goo blog サービス終了のお知らせ 

マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

脱プラスチックの取り組み(WEB版日本経済新聞の記事より)

2019-07-14 | 日々の暮らし
少し前に出た記事ですが、プラスチックごみを出さない対策に有名企業が取り組みを始めると、WEB版日本経済新聞に出ていたので、そのことについて私自身の現在の状況と努力目標について、お話しようと思います。

記事の詳しい内容は、以下のリンクです。

『P&Gやロッテ、脱プラへ容器回収・再利用で連携』(日本経済新聞 2019年7月8日)

会員限定記事につき、無料もしくは有料の会員登録をしている方が読めます。
(無料の会員登録は、月に10本まで無料で読むことができるので、私はたまに興味深い記事が出た時に読めるように、無料会員登録をしています。)

親しみのある有名企業がやっと乗り出した感
今回の記事では、P&Gやロッテやキリンといった、私たちの生活に身近な企業が取り組みを始めたということで、エンドユーザーに丸投げされていたプラごみ対策が、やっと少し改善されるのだな、と正直思いました。

プラスチックごみについては、いつも思っていました。
「商品自体がプラスチック包装や容器ではなかったら、そもそもごみにならないのに」と。

一部のファストフード店やカフェでは、プラスチックストロー廃止や容器の改善を表明していますが、日々の買い物に深くかかわっている商品を販売している企業の取り組みは、まだまだ進んでいないと、個人的には感じていました。

各社の取り組み内容としては、私が子供の頃は当たり前だった“デポジット”や“ビン入り飲料の定期配達”を組み合わせたシステムになるようです。
勝手に例えると、交通系ICカードのような使い方?
最初に容器に対して保証金を払っておき、その容器を使用して中身を繰り返し買い、商品の購入をやめるときに容器も返却することで、保証金額が戻ってくるということだと思います。
解釈が違っていたら、恥ずかしいな(苦笑)
しかし、この取り組みが進めば、家庭に入ってくる使用済み容器がごみにならずにリユースすることができます。

今でも、企業が回収するシステムはありますが、積極的な回収とは少し違います。
ペットボトルは自動販売機の横に専用のごみ箱が置いてあったり、チェーン店独自に回収システムを作ったりしていますが、エンドユーザーに行動を任せています。
また、回収した容器が最終的に持ち込まれる場所は“なにかしらの処理場”であり、容器の再利用などはしていないのが現状ではないでしょうか。
リサイクル工場に運ばれて別の商品に生まれ変わったり、リサイクル業者に引き取ってもらい修理や洗浄などをして販売や寄付をしたり、というような経路がほとんどだと思います。
あるいは、何らかの処理を加えて、燃料として利用している自治体もあると聞いたことがあります。

もっといろいろな方法があるかもしれませんが、いずれにしても私の周辺で身近な有名企業が、積極的に回収しているシステムを目にすることはありません。
一部の乳製品販売店が実施している、ビン牛乳の定期配達ぐらいでしょうか?

以上のような現状ですので、プラごみを始末するのはエンドユーザーに丸投げの印象が強くありました。
エンドユーザーがリサイクルに出してくれれば、何かしらはするけれど、ごみに出すのならそれは知ったことではない、というスタンスなのだな、と捻くれて考えていました。

ですから、自分も購入したり利用したりしている身近な企業が、やっと自社製品の販売方法を考えてくれるようになるのだな、というのが記事を読んだ私の最初の感想です。

私のプラごみ分別の現状
プラごみ分別事情については、以前記事にした中で少し触れています。

不用品の処分事情(我が町編)
不要品の処分事情(我が家編)

少し前までは、汚れがひどいプラスチック包装ごみ(フィルム状、袋状、容器など)は、一般ごみに捨てることも多くありました。
最近は、なるべくきれいに洗浄して、リサイクルごみとして出しています。
それでも、なかなか100%とはいかないのが現状です。

母は視力が弱いので、小さい字で書かれている「プラ」の文字が読めないことがあります。
素材によってはプラスチックそっくりな別モノもあり、母が判断できずにプラスチック包装ごみの袋に入れてしまいます。
その場合は回収NGになってしまうので、私がプラスチック包装ごみの中をチェックして、違う素材のごみを一般ごみの袋に移しています。
以前ご紹介したように、我が自治体は一般ごみに何を入れても基本的にはOKです。
ですから、母には判断できない素材はすべて一般ごみに入れて欲しい、と頼んでいます。
結果、一般ごみに母が捨てたプラスチックごみが混ざります。

気がついた時は、一般ごみからプラスチック包装や容器を選別して、プラスチック包装ごみの袋に移していますが、上にごみが蓄積してくため、全部を取り出すとなると時間がかかってしまうので、そこまではしていません。

環境のことを真剣に考えると、分別はきちんとしたいと思いますし、できればプラスチック包装された商品を購入しないようにしたいのですが、必要な商品のパッケージがプラスチックだと、回避自体が難しいです。
しかも、買い物をするときは必要か否かを基準に考えていますから、パッケージの素材にまで気が回りません。

環境問題に真剣に向き合っている方は、おそらくプラスチックでパッキングされている商品そのものを購入しないのだと思いますが、私はその境地に至るのは今のところ無理です。

私の努力目標
なかなか、思いどおりにごみ問題に向き合った生活ができないのは、パッケージの問題だけではありません。
家の中の不要品も、山ほどプラスチック製品が溢れています。
しかし、我が町はプラスチックの回収をパッケージに使われていたモノに限定しています。
家の中から出てくるプラスチック製の不要品は、結局一般ごみに出すしか方法がありません。

リサイクルショップやフリーマーケットサイトに出せば、次の使用者に託すこともできますが、それらを包装したり配送手続きしたりする手間が面倒に感じます。
また、その方法だと私の手元を離れているだけのことで、最終的にはごみとして捨てられてしまうのだと考えると、結局同じなのではないかと思ってしまいます。

今は、ひたすら家の中の不要品を出し切ってしまいたいので、環境問題とは相反する行動を選択しています。
ただ、不要品処分がある程度進めば、ごみ問題にきちんと向き合える心境と状況になると思います。
将来、必要最小限のモノで暮していれば、ごみ分別自体はそれほど面倒には感じなくなるのではないかと考えています。
老後、煩雑な暮らしをしないためにも、今は不要品処分を重点的にして、せめて10年後ぐらいには、しっかり分別して、プラスチックごみはもちろん、ごみそのものが出ないような工夫をする生活が目標です。

ごみの今昔
現在、世界中でプラスチックを含むすべてのごみが、環境汚染に深刻な影響を与えています。

私が幼かった頃、それほど家庭からごみがたくさん出ていた感覚はありません。
たまに大掃除をしたとき以外は、1回のごみ回収日に45リットル袋ひとつ分ぐらいしか出ていなかったと思います(週2度回収前提)
商品パッケージも紙製品が多く、プラスチックごみ自体が少なかったはずです。
ペットボトルもなく、ビン入りかカン入りかテトラパックの飲料くらいしかなかったので、リサイクルもしやすかったと思います。
ビン飲料を買って飲んだ後、お店に返却か自動販売機の返却口に入れると、5円ぐらいが戻ってくるようになっていましたし、カンも同じシステムが確かあったと記憶しています。

しかし、時代が進むにつれビン飲料の数が圧倒的に減り、容器代の返却システムがなくなりました。
その後、カン飲料が主流になり、現在はペットボトルが主流になり、ごみを捨てるためにエンドユーザーがお金を払って(ごみ袋代、回収手数料など)、いつの間にか分別回収もリサイクルも、エンドユーザーの行動に託されるようになりました。

飲料の容器だけではありません。
古紙回収も、私が幼かった頃はちり紙交換といって、古新聞古雑誌の回収が月に1回ぐらいのペースで来てくれて、新聞や雑誌を出すと軽量した重量によってトイレットペーパー数個と交換してくれていました。
当時は、古新聞古雑誌で作る再生紙の需要が大きかったのでしょうか。
それとも、回収した新聞や雑誌が違うルートで売れていたのでしょうか。
最終的な処分方法はわかりませんが、回収に来てくれていたこと自体、しっかりした需要があったのだと想像できます。
今は自分で回収ボックスに行く必要があるし、換金に似たシステムもありますが、かなりの重量を出さなければなりません。
車を所有していないご家庭の方は、それこそ毎日のごみとして出す方が、きっと楽だと思います。

昔は昔で、自治体のごみ処理能力に限界があったでしょうから、一概に今より良かったとは言いません。
実際、海に垂れ流しの問題や、埋め立て地での利用方法など問題もあったはずです。
ただ、古き良き習慣を時代の変化に合わせて継続していたら、現代のようなごみ問題や環境汚染は発生しなかったかもしれませんね。


私には子どもはいませんが、遠い将来に今の子どもたちが環境汚染に苦しまない暮らしができているように、目の前にある問題から手を付けていかなければならないな、と思います。
私はできることを実行するしかないので、あと一歩、あと一歩、という具合に、少しずつでもごみ問題や環境問題に取り組んでいけたらいいと思います。

そういったことも、広い意味での終活なのかもしれません。