂です。
こちらが西国三十三箇所の札所になります。
観音堂の御朱印は西国三十三箇所の納経帳に頂きました。
観音堂の付近は高台になっており、そこからは琵琶湖も見えました。
天気がイマイチだったのが残念…。
観音堂から受付方面に向かって下っていくと水観寺があります。
水観寺で頂いた御朱印。
堂内ではなく、外にある授与所兼納経所?で頂きました。
平日で特にこれといった行事も無かったので人はかなり少なかったです。
本当は5月にある三井寺千団子祭の時に来てみたいんですが、土・日に行われる為、平日休みの自分にはなかなか縁がありません…。(´・ω・`)