2007年7月5日のブログ記事一覧-カトカト日記 ~霊園・墓石の株式会社加登 公式ブログ~

納骨法要。

ほんとうのことというものは、ほんとうすぎるから、私はきらいだ。死ねば
白骨になるという。死んでしまえばそれまでだという。こういうあたりまえ
すぎることは、無意味であるにすぎないものだ。(坂口安吾「恋愛論」より)

          

はじめて人骨というものを目にしたのは、この仕事に就いてからのことだ。
白墨のようだな、そう思ったのを克明に憶えている。
つるんとした光沢を放つ骨壷の蓋を開けるとたちまち真っ白な塵芥があがり、それらは海底に浮かぶプランクトンのような荘厳さで、ゆっくりとあるべき場所へと舞い降りていくのだった。

何も知らない僕は、先輩から指示があるたびにぎこちないロボットのようにぎくしゃくと動いた。
ぎっしりと詰まった骨壷から、サラシの袋へとお骨を移す。
からからと拍子抜けするくらい軽やかな音を立てながら、お骨はサラシのなかへとなだれ込む。さっきより激しく舞う粉塵。

先輩が線香に火を点けながら目配せする。

僕は施主様に骨袋を手渡し、水鉢に手をかける。
手前方向に力を込める。
水鉢がきい、と細い音を鳴らす。
僕の膝上に水鉢は倒れ、その向こうに薄暗い空間が広がる。

先輩が声を掛け、施主様がお骨を暗がりへと運ぶ。
納骨室の底面には、真砂土が敷かれている。
亡くなった魂が土へと還るように、
関西ならではの風習らしい。

ひんやりとした納骨室の地面に、はさっと乾いたような湿ったような音とともに骨袋が安置される。


すべてが、限りなく無機質だった。


僕は無機質に水鉢を元に戻し、無機質な足取りでその場を少し離れた。
ご住職がお経を詠みはじめる。
神妙な面持ちでお墓を取り囲むご親族たち。

あらゆる儀式がそうであるように、淡々と決めごとの通りことは進んでいった。
死んでしまえばそれまで?
悲しくもなければ嬉しくもない、ただの理のような無味乾燥を突きつけられているような不安が、僕の心地を青ざめさせていた。

親族のなかに若い奥さんがいて、まだ首も据わらないような乳児を抱いて法要に臨んでいた。
乳児はひどく神経質な顔できょろきょろと周りを見回していたが、お経も終盤に差し掛かろうかという頃、突然堰を切ったように泣き喚いた。

読経の声をさえぎるような泣き声だった。
母親はあわてて子供をあやしにかかる。
子供は泣き止むどころか、ご住職が心配して振り向かれるほどの大声で泣き連ねるばかりだった。

一生に一度の開眼納骨法要が台無しになる、僕はそう思って何とも言えない気持ちになった。ご住職も怒っていらっしゃるに違いない。
そう思って一帯に目を遣ると、これまで至って沈着に見えた親族の面々が、申し合わせたかのように嗚咽をはじめている。

娘の肩に頬を寄せて泣く母。
その母にハンカチを差し出す夫。

いつしか皆の泣く声は、赤ん坊の泣き声を遥かに凌駕していた。

ご住職の良く通る読経が、すべてを寛容に包み込んでいた。


お墓参りにいかなきゃな、生まれてはじめてそう思った瞬間だった。



株式会社加登ホームページへ