2013年12月18日のブログ記事一覧-カトカト日記 ~霊園・墓石の株式会社加登 公式ブログ~

お伊勢参り(お陰参り)。

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鳥羽水族館の翌日は、伊勢神宮に参りました。
まずは天照大神を祀る内宮(ないくう)へ。本来は外宮(げくう)を先に廻るのが習わしなのだそうですが、諸事情により内宮から。邪道ですみません。


おかげ横丁(厳密に言うと、おかげ横丁からは少し外れているみたいですが)。

とりあえず少し離れた臨時駐車場に車を停め、「おかげ横丁」と名付けられた商店街を通っていきます。
大阪泉北霊園のブログでも取り上げられていますが、今年は20年に一度の遷宮の年。そのせいもあってか多くの参拝客が界隈を賑わしていました。



通りには土産物店や食事処が軒を連ね、テイクアウトの出来る魅力的なフードの看板が次々と目に飛び込んできます。
ここまで来ると神宮はもう目と鼻の先にあるのですが、おもちゃを売っている店を目敏く見つけては走っていき、頑として動こうとしない息子に手を焼きなかなか辿り着くことが出来ません。
面倒なので抱っこして急ごうと思っても、おもちゃが目に触れた途端に暴れ出し、無理矢理脱出するので手に負えません。
実際には僅か数百メートルの道のりでしたが、体感としてはその数十倍にも達していました。


息子「たこ、たこ!」 確かに、言われてみれば・・・・・。


宇治橋を渡り、いよいよ境内へと進みます。


小石や落ち葉に気を取られ、ここでもなかなか歩いてくれない息子でした。

神宮内でもなかなか歩いてくれない息子でしたが、遊び疲れたのか念願の本宮に辿り着く頃にはぐっすりと眠ってしまいました。
仕方ないので、息子を抱いた妻に待機してもらい僕だけ本宮へ、と思ったのですがこの人だかり。開城を迫る軍隊さながらです。
眠る息子と妻を待たせ、僕だけ参拝するのは時間的に厳しいなと思い、写真だけ撮って帰りました。



という訳で、何をしに行ったのか良く分かりませんが、とにかく疲れました(笑)

ところでこの伊勢神宮、今年の1月から9月までの間に900万人の方が参詣されたそうです。これは過去最高ということで、如何に今年の遷宮が世間の注目を集めているかが良く分かります。

しかし、さらに驚くべき数字があるんです。
時代は遡り、江戸時代中期のこと。半年間に450万人もの人が参ったことがあったそうです。
単純計算で年間900万人。
数だけを見ると今年の方が多いのですが、当時の日本の総人口が推定3,000万人ということですから、実に3人に1人という勘定になります。
これはちょうど現在のスマホ普及率(30%弱)と同じくらいの割合です。

その辺を歩いている人に「スマホ持ってますか?」と聞いてイエスと答える割合と、「去年お伊勢参りしました?」と聞いてイエスと答える割合とが同じということですよね。凄い。
しかも当時の移動手段は殆どが徒歩ですから、大阪からは5日、江戸からだと15日ほどを要したそうです。
それも考慮に入れると、まさに尋常でない流行り方です。

その昔十返舎一九の「東海道中膝栗毛」を大変面白く読んだことがありましたが、思えばあれもお伊勢参りの話でした。道中で立ち寄る宿場町の生き生きとした描写に誇張は無かったんですね。



ただ、真に驚くべきは、当時と比べようもないほどに娯楽が多様化した現在において、年間1,000万を超える人がお伊勢参りをしたという事実ではないかとも思います。
確かに大阪からは車で3時間ほどで行けますし、1億2千万人のうちの1,000万人ですから、スマホを使っている人の数の方が遥かに多いわけですが、それでもこれだけの人が目に見えない何かの存在を信じて、わざわざ三重県にまで足を運ぶのってなかなか凄いことだと思いませんか?

お伊勢参りのことを「お陰参り」とも言うのは、お伊勢様の「お陰」に感謝するというところから来ています。
この発想って、お墓を建ててご先祖様に感謝するのと似ている気がします。
きちんとした参拝が叶わなかった僕が言うのも何ですが、まだまだ捨てたもんじゃないです、日本のこころ。



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