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パレスチナへの「援助」も攻撃の一環(訳文本文)

2009-12-30 20:01:58 | パレスチナかイスラエルか
今回は、Gaza 地区で色々活動している Abdul-Sattar Qassem 氏(عبد الستار قاسم)へのインタビュー記事訳文本体。
文字数制限により、記事紹介+適当訳注+感想は別記事で・・・。


↓は、訳文本文を読む際に使うと思われる記事紹介+適当訳注+感想。
・パレスチナへの「援助」も攻撃の一環(準備編)(2009年12月30日 flagburner's blog(仮))

------ 以下訳文 ------
PA への反体制者として:俺は黙ってなんかいられない
Marcy Newman、2009年11月27日


大学教授でありパレスチナの暦やイスラム思想に関し数多くの著作がある Abdel Satter Qassem 氏は、激しいイスラエルとパレスチナ暫定政府(PA)批判で良く知られている。
その結果として、イスラエルと PA 双方によって監獄送りにされている。
最近では、Qassem 氏の車が PA によって警告として爆破された。
占領地パレスチナの Nablus にある Qassam 教授の自宅で、Marcy Newman が対談した。


Marcy Newman(以下MN):あなたが政治的活動家になったのはいつ頃ですか?

Abdel Sattar Qassam(以下 ASQ):アメリカ大学カイロ校にいた頃、[パレスチナの人達による]革命の一翼を担いたかった。
以下の事を革命と呼んだものだ:後でそうでなかったことに気付いたが。
パレスチナのある党派に入るため、1970年、1971年、1972年の 3回ベイルートに行った
だが、毎回毎回失望させられ、加入せずにベイルートを去った。
メンバーが真に革命家でない事に気付いた。
ベイルートの通りで尊大に車を運転し、通りにいたレバノンの女の子に罵詈雑言をぶつけてたんだ。
革命家のモラルに則ってないと思った。
多くのメンバーがバーに通ってたことにも気付いた。
当時俺は、革命家は清廉潔白な人物であるべきだと常に考えてた。
他の人達にとっての倫理的な模範例を示してくれる人物であるべきだ、と。
俺は、メンバーの多くがパレスチナを開放する気はない、と感じた。
[レバノンに亡命している状況に導いたイスラエルなどに]降伏しているだけだった。
革命について失望したまま、カイロで 4年間を費やした。

MN:その時期に、あなたが尊敬したリーダーは誰でしたか?

ASQ:指導者であること自体を目的としていた他の指導者と異なり、George Habash は良い指導者だといつも感じていた。
だが、彼はマルクス主義者だった[訳注1]。
富は正しく平等に分配される必要があると思ってるが、俺はマルクス主義を認めていない。
汎アラブ主義者の立場であり続ければ、Hadash はもっと成功していただろうに・・・。
マルクス主義者に転向した際、彼は多くの支持者を失った。
マルクス主義を認めず、[一部の知識人たちが唱えるマルクス主義を]敵対的感情で捉えている社会でマルクス主義を受け入れたからだ。

マルクス主義に対抗するための教育は、いわゆるアラブ諸国独立のずっと前から行われてきた。
1920年代~1940年代に敬虔な人々と植民地主義者は、[ソ連のアラブ諸国に対する影響力強化も一因だが]マルクス主義者と闘うことに力を費やされた。
マルクス主義の全体像は、パレスチナの人達やアラブの人達がマルクス主義への強い憎悪を抱いていたことで歪められた。
アラブ諸国が一応独立した際、アラブ諸国の政権はソ連に対抗しマルクス主義と共産主義のイメージを歪めるよう植民地支配勢力に指導された。
普段俺は、教えてる学生にマルクス主義で知ってることについて質問している。
皆が皆、マルクスは神の存在を否定したと言うんだ[訳注2]。
マルクスが人間(the man)の自由にとって最初の障害である搾取と侵略について正確に研究していたことを説明しなければならない。
それでも、パレスチナを開放するただ1つの手段は、George Habash の意見に従うことだと言っていた。

MN:特に Habash のどの考えを?

ASQ:ヨルダンの政権を打倒しない限り、パレスチナの人達は決して自らの土地を解放できないだろう、と Habash は言ってた。
ヨルダン国王が教師達に演説するためにやってきたヨルダン大学の集会で、「君達の誰かが George Habash はパレスチナの正統な指導者だ、と言っている」と述べたんだ。
諜報機関が、その発言について入れ知恵したんだ。
俺は、アラブ政権がアラブ諸国 -- イスラエルと米国もそうだが -- にとって最初の敵だと思っていた。
アラブ諸国の政権を打倒しなければならないんだ。
[スンナ派アラブ諸国の政権が]長く政権にいればいるほど、アラブ諸国は一歩も進歩しないだろう。
シーア派がイスラム教徒を導くことになる、と俺が人々に語ってきた理由だ。

(Hezbollah の書記長である)Hassan Nasrallah 氏は、依然としてアラブ諸国で一番評判の高い存在だ。
アラブ諸国の政権はイスラム教[正確には自国民というべきかもしれんが]を守っていない、と理解している多くの人達がいる。
だが、アラブ諸国の政権は Hezbollah とイランへの憎悪を育てる表現を使いたがっている。
パレスチナで Hezbollah に反対する意見を言う多くの人達は PA にいるんだ。
PA は、イスラエルを打倒することに利益をみいだしてるわけでない。
イスラエルがアラブ諸国の政権を守っている以上、[打倒イスラエルという姿勢が]アラブ諸国の政権にとっても利益というわけでもない。

MN:イスラエル政権とアラブ諸国の政権による共謀関係は、パレスチナにどのような影響を及ぼしているのですか?

1990年、俺は[Nablus 近くにあった昔の]al-Fara 監獄で取調べを受けていた。
[取調官が]取調べを終えた後、俺は取調官とこんな会話をした。

ASQ:何を望んでるんだ?取調べは終わったじゃんか
取:そうだ、お前から何か聞きたかったんだよ。
ASQ:何?
取:パレスチナの指導者になるってのはどうだ?どっちがいいんだ?妻以外に誰も待ってない状況で -- 監獄を出るのか。20台の取材用カメラに囲まれて監獄を出るのか?
ASQ:20台の取材カメラの方が良さそうだ。
取:よし、監獄から出られるのを楽しみにしている。
ASQ:その後は?
取:その後は、お前の事をメディアに書かせるさ。Qassim 教授がどこに向かったとか、Qassim 教授が食事を取ったとか、誰かと面会したとか、Qassim 教授が発言した等々・・・、そして数週間後にパレスチナの指導者になる、ってところだ。
ASQ:何か見返りでも欲しいのか?
取:何も欲しくないさ。スパイがたくさんいるしな。俺がお前に望むのは、面白い話をしてくれることだ。Haifa と Jaffa[Tel-Aviv] の解放について語るが、その後家に帰って寝てろ。それ以外何もするな。
ASQ::あぁ、考えておくさ、後で返事するよ。

もっとも、俺はそのことについて全く考えもしなかったし、返答もしなかった。
だが、さっきの会話こそ、[パレスチナの]指導者を作り上げる方法なんだ。
俺達の指導者の多くが -- お喋りが過ぎるし面白い話をするもんだから、人々は愛国者だと信じてしまうんだ!
[指導者達は]イスラエルとの共謀者なんだ。

1991年、Jerusalem に住む友人が俺に電話をかけてきた。
友人:アメリカ総領事[訳注3]が君の所を訪問したがってるぞ
ASQ:なんで?多くの国の大使が(当然日本の大使も)足元にひれ伏す -- アメリカ総領事が俺の所に訪問を?
ASQ:だめだ、総領事に来て欲しくない。奴が俺の家を訪ねてきたら、一生の汚点になっちまう。ほっとけ。

で、翌日か2日後、再び友人が電話をしてきた。
友人:アメリカ総領事が君の所へ訪問したがってる。からかってないぞ。総領事に面会したいと望んでいる多くの人達がいるってのに、それでも君は嫌だというんだ?
ASQ:そうさ。

で、俺は友人に質問したんだ。
ASQ:なんで総領事が俺の所を訪問したがってるんだ?
友人:マドリード会議に参加するパレスチナ代表団のメンバーになるよう説得するために会いたがってるんだ。
ASQ:マドリードには[無論代表団の一員として]行きたくない。イスラエルとの交渉なんて信じてない。それに、アメリカ総領事が俺の家に来た日には、地中海でも俺[の汚点]を洗い流せなくなる。

2日後、イスラエル軍の Tulkarem 地区配属の指揮官が俺の元に来た。
指揮官:なんでマドリードに行きたくないんだ?
ASQ:何でこんなことをやってるんだ?お前には関係ない話だ。
指揮官;いや、私の仕事だ。
ASQ:なんで?
指揮官:マドリードに行けば、パレスチナの人達から好感を得るだろう。
ASQ:それがいいことなのか教えてくれよ。お前が俺達パレスチナの人達に関心を示してるのなら、なんで俺がマドリードに行くべきなんだ?
2日後、彼が俺の元に再び訪れた。
俺が振り向いた際こう告げた:「君はパレスチナ代表団とともにマドリードに行かなければならない」
ASQ:イスラエル軍の命令か?
指揮官:そうだ。
ASQ:そうかい、じゃぁ、マドリードには行かない。

以上の会話は、どのように[マドリード会議の]代表団が結成されたかを象徴した1つのことだ。
もちろん、俺がマドリードに行かせることの目的は俺を沈黙させるための政策の1つだ。
もしマドリードに[パレスチナの代表団として]行ったとしたら、再び[イスラエル政府や PA の政策に対し]声を上げることはできなかっただろう。
俺が独立した立場であり続けようとした理由だ。

MN:監獄における知識人の役割とは?

監獄の中では、教育は党派ごとに管理されていた。
それぞれの[政治的]党派は、自分達の党員に教育をしている。
Negev(砂漠にある監獄)の管理区域には、だいたい 8つのテントがあった。
自らの党派が最高でイスラエルに対抗しているただ1つの党派であり、他の党派は正しい方法で対抗してない、と語りかけるだけの -- 排他主義者による教育の一種だった。

Fatah のメンバーは教育されていない。
PFLP のメンバーはそう教育されている。
この2つの党派のメンバーは、割と恵まれた環境にいる -- かつてそうであったかもしれないが。
Hamas のメンバーは、教育をイスラム的なものに制限していた。
異なる党派から教育されなければ、文化的受肉(inculturation)の一種となる[訳注4]。
俺が監獄にいた頃、パレスチナの党派にそんな余裕がなかったので教育が党派ごとに分割されてなかった。
少なくても4ヶ月間、全ての囚人達に[政治的な意味での]授業をする機会を得た。
囚人達はよく参加してくれた。
監房の中に約220人が入った;150人ごとに授業をした。
パレスチナの歴史・アラブ世界の歴史・革命家の倫理的要綱について教えた。

MN:こうした党派分けは、監獄の外でどのような影響を及ぼしたのですか?

午後になって俺が大学から家に戻った際、何者かが俺を銃撃し 4発の銃弾を喰らった。
それが最初の事件だった。
(後にパレスチナの指導者となる Yassar Arafat が)レバノンでそれを行っていた。
彼はヨルダンでも同じ事をやっていた。
[PA の批判をする]俺を黙らせたかったんだ。
『民主主義は議長の支配下にある(Democracy is Under the Preident)』と名づけられた論説を書いたんだ。
俺はそこでこう記した:俺達は民主主義を持っていない。
Arafat は、民主主義を管理下に置いている;タマゴを暖めている雌鳥のように[出し惜しみしてるってこと]。
Arafat 俺を銃撃させるために誰かを送り込んだが、俺を黙らせることはできなかった。
PA は俺を夜中に何度となく逮捕したが、すぐに釈放もした。

1999年、俺は『20人による声明(Statement of the Twenty:)』を書き上げた。
西岸地区と Gaza 地区にいる 20人の著名な人達を集め、Arafat の腐敗ぶりを批判した声明文を記した。
Arafat 批判をすれば必ず監獄送りになるので、俺は声明で Arafat を批判することにこだわった。
俺達が監獄に連行されなければ、誰も声明を読もうとしないんだ。
俺達はそうして代償を払った。
20人のうち2人は Jericho の監獄で40日間、残り18人は15日間を過ごすハメになった[訳注4]。

2005年、PA は俺の車を焼いた。
2007年には、[2005年の事件の後買いなおしたと思われる]俺の車に約 60発の銃弾が打ち込まれた。
2008年に一晩だけ俺を逮捕→拘束した[訳注5]。
2009年1月には、[2007年の事件の後買いなおしたかどうか不明だが]俺の車を再び焼いた。
最近では、3日間監獄で過ごすハメになったってのもある[訳注6]。
俺は依然として PA とは色んなトラブルを抱えている。
だが、PA が俺の土地・俺の故郷・俺の仲間を傷つけてるのに黙ってなんかいられないんだ、
PA はイスラエル政府と共謀しているんだ。
治安の問題解決について協働で計画を立てているんだ。
イスラエルの治安を守るために、PA はパレスチナの人達を逮捕している。

MN:アメリカの帝国主義についてどう思いますか?
米国の総司令 Keith Dayton 氏が PA の治安維持部隊の訓練が抵抗運動の方向性にどのような変化をもたらしていますか?

今や、[パレスチナの土地に]米国人である Dayton 氏の共和国がある。
Dayton 氏は、パレスチナの[国連難民高等弁務官になぞらえたと思われる]高等弁務官だ。
Dayton 氏が[パレスチナを]管理している。
イスラエルの安全と米国の利益に貢献するべきパレスチナの人達を勧誘するために、米国が多くの金を費やしている。

Dayton 氏は[自分達の生活含めて]非常に狭い視点を持つ人達を集めている。
こうした人達にできるのは、[PA やイスラエルの]指令を聞いて実行することだけだ。
こうした人達は、米国[やイスラエルに]依存している。
一部の人達はこの状況を理解しているが、経済的圧力の下にも置かれている。
けど、多くの人達はそれを理解していないんだ。
俺がこうした人達を、財政的に支持することになる別の選択肢ってなんだ?
パレスチナを解放するという原則のため家族を飢えさせろ[PA やイスラエルの下で働くな]、なんて頼むことはできない。
きっとこう語るだろう:「見ろ、俺の家族はパレスチナよりずっと大事なんだ」
人々が飢えたがってるか自由でありたいかって?
まず始めに、自らの胃袋を満たしたがるさ。
その後で、自由について考えるかもしれない。
だから、米国の人達や欧州の人達[無論日本も含まれる]は以下のようにゲームを楽しんでるわけだ:パレスチナの人達を常に飢えの境界線に置くことだ。
今や、もし米国の人達や欧州の人達が資金を与えなければ、パレスチナの人達が飢えて死んでしまうと自ら感じるというおかしな状況となっている。
俺みたいな奴が[米国やイスラエルに欧州の方針に反対するように]語りかければ、イスラエルの安全を脅かす可能性がある以上俺達を飢えさせないようにするだろう。
金や食糧をパレスチナの人達に与えるように仕向けるだろう。
相互的な関係を作れない以上、納得できるものではないが。
第1次インティファーダの際、イスラエル政府は[ガソリンや電気などの]エネルギーとガスの供給を2週間停止した。
国際社会はこの状況に対して抗議の声を上げ始めた:パレスチナの人達に何をしてやがるんだ?
俺達が[国際社会の中で]遊ばれてるのには複数の要因がある。
だが、先程のことに基づけば以下のように言える、「米国の人達が俺達に資金を与えなければ、俺達は飢える」と、そして〆はこうだ:俺達は米国の人達の望むように行動しなければならない。

Marcy Newman 氏は、Al-Ahliyya Amman 大学文学部准教授。

---- 訳文以上 ----


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