2008年6月のブログ記事一覧-カトカト日記 ~霊園・墓石の株式会社加登 公式ブログ~

はやいもので。

        

このブログを始めて、明日でちょうど1年になります。
幼い頃から日記というものにとんと縁がなく、書き始めても3日と続いた試しがないこの僕が、1年?

これはもう、ご愛読頂いてる皆様のお陰としか言いようがありません。
感謝感謝のグラシアスです。

これからも株式会社加登同様 「カトカト日記」頑張っていきますので、ひとつよろしくお願いします。







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父の日(過去形)。




母の日もそうですが、当日に何かを贈るのが「いかにも」って感じで恥ずかしいです。
父とは普段それほど話もしないので、なおさらです。

父の日の前後1週間という、ワイドレンジな頃合いを見計らって(?)ふらっと実家に顔を出し、何も言わずに酒瓶を手渡す。

それだけ。

表情には出さないものの、喜んでくれているのが傍目にも分かるもんで、大した言葉もかけてやれないのが心に痛い。

偉そうなこと言ってますが、親不孝な息子ですわ。
随分派手に口論もしたし。

それなのに、歳を重ねるごとに、親父に似てきたなあ、と我ながら思う。
良いところも、悪いところも。

ホントに話をしないのに、気持ち悪いくらいです。
だからこそ、よくぶつかったのかもしれません。

まあ、そういうのも悪くなかったのかなって、今は思います。
昔は腹立たしくて仕方なかった父の短所も、今となってはお互い様。

父の良いところなんて昔は見つけることができませんでしたが、今となっては何となく分かるような気がします。

こんな僕にも善いところがきっとあって、僕のそばにいてくれる人たちがいる。
それはたぶん、父がくれた贈物なんだと思いますよ、マジで。





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宗教心って何だろ。

風の音、樹々のざわめき、小川のせせらぎ。
虫の鳴き声、雨の音、波の音。

日本人は、これらの自然音を、左脳で聴くのだそうです。
これは日本人とポリネシア人だけにみられる特徴で、西洋人はもちろん、同じ東洋人である韓国人や中国人も、自然音は右脳で聴いているのです。

音楽や機械音、雑音を処理するのを得意とする右脳に対し、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持つのが左脳、別名言語脳です。


斎場御嶽(沖縄県)  琉球王国の聖地として、神事が執り行われた。

人間が話す言葉を理解する左脳で、風の音や小川のせせらぎを聞いている。
大げさに言ってしまえば、我々日本人はこれらを単なる「音」としてではなく、「声」として「言葉」として認知しているのです。

山、川、動植物、星、土、水、太陽。
縄文時代からすでに、日本人は自らを取り巻く自然のなかに神を見ていた。

人間と対等、もしくはそれ以上の存在として自然を畏れ敬ってきた日本人からすれば、木々や動植物が言葉を話すなんて当たり前のことだったのではないでしょうか。

仏教伝来以前の宗教世界がなおも残存しているアイヌや琉球の人たちは、今でも自然神を非常に大切にします。
そうした信仰の名残は仏教伝来後の我々にも染みついているのか、深い森や断崖絶壁など息を呑むような自然のなかに身を置くと、ちょっと怖いような神聖な気持ちになったりしますね。


古くから、木々や岩には不思議な霊力があると考えられてきた。

そんな我々が、豊かな生活のために道路やダムをつくる。
それによって多くの人が救われるのは良いことですが、人間の幸福のためだけに森林がや生態系が破壊されるのもこれまた事実です。

殺されていく木々の痛み、住む場所を追われる動物や昆虫たちの悲しみ。
人間の幸福は、こうした神々の苦しみと引き換えに「与えられ」ているのです。

決して自然をねじ伏せて「勝ち取った」ものではありません。
人間はもう少し謙虚になって、自らの罪に対してより自覚的でなければならないのかもしれませんね。

自然を愛する。
生きとし生けるものすべてを大事にする。

自然をあがめ、自然と共存してきた日本人にとっては、それだけでも立派な宗教心だと言えるのではないでしょうか。

自然界に存在するすべてを愛し、自分を大事にする。
自分を愛することが、自分を生んでくれた親そして先祖たちへの愛へとつながる。

先祖崇拝とは、そのような過程のなかから必然的に生まれたものだという気がしてなりません。







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オンリーワンがナンバーワンだフル。

他よりすぐれていることは、必ずしも幸福の本質ではありません。

皆が同じものを追い求めている、という錯覚。
我先にと他を蹴散らしてまで手に入れなきゃいけないものって?

優越感は、幸福の本質を見誤らせる。

他者の不幸や失敗の上に成り立つ幸福を幸福として享受し得るそのとき、ひとは誰よりも不幸だとは思いませんか?



すべての人にとってのオンリーワンであること。
それがすなわちナンバーワンであればハッピー。

みんなをハッピーにして、僕たちもハッピーになる。
これからも、そんな加登でありたいス。





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