フォーエバー・コミュニケーション考。 - カトカト日記 ~霊園・墓石の株式会社加登 公式ブログ~

フォーエバー・コミュニケーション考。


震災から丸2年の月日が流れました。今もなお30万人もの方が避難生活を余儀なくされているという現実。この国に生きる限り、いつどこで同様の災害が起こるか分からないという事実。生きて死ぬ、それは偶然を装った必然なのか、それとも必然を装った偶然なのか、いずれにせよ我々に抗うことを許してはくれないわけで、乱暴な言い方をすれば我々は唐突にこの世に放り出され、右も左も分からぬ無明を生きていかなければならないのです。



私事ですが、息子が生まれて1年と2か月。
生まれること、そこに彼の意思などは介在しておらず、謂わば僕達のために生まれてきてくれたようなもので、考えるほどに親としての責任は重いなあとつくづく思います。生まれてきて良かったと、彼に将来そう思ってもらえるだろうか。ただ生きているだけで既に尊い、価値があるというのも理屈では分かるのですが、僕のような自己を嘲笑しながら生きているような人間にとっては、なかなか実感として掴みづらいところがある。
けれども、息子が大人になっていつかそう思ってくれたなら、僕自身もまた生まれてきた意味の断片くらいは垣間見ることが出来るのではという気がしています。人は皆、努力や歳月によっては越え難い欠落を抱えながら生きていて、それを埋めるため常に誰かを必要としているのではないでしょうか。

親と子。
かけがえのない絆。
子が親にとっての、あるいは親が子にとってのミッシングパーツなのではなく、互いが互いの存在に促され、自らの欠落を修復し得るような絆。ずっと昔へと繋がっていて、まだ見ぬ未来へと延びていく、細くとも確かな糸。僕はそれをいつも握っていて、同じ糸を僕の親や先祖も遠くで手にしている。喜びも悲しみも、すべてはその糸を通して過去へ、そして未来へと伝わっていく。そんな存在理由としての絆、それがフォーエバー・コミュニケーションということなのかも知れません。
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